Saturday, November 3, 2007

マカ族居留地訪問(2)

 マカ族の居留地について書こうとしていて、「マカ族居留地訪問」を10月15日に書いた後、日本へ出張してしまいました。そのため、記事上ではマカ族居留地にたどり着けず、肝心のマカのことをかけないで終わっていましたので、その続きを書くことにします。

 話は少し変わりますが、ネイティブ・アメリカンというのはアメリカ合衆国との関係では、少し特殊な位置にあります。例えば、日系アメリカ人というのは日本人の血を引いているにしても、法的にはアメリカ市民、つまりアメリカという国家の国民です。別の言い方をすれば、日系アメリカ人にとっては、アメリカが自分の国です。でも、ネイティブ・アメリカンは違います。彼らは北米大陸(カナダ、アメリカという国がある場所)に住む独立国家の国民です。ですから、彼らは国家間の契約である条約をアメリカ合衆国と結んでいます。ただ、この条約は、いわゆる「不平等条約」で、互いに独立した国家としての契約を結んでいるわけではなく、一方にとってかなり不利な契約になっています。でも、大切なのは条約に基づいて、アメリカ合衆国におけるネイティブ・アメリカンが位置づけられているということです。もちろん、正確な意味で、ネイティブ・アメリカンが国家の体をなしているわけではなく、彼らの暮らしのかなりの部分をアメリカ合衆国に依存しています。つまり、アメリカに「養ってもらっている」わけで、江戸時代に捨扶持をあてがわれて生活していた肩身の狭い旗本の次男、三男あたりと同じです(国家と意識するなら、もっと惨めかも知れませんが。)この国家としてのプライドと「養われている」という実態とのせめぎあいがネイティブ・アメリカンの意識下にあります。

 冒頭に掲げた写真はマカ族居留地に入った事を示す道路標識です。これはアメリカ政府の予算で道路管理を委託されているワシントン州政府が設置したのです。ですから、表示は、アメリカの立場を反映して、"Makah Indian Reservation"となっています。これより少し手前には、マカ族が設置した、"Welcome to Makah Nation"という歓迎板が掲げられています(この日は逆光でうまく写真を取れませんでした)。

 マカ族居留地は、121,451平方キロ、兵庫県が8,394平方キロ 、隣の京都府が4,613平方キロですから、この二つの地域を合わせたくらいの広さがあります。兵庫県と京都府の人口をあわせると2006年の時点で約70万人。マカ族居留地の人口は、2000年の調査では、なんとたったの1,356人!!私が以前暮らしていた阪急新伊丹駅近くの梅ノ木(1丁目から6丁目まであるが、5分歩けば通り過ぎてしまう)だけでも2,460人も住んでいるのに(伊丹市全体の人口は19万人)。こんなに希薄な人口密度の地域は日本にはありません。ちなみにマカ族として登録している人の数は全米で約1,600人ですから、その大半がこの居留地で暮らしていることになります。

 このマカ族が日本でも結構有名なのは、全米でも唯一捕鯨の権利を有しているネイティブ・アメリカンだからです。日本人と同じように彼らには捕鯨の習慣があり、1,500年以上の歴史を持っています(上の写真は、マカ族の捕鯨の様子。マカ族のホームページからとりました。)この権利は、彼らが1855年にアメリカ合衆国との間で条約を取り交わした時、当時はオリンピック半島の大半にまたがっていた広大な彼らの土地をアメリカに譲るのと引き換えに保全した漁業権のひとつてす。ただし、彼らは近くにやって来るGray Whale(コククジラ)しか捕りません。彼らの食習慣は日本人とほとんど同じです。サーモンにしても、アメリカ人がフィレにして、三枚におろした身の部分をステーキなどにしてしか食べない(食べることができない)のにくらべ、マカ族(他のノースウェストのネイティブ・アメリカンも同じですが)は、頭から尻尾まですべてを無駄にしないで食べます。日本人がサーモンの「かま」を珍重したり、頭や背骨なども色々な料理に使うように、彼らも「かま」の美味しさを知っていますし、頭の身の部分をほじくって食べるのも同じです。ましてや、釣ったサーモンの卵(イクラ)を捨ててしまうアメリカ人とは違って、彼らもイクラを好みます。

 これは鯨についても同じです。江戸末期に日本に黒船とともにやってきたペリー達の目的のひとつに、南氷洋での捕鯨船活動の補給地として日本を利用することがその開港要求の裏にありました。当時、東部のアメリカ人にとって捕鯨は鯨油を得るためだけの活動でした。大きな鯨から油を搾り取った後は、すべて捨てていたわけです。もったいない話です(アメリカ人が捕鯨を止めたのは、石油が発見されて安い灯油が開発されたから。鯨油のコストが高く採算があわなくなったためで、自然保護の観点からではさらさらありません)。バイソン(バッファーロー)を絶滅させたのもアメリカ人。にもかかわらず、彼らに「鯨を捕るな」などといわれるのは日本人として、誠に片腹痛い話ですし、マカ族にとっても同じでしょう。

 話が横道にそれました。マカ族にとっても、鯨は捨てるところがない資源だということが言いたかったのです。現在、彼らは5年間に20頭の鯨を捕る権利を有しています。国際的にも捕鯨が批判されているために、毎年せっせと捕れないのが気の毒ですが。

 鯨やイルカは知能が高い動物だから捕ってはいけない、というのが主な主張です。では、知能が低い阿呆な動物(と一部の人間が信じているだけだが)は良いのかという議論になります。だいたい、これは賢いから大事にすべきだが、これは賢くないからとって食べても構わないなんて、なんと傲慢な考えでしょうか。アメリカ人らしい考えです(そして日本人の中にもこのように考える人々が増えていることは悲しいことですし、危険なことです)。現在では、サボテンだって水をやったら喜んだり、クラシックを聞かせたら成長が良いという研究結果もあるくらいです。植物だって、あるいは藻や酵母菌だって生命のひとつです。人間というのはどのような形であれ、他の生命の犠牲の上にしか自分の命をつむぐことが出来ません。それが嫌なら、餓死する以外にないのです。だからこそ、昔の日本人もネイティブ・アメリカンも自分たちが必要とする以上のものを捕らず、捕ったものはすべてを大切に利用しました。そして、それらの日々の糧を自然の恵みとして神々に感謝し、犠牲となった動物や植物に対しても慰霊を行ってきたのです。
 マカ族の話を書くつもりだったのですが....また、続編を書きます。