Thursday, March 10, 2011

アメリカの日本語教育

言語はその人の暮らしや思考を規定するもっとも基礎的な大脳活動の一種で、その国の文化を理解する上での根幹となるものです。

ヨーロッパ諸国や中国のように他国を侵略し、植民地化した国の植民地政策の基本は、その言語統制にありましたし、現在もその事実に変りはありません。日本でも第二次世界大戦中はアジア諸国で同じような植民地政策を実施しました。しかし、何百年にもわたってそのような抗争を続けて来た諸外国とは異なり、日本のそれは非常に短期だったために日本人の意識の中に「言語政策」とでも呼ぶべき他国支配の方法はおそらく残っていません。

また、日本国内でも、アイヌ語だけが近代まで残っていた以外は、異なった言語を話す民族が縄文期や弥生期にはいたと想定されるものの、かなり早い段階で国のほとんどの部分で単一言語としての日本語が話されてきました。現在でもごく一部に他国語を話す人々のコミュニティも各地域に存在しますが、彼らは数世代に渡り日本で暮らしており、むしろ、最初の世代の言語を話すことが出来る人々の数は極端に少ないといえます。日本では、例えばアメリカに見られるようなかなり開放的な移民政策をとっていませんから、他国からの移民者や長期滞在者の数もそれほど多くはなく、日常生活の中で他国語を聞く機会はほとんどありません。

このような理由から、日本人は日本語を外国人に教えることの重要性をさほど強く意識していません。これは諸外国の独自の言語と文化に敬意をはらい、自分たちの言語と文化と同等の価値を認めているという点では優れた態度だと思います。

ただ、知っておかなければならないことは、他国の人々も日本人と同じように考えている訳ではないということです。

前回、高校生による日本語スピーチとスキットで書いたように、ワシントン州は全米でも日本語教育の盛んなところですし、このシアトル周辺でも日本語を教えている高校は沢山あります。これは日本人にとって本当にうれしいことです。アリアンス・フランセーズ(フランス)やゲーテ・インスティチュート(ドイツ)、孔子学院(中国)といったそれぞれの政府系の語学教室ではなく、あくまでも、ワシントン州政府とそれぞれのスクール・ディストリクト、及びワシントン州日本語教師会などの努力により高校や中学校、あるいは一部の小学校で日本語が第二外国語として教えられています。

ただ、この日本語教育は日本のように第二外国語としての英語教育と同じ位置にはありません。第二外国語を教えなければならないという規定はありますが、どの言語にするかはそれぞれのスクール・ディストリクトや各学校が選択することができます。財源が豊かであればいろいろな言語を学ぶ機会を学生に与えることも出来ますが、限られた予算内では、選択が可能であっても最高3つが限度で、普通は2言語程度です。つまり、スペイン語を含むヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語が普通)アジア言語から2つを選ぶことになります。学校によってはスペイン語とドイツ語とかドイツ語とフランス語などを選ぶところもありますし、ヨーロッパ言語から一つとアジア言語から一つという選び方をするところもあります。

そしてアジア言語として日本語が教えられているわけですが、だからといってのんびりとはしていられない状況もあります。最近では、日本語ではなく中国語を教えるように中国人コミュニティが交渉しており、条件として教科書代の全額負担や教師の雇用経費を出すという条件を示すグループもあります。このような動きを中国政府や中国人グループの出身省政府あたりが支援しています。また、全米でも屈指の州立大学であるワシントン大学(University of Washington)には孔子学院が設立されています。いずれにしても日本語か中国語かといった取り合いが水面下で密かに行われています。例えば、シアトルの隣街、ベルビュー(大阪府八尾市の姉妹都市)では、遂に日本語を教える学校はなくなってしまいました。

アメリカがインターネット関連に働く優秀な技術者用の就労ビザに特別枠を設けて、インドからどんどん人を受け入れているのを見ても分かるように、自国の言語を話す人々が世界で増えていくことは、その国の文化的、経済的な国力に関係します。日本国内におられる人々にも海外での日本語教育に関心を持っていただければ幸いです。

今日は少し硬い話題になりました。次回はまた美しいワシントン州の風景をお届けしたいと思います。

Monday, February 28, 2011

早春の名残雪

オリンピアは3月23日から降り始めた雪で一面真っ白になりました。25日は晴れたのですが、翌26日から今日まで雪が断続的に降っています。天気予報では明日、3月1日まで雪だそうですが、気温も少しずつ上がってきているのでそろそろ雪も溶け始めるかなあと思っています。

オリンピアはシアトルから100キロ南にありますが、地形の関係からかシアトルよりは寒く、今回もシアトルではそれほどの雪にならなかったのに、オリンピアでは50センチを越える積雪となりました。

24日にあったミーティングへの途上で撮った写真です。
                (家の近所)

(ゴルフ場)
(近所の森)


(雪だるま)


(ガーフィールド小学校で)
(ワシントン州キャピタルキャンパスで)
(雪に埋もれたクロッカス)

Tuesday, February 22, 2011

早春


昨日月曜日は「プレジデント・デー」(President Day)で、先週末土曜日からの3連休でした。でも、土曜日はシアトルで日系人と日本人の学生たちのおむすび交流会があって出かけていましたし、昨日午前中は日本から、そして午後からはケンタッキーからの来客があったので1日シアトルの事務所へ出ていました。
でも、日曜日は時間がとれたので久しぶりにドライブに出かけました。といってもそれほど遠くに行ったわけではなく、オリンピアからR101(ルート・ワンオーワン)を北上し途中で、R106を西に行ったところにあるユニオンというところまで行きました。ここにはアルダーブルック・リゾート(Alderbrook Resort)というホテルがあり、ここのレストランや喫茶の窓際からは、複雑に地形を削っているピュージェット湾の入り江を通して北にオリンピック山脈が見える風光明媚なところです。空もしだいに晴れる日が多くなり、日曜日も雲ひとつ無いとは言えないまでも晴れていて、春の色合いを見せる入り江や雪のオリンピック山脈を見ることができました。名前は知りませんが、水鳥たちも気持ちよさそうに水にもぐっては魚を捕っていました。

Wednesday, February 9, 2011

第28回ワシントン州高校生日本語スピーチ&スキットコンテスト

私が勤める事務所では3月25日(金)午前8時から第28回ワシントン州高校生日本語スピーチ&スキットコンテストを開催します。会場はシアトルの隣町にあるショアラインセンターです。アメリカの高校生たちが一生懸命勉強した日本語で自分の将来の夢などを語り、日本での日常生活の一こまを寸劇で表現するのを聞いたり、見たりすると、日頃英語で苦労している私には彼らの努力がよく分かりますし、とても楽しく、かつ勇気づけられるものです。

このような機会は日本ではほとんどありませんので、日本の中高生たちにも是非見てもらい、日本語を学ぶ高校生たちと交流してもらいたいという願いから、今年はじめて「中高生のためのフレンドシップ・エクスチェンジ7日間」というプログラムを作って日本でも参加者を募集しています。 春休みを利用して参加してもらえればと願っています。

http://travel.nittsu.co.jp/training/seattle/index.html

  このコンテストは、過去1000人を超える参加者を誇る北米最大級の日本語スピーチ・寸劇のコンテストであり、日本語学習者の中でも上級者をさらに支援するために開催されています。昨年は112名が参加し、500名以上が来場しました。
  米国では金融危機以降、財政難のため、日本語教育プログラムの廃止、縮小が相次いでいます。ここワシントン州も例外ではありませんが、幸い、在シアトル日本領事館、国際交流基金、日本シアトル商工会のサポートをはじめ、熱心な日本語教師の方々の活躍により、今年のコンテストには120名以上の日本語学習者が参加する予定であり、参加者は年々増加傾向にあります。

さらにうれしいことには、姉妹州であるワシントン州政府から今年はじめて寄付をもらえることになりました。今までにも賞品の本に知事のサインやメッセージをもらっていたのですが、経済的な支援をもらえるのは初めてのことです。ご承知のように、ワシントン州は財政的に非常に厳しい状態にあります。そのような中での経済的支援はこれを決定してくれたワシントン州知事公室でも色々と努力いただいたと感謝しています。少ない予算を割り当てる場合、日本でも同じですが、なぜ、HBCCに支援するのか?あるいは、なぜ日本語スピーチ&スキットコンテストなのか、他のアジアやその他の言語によるコンテストにはどう対処するのかなどさまざまな議論があったことは推量するに困難ではありません。公式な支援として、この寄付以外にも、州政府の印章(Washington State Seal)の使用が許可され、グレゴア知事のビデオメッセージも当日届けられる予定です。 

スピーチ&スキットコンテストのウェブサイト:http://www.hyogobcc.org/speechandskit/

Sunday, February 6, 2011

主体性と創造力

今日の朝日新聞ウェブ版に経団連が会員企業や非会員の地方中堅企業を対象に行ったアンケート調査の結果が出ていました。大学生を採用する際に重視する点は、1~5ポイント評価中、「主体性」が平均4.6ポイントと最多で、それに続いて「コミュニケーション能力」と「実行力」が4.5ポイントでした。

一方、最近の大学生に不足している素質については「主体性」が89.1%と一番多く、能力・知識面での不足では、「創造力」(既存の価値観にとらわれない発想ができる)が69.3%でトップを占めていました。その結果、76.5%の企業が大学に対し「教育方法の改善」を求めている結果が出ています。

私の事務所には日米取り混ぜて沢山の学生がインターン来ます。また、1~2週間と短期ですがさまざまなアメリカ体験プログラムや姉妹都市交流事業でやってくる中学生、高校生、大学生あわせて100人以上の学生に会う機会があります。その人たちを見ていて上のアンケート結果と同じ印象を持っています。でも、考えて見なければならないことは、主体性がない学生が多いということは、大学だけの責任かということです。経団連の設問が「大学に求めること」といったものだったためにこのような答えになったのでしょうが、もし、「日本の教育に求めること」という設問にしてあったら、76.5%かそれ以上の回答が、日本の「教育方法の改善」を求める結果になったと思います。

私の友人の中には、いろいろな大学で教えている教授たちがいますが、どの友人にたずねても、大学に進学してくる学生の「主体性」や「創造力」の無さを指摘し、それらの学生に様々な工夫をして主体性や創造力をつけさせようと努力していると話します。考えてみれば可笑しな話です。大学というのは「最高学府」と呼ばれるように、学問や研究を行い、同時に最終(最高)レベルの教育を行う機関であって、幼児教育を行うところではありません。

本来、主体性や創造力というのは生存のための競争力ですから、他の動物と同じように人間も幼児の頃から持ち合わせています。生れ落ちたばかりの子鹿が自分で立ち上がるのも、木の上の巣で親鳥から餌をもらうのを待っている雛が大きな口をあけて親鳥にアピールするのも主体性や自己主張の表れですし、他に先駆けて餌をもらえるように工夫するのは創造力の基本と見ることができます。

ハイハイをしてようやくつかみ立ちをし始めた幼児の身体を支えて手助けをしようとすると、「Aちゃんが」と叫んで手を払いのけられたことがあります。つまりAちゃんは自分で立つから手を出すなと私に怒ったわけで、これはまさに主体性そのものです。また、幼児が親のボールペンを握って、机の上に何かをゴシゴシと書こうとするのも幼児の創造力の具現化に他なりません。

子供たちが生まれながらにして持っている主体性や創造力をどのように育てていくかは、幼児期から中等教育までの、つまり14歳くらいまででその方向は決まります。この期間に子供たちの主体性や創造力を育んでいくような躾や教育が家庭や学校でなされていなければ、大学生にもなっていまさら主体性だ創造力だといわれても学生たちにとっても迷惑な話です。就職するためには何とかそのような能力を身につけるか能力があるように装う技術を習得する必要がありますが、[私の今までの20数年はいったい何だったのだ!?]という思いが強いことでしょう。

アメリカではプレスクール(保育所)の頃から、子供たちが言ったりしたりしたことに対して、まずはそれを認めるという教育がされます。仮に「けったい」な絵を描いた子に対しても、「それは何?...ふうん、そうなの。上手に書けたね。今度はこんな絵が書ける?」といった具合です。小学校、中学校と進むにつれて、このような教育は輪をかけて行きます。国語(アメリカでは英語)も数学も嫌い、でもマジックやジャグリングなら得意だという子供にはマジックやジャグリングを教えてくれる学校もあります。子供(人間)にはそれぞれの能力に差異と特色がありますから、それを最大限に伸ばす教育がアメリカでは常に試みられています。

このようなことはずっと以前から多くの人がいろいろな本や場所で書いたり言ったりしていることですから、いまさら繰り返す必要はないお思います。にも関わらす、未だにこのようなアンケート結果が出るということは日本の教育システム全体を本気で変更しなければならない時が来ているか、「賞味期限」どころか「消費期限」がとっくに過ぎていて、食べたらお腹を壊すところまで来ているかのどちらかです。

主体性や創造力は、自己主張することですし、慣習や規則に反する主張をすることにもつながります。もっと批判的な見方をすれば「我を張る」ように見えることもありますし、学校や会社、あるいは社会の異端分子に見えることもあります。アメリカの小学生、特に女の子は、高学年に近づけば、マニュキュアをぬったり、フェイクの刺青(シール式のものを使う)をしたり、イヤーピースなどをして学校へ行きます。学校でも特段それをとがめることもありません。こうなると何でもありですから、パジャマ姿で学校に行く子だっています(さすがに毎日パジャマというのはドレスコードに反しますから、その旨を子供に教えてはいます。その代わり、パジャマで行っても良い「パジャマデー」を設けているところもあります)し、アニメキャラの服装で行く子もいます。こんな子供たちを受け入れる学校の素地は残念ながら今の日本にはありません。

主体性を持ち、創造力が豊かな子供が育つためには、子供たちが自由であり、それを周りの人々が許容し、見守り、必要に応じてアドバイス(あくまでもアドバイス。従うかどうかは子供の自由)を与えるような環境が必要です。ただし、アメリカにも、いやアメリカは日本以上に、これ以上は駄目、という明確な基準があります。例えば、「給食費を払っているのだから、なぜ、私の子供が『いただきます』といわないといけないのか」といった類の訳の分からないモンスターペアレントの主張など、「それが学校(公立学校)の方針です。納得できないならどうぞ辞めて他の学校へ行って下さい」と一蹴されます。もっとも、そんな阿呆なことを行ってくる親などいませんが。

人々が賞賛するような発明をしたり、会社に貢献するようなビジネスアイディアを生むものだけが、創造力と呼ばれるものではありません。漫画やアニメを熱心に書く練習をしたり、自分が好むファッションの服を着て歩くのも含めて創造力です。まねることは学ぶことであり、それが新しい創造へとつながります。偉人の生き方をまねるのも、アイドルのファッションをまねるのもともに主体性の表れであり、次の時代へとつながる創造力を秘めています。

(写真)
前回のブログにも掲載しましたが、「お正月・イン・オリンピア」に出展していた在シアトル日本総領事館のブースをのぞくロリータファッションの中学生。「アメリカの女の子が着るとよく似合う」とはインターン(東京工業大学)の感想。左隣のアニメ風の鎧姿はシアトルにある日本国総領事館領事の「変装」。

Friday, February 4, 2011

お正月・イン・オリンピア

先週の土曜日、オリンピアのコミュニティセンターで第一回「お正月・イン・オリンピア(Oshogatsu in Olympia)」がありました。オリンピアでは毎夏、「盆踊り大会」が開催 されていますが、本格的な日本祭りは今回が初めて。シアトルの桜祭り(4月)、ベルビューの秋祭り(9月)に続く、第三番目の日本祭りとして、ワシントン州都オリンピアで今後毎年開催されます。このイベントのはじめに、オリンピア-加東姉妹提携委員長のアレン・ミラーさんが挨拶で次のように話しました。

「ワシントン州オリンピアと兵庫県加東市の姉妹関係は、当時のライル・ワトソン(Lyle Watson)市長と石古勲町長(その当時は、社町であった)が1980年に姉妹提携に調印したことにはじまり、今年は30周年の節目になる。この交流を通じて、オリンピアや隣町のタムウォーター、レーシーの市民たちの間に日本文化への興味が増し、オリンピアでも日本祭りをしてほしいという要望が出てきた。そこでオリンピア市とも相談して、今年はじめて「お正月・イン・オリンピア」を開催することとなった。」

会場は多くの人で賑わい、もちつきや羽つき、福笑い、折り紙、すごろくなど、日本の正月を体験できるイベントに加え、ステージでは現地学生による太鼓の演奏や合気道、剣道、よさこい踊りのパフォーマンスが行われました。展示コーナーでは着物や書道、版画、墨絵、藍染めの展示や実演など、子どもから大人まで楽しめるイベントが盛りだくさんでした。

最近、日本のニュースをインターネットなどで見ていると、10年、20年、いや50年、100年先を見通した国や地方の政策などほとんど話題にならず、何かいうと、「事業仕分け」的なものが面白おかしく取り上げられています。「二番目では駄目なのですか!」、「その事業効果は?」など...でも、このイベントでも分かるように日本の文化を外国の人が受入れ、楽しみ、理解してくれるには、何十年という歳月が必要です。科学の研究でも、教育でも、外交でも、2年や3年で効果が見えるものなんてありません。長い年月、世界の頂点を見つめながら、「坂の上の雲」を追い求め蓄積していった努力と成果が、先人達がこの世を去り、人々が忘れ去った頃にすばらしい花を咲かせるものだと感じています。

Tuesday, February 1, 2011

春のきざし

ようやく「オリンピア便り」に戻ってくる余裕ができました。


今日のオリンピアは快晴でした。オリンピアから8マイル北にあるネスクオーリーでミーティングがあって、その帰りにネスクオーリー川の写真を撮ってきました。木々には新芽が出て、春のきざしが見えました。この川はレニア山に水源があり、春には雪解け水で溢れ春の到来を告げてくれます。
昨年2月にシアトルの旧日本人街(インターナショナルディストリクト)東の丘の上に事務所を移転しました。ミーティングの後、事務所に出てくるときに、近くの仏教会前の公園を通りかかったら、早咲きの桜がもう花をつけていました。
長かった霧雨の季節ももうすぐ終わり、美しい春がすぐそこまで来ているようです。