Wednesday, October 31, 2007

今夜はハロウィーン

 9月に学校が始まると、スーパーやパーティ専門店などではこの日のために、早々とハロウィーン・グッズの販売を始めます。













 ハロウィーン・グッズのすべてを写真でお見せできないのが残念ですが、プラスチック製ジャックランタンはもちろんのこと、飾りのための墓石(プラスチック製)、骸骨、くもの巣、お化け、蝙蝠、仮装の衣装、お菓子を入れてもらうバッグ、そして子供達に配るハロウィーンシーズン特製のお菓子などさまざまなものが売り出されます。そして、ハロウィーン商戦の約1ヶ月後がハロウィーン本番。



 今日、10月31日がその日です。 わが家も飾り付けを終え、子供達に渡すお菓子の用意もできました。準備万端です。
 ハロウィーンの日には、どこの家に行っても、喜んで迎えてくれてお菓子をもらえるわけではありません。子供達がワイワイとやってくるのが嫌な人もいます。行っていい家と行ってはいけない家を見分ける暗黙のルールがあります。ハロウィーンの飾り付けをしている家やオレンジ色の電飾やジャクランタンを置いている家なら大丈夫。それ以外は行ってはいけないことになっています。もともとはジャクランタンがあれば、来てもいいよ、というサインでしたが、最近では、オレンジ色の電飾だけでも大丈夫なようです。子供達に来てもらいたくない家は、何の飾りもせずに、ただ、じっと息を潜めて家にこもっていますから、こんな家に行ってはいけないんです。
 それと毎年たくさんお菓子をくれたり、鉛筆やおもちゃもくれる家がありますから、この辺りの口コミ情報を友達同士でおしゃべりするのも子供達にとっては楽しいハロウィーンの準備のひとつです。  「トゥリック・オァ・トゥリート!」と言いながら子供達が回り始めるのは、この辺りでは日が暮れだす午後6時頃からです。まず、最初は小さな子供達が親に連れられながら、さまざまな衣装を来てやってきました。時間が経つにしたがって、小学生高学年の子たちがやってきます。兄弟姉妹もあれば友達同士でもやってきますが、必ず大人と一緒です。5人くらいの友達同士でやってくるときなども、誰かの親が必ずついていて、「あれ、子供達だけかな?」と思って外を見ると、ちゃんと車に大人が乗っています。 

 ピンポン、とチャイムの音。
 「トゥリック・オァ・トゥリート」
 「ハッピー・ハロウィーン、はい、お菓子をどうぞ。」

 7時ごろともなると中学生から高校生達がやってきます。この歳の子達になると友達同士だけで親の付き添いがなくなります。自立心と自尊心が備わってきて、「親なんかに一緒に来てほしないわ」というわけです。アメリカも日本も同じです。そのかわり、緊急時の携帯電話着用が親達が子供に課す暗黙のルール。グループの誰かが自分の携帯や親の携帯を借りてもってきます。この辺りは大変治安が良くて、危険などないのですが、人間一寸先は闇。外も闇。子供達に万が一のことがないようにとの親達の配慮です。

 そして大学生がその後の時間帯になると混じりだし、だいたい9時を過ぎるとトゥリックォァトゥリーティング(ハロウィーンの日に「家々を回ること」を意味します。「トゥリック・オァ・トゥリート」はお菓子をもらいに回る事を意味する動詞としても使われます)は終わります。




後は、近所の飾り付けを見に行って楽しいハロウィーンの夜は更けていきました。








 

Tuesday, October 30, 2007

「世界一やさしい問題解決の授業」のニュース(続き)

 前回のブログで、日本には日本の問題解決の授業方法があり、かつてそれは世間の常識だったと思わず書いてしましました。それについての続編です。

(シーン1)
 子「おかあちゃん、コショウ出ぇへんわ。」
 母「なんでよ?湿ってるん?」

 子、トントンとコショウの容器をたたいて中の様子を見る。

 子「いや、湿ってないよ。」
 母「そしたら出るんとちゃう?もう一度よう振ってみたら。」

 子、もう一度容器をさかさまにして力いっぱい振るが、コショウの出が悪い。容器の中を眺めながら、

 子「湿ってへんけど、粒が大きいて孔にひっかかって出てけえへんみたい。どないしょう?孔、くぎでたたいて大きいしょうか?」
 母「アホやなこと言わんとき。そんなことしたら、入れもんが不細工になるでしょうが。粒の小さいコショウが棚にあるから、それと入れ替え。」

 子、棚をのぞきながら、

 子「あらへんよ。粗引きコショウの詰め替えしかあらへんわ。」
 母「そしたら、コショウをすり鉢でちょっとつぶしたらええやんか。」
 子「おかあちゃん、すりこ木見あたらへんで。」
 母「すりこ木がなかったら、スプーンでつぶしたらええでしょうが。せやけど、キーキー嫌な音するから、静かにやってよ。」
 子「うん、分かった。」

(シーン2)
 子「おかあちゃん、コショウ出ぇへんで。どないしょ?」
 母「そんなこと自分で考えたら。」

 子、もう一度容器を強く振ってみるがやはり出ない。

 子「やっぱり、出ぇへんわ。」
 母「もう、うるさいな。コショウかけな食べられへんねやったら、食べへんだらええでしょうが。お母さんも忙しいの。出てけえへんだら、蓋とってかけたらええやないの。」

 子、だまって蓋を取りはじめる。

 母「蓋とって、そのままかけたら出すぎて辛いよ。手のひらにちょっととってからかけるんよ。」
 子「ふん、分かった。」
 母「あんた、手汚いやんか。外から帰ってきて手洗てへんでしょう。自分で食べるんやからかまへんけど、そんな汚い手にのせたコショウ、入れもんに戻さんといてや。他の人がお腹こわしたら困るからね。」
 子「私やったらお腹こわしてもかまへんいうこと?」
 母「当たり前やないの。汚い手で食べるんはあんたの勝手やからね。せやけど、私はいややで。他人には迷惑かけんといてよ。」
 子「なんちゅう親や。今度からもうちょっとコショウきかせてや。」とぶつぶつと、しかし、主張ははっきり聞こえるよう言いながら手を洗いに行く。

 これは今でも親子の間、特に、関西弁をつかう母と子の間で交わされる会話の典型的なものです。この会話には、前回書いた問題解決のための方法がすべて含まれています。問題解決の方法の提示以外にも、解決方法の中には実行できないものがあること(容器の蓋の孔を大きくすると、容器のみばが悪くなる)や、新たに出てきた課題の解決方法、つまり解決手段として十分な手段がないときはその代替物を探す(すりこ木のかわりにスプーンを使う)、自立しないと生きてはいけない(少なくともお腹をこわすかもしれない)という教え、すぐに反論せず適当なタイミングで自分の主張は必ずする(今度からもうちょっとコショウきかせてや)など自立の勧めや応用力(ソーシャル・スキル)の教えが含まれています。

 こんな場面は日常生活ではいくらでもありましたし、今もあります。これが問題解決のための日本の伝統的な授業といえます。学校で教えるのが悪いとは思いませんが、わざわざ学校でやるようなものでもないのではという気もします。まあ、学校でやる問題解決の授業は、オフ・ザ・ジョブ・トレーニングのようなもので、親子が毎日繰り広げるさまざまな会話や言葉のやり取りは、オン・ザ・ジョブ・トレーニングと言えます。

 問題解決やソーシャル・スキルを教えているアメリカの学校でも、父兄に配る手紙には、「学校での授業だけでは不十分です。家庭で親/両親が子供と色々な会話をし、一緒に考えていくようにするのが一番良い方法です。実行してくださることを強く願っています」といった趣旨のことが必ず書かれています。

「世界一やさしい問題解決の授業」のニュース

 今朝、AZNというフジテレビ系日本語報道番組で、「世界一やさしい問題解決の授業」(渡辺健介著、ダイヤモンド社刊)が30万部売れているというニュースがありました。

世界一やさしい問題解決の授業
渡辺健介著
ダイヤモンド社刊(2007年6月28日出版)
¥1,260(税込み)
ISBN:9784478000496 (4478000492)
 
この番組では、ラーメン屋でお客が容器の穴が小さくコショウがうまく出ないといって文句を言っている場面のイラストが映り、解決方法にはどのようなものがあるかをスタジオで考えるというものでした。(学校や職場で実際に渡辺氏が指導している映像やこの方法を活用している場面がそれに続いて流れていました。)

 いくつかの解答がスタジオ出演者から示された後に、具体的な解答例が提供されました。それによると、まず問題点をいくつかの要素に分解して、それぞれの解決法を見つけていく方法がとられていました。まず容器についてみると解決方法は孔を大きくする。孔の数を増やすことが考えられる。また、入っているコショウに焦点を当てると、解決方法は容器の孔にあわせ、コショウの粒を小さく砕くなどがその解答でした。

 このような考え方はアメリカでは小学校の3年生くらいから教えています。問題をいくつかの要素に分解し、それをノートに表として書き、それぞれの解決方法を記入していく。宿題に出され、授業でもみんなで考えるといったものです。私がこのような方法に接したのは、アメリカの大学院に留学した時が初めてでした。(学生は問題解決の方法といった類の分厚い本をいくつか読まされ、その考え方と手法を教授が説明していました。)その時は、「アメリカでは大学院生にもなってこんなことを教わらなければ分からないのか。アメリカの製造業が駄目になってきたのもうなづける」と感じたものでした。(当時はアメリカの自動車産業が日本のメーカーに追い上げられ衰退を余儀なくされていて、デトロイトなどでは日本車をハンマーで叩き壊すキャンペーンがある一方で、日本のQC運動などに学べという議論が盛んだったのを覚えています。)

 アメリカ式思考方法や方法論を述べた本が日本で30万部も売れるというのは正直言って驚きです。アメリカ教育における常識的な内容が、日本では教えられていないということが驚きの理由ではありません。以前は日本では常識だったことが、いまや日本では学校や職場で学びなおさなければならなくなっているのが驚きなのです。かつて日本はこのような問題解決のための思考方法や手法を十分に持っていて、上述したQC運動や、今なおアメリカで読まれている「現場改善」や「看板方式」を生み出したのに、今、その根底が失われようとしているということでしょうか。

 一昔前には常識だったことが、なぜ、今、と考えてみると、その常識がこの四半世紀の間に育った人々には家庭でも学校でも職場でも伝えられていなかったことを意味しています。著者の年齢は31歳。彼がハーバードのビジネススクールで学び、マッキンゼーに勤務していた間に新鮮に映ったこの手法を書物にまとめ、人々の間に共感を呼んでいるということはこの年代の人々を中心に、今までの日本の教育で失ってきたものがあると云うことです。

 何が失われてきたかはひとまず置くとして、「問題解決の授業」が改めて人々の関心を呼んでいることの問題点は、その先にあります。(この現象は、日本社会の「マニュアル化」を示しているように思えるけれど、この件も今日は触れません。)それは応用力の問題です。今、日本社会に求められているのは、応用力なのです。もちろん問題解決の手法が身についてなければ、応用力が発揮されることはないけれど、問題解決だけが身についていても、応用力がなければそれを実行し、現実の解決をもたらすことが出来ません。応用力というのは、判断力であり、実行力であり、交渉力です。

 さっきのコショウの例で言えば、ラーメンをすするカウンターのお客からクレームが出た場合、その場で取れる問題解決の方法(応用可能な方法)は、考えられた限りの解決法から選択するなら、コショウの粒を小さくすることくらいです。

 コショウの粒を小さくしなくても、目打ちか何かで、孔をその場で大きくすることも出来るだろうけれど、あまりスマートな方法ではありません。

 あるいは、女将さんが、「お客さん、どうもすみませんねぇ。ちょっと、かしてくださいな。」といって品を作りながら客の横に行って、コショウの容器をおもむろに手に取り、蓋をはずしてきれいな手のひらにコショウをとって、「これくらいでよろしいですか?」と言いながら、ほっそりとした白い指でパラパラとお客のラーメンに振りかける。そして客の目を見てにっこり笑う(と最高かも)。この方法は、女将さんの容姿に大きく依存します。お客が「ゲェッ」と思うような太目の指の持ち主などは、この方法をとるべきではないでしょう。ラーメン屋の主人が同じ事をやっては気色悪い!です。いくら絶世の美女で、白魚のような指の持ち主でも、洗い場からエプロンで手を拭きながら出てくるところを客に見られてはいけない、など「べからず集」は色々ありますが。

 町のすべてのラーメン屋にこんな条件を満たした女将さんがいることはないし、いてもラーメン屋でクラブまがいの接客をする必要もありません。だから、順当な方法は、「あ、お客さん、すみません。ちょっと待ってください」といって、厨房の隅で、コショウをすり鉢に入れて、ゴリゴリとやり、粒を小さくして容器に戻し、確実に出るかを確認してから、「どうも、お待たせしましたといって出すといったあたりになります。

 え、すり鉢がなかったらどうするか、ですか。その場合は、「お客さん、うちのラーメンは味が勝負なんだ。コショウなんか振りかけて食べてもらいたかないねぇや。」(関西弁だと、「お客さん、うちのラーメンは味が勝負でっせ。コショウなんかかけて食べんといてもらえまっか」と居直るほかありません。まあ、その客が怒って二度と来なくなってもいいという戦略的判断に基づいてのことではありますが。

 アメリカの小学校では、判断力、実行力、交渉力を含んだ応用力を「ソーシャル・スキル」という形で低学年から教えています。そのうち、日本でも、「問題解決の授業」と平行して、「応用力の授業」(ソーシャル・スキル)も必要になるのでは?
 せやけど、なんでもアメリカの真似なんかしてたらアホになるで、日本には日本の方法があるやろが!というのが素直な気持ちです。

 あー、美味しいラーメンが食べたいなぁ!!

Monday, October 15, 2007

マカ族居留地訪問


 9月24日にブログを書いてから、あっという間に時間が経ってしまいました。ここの処、色々なことが重なり、もう目が回るほどの忙しさでした。そのあたりの事情はおいおいにお話していきます。

 9月28日にマカ族居留地(地名で言えば、Neah Bay)に、木材や農水産物を活用したマカ族の経済開発に関する相談に行ったときの話です。話というよりは、写真を中心に、シアトルに住んでいる人でもめったに行かないマカ族居留地の風景をご案内します。(マカ族居留地については、「シアトル便り」のU子さんが、「アメリカ最西端のネイティブアメリカン“マカ族”を訪ねて」を書いておられます。)


 Neah Bayはワシントン州(アラスカを除くアメリカ合衆国)で最も北西部に位置しています。北はカナダとの国境になっているファン・ド・フカ海峡に、西は太平洋に面しています。ここに行くには、シアトルからならフェリーでベンブリッジ・アイランド経由でオリンピック半島に渡り、そこから北上してポート・エンジェルスまで行き、後は山道をひたすら西に走ります。この日は、単独ドライブでしたから、私が住んでいるオリンピアからR101(ルート101)でピュージェット湾の西沿いにポート・エンジェルスまで北上しました。オリンピアからマカ族居留地までは185マイル(約300キロ)です。写真はポート・エンジェルスを出て、山道にかかる前の田舎道です。

 Neah Bayに至るまでに、シーキューというリゾート地があります。オートキャンプ場や長期滞在型の施設があり、ヨットハーバーがあります。
 ヨットハーバーのはるか向こう、雲の下に見えるのはカナダ領のバンクーバー島です。この日はすばらしい晴天でした。シーキューを過ぎると後は海岸沿いの山道をひたすら走ることになります。樹木の切れ目からは紺碧の海と空、そしてバンクーバー島を見はるかすことが出来ます。
 日本の海岸線、特に日本海と比べてこの辺りには奇岩が余りありません。でも、地元では”Sail and Seal"(帆とアザラシ)と呼ぶ二つの岩があります。写真の左が”Sail"、そして右が”Seal"です。アザラシに見えない!そうなんです。もともとはこの岩の左側にアザラシの頭の部分があったのですが、崩落して今は胴体部分の半分しか残っていないんです。それでも名前は、やはり、”Seal"。
 オリンピアを出て、オリンピック・ナショナル・パークの東側の山裾を101号線に沿って北に走っている間は、濃霧でしたが、セクイムにつくあたりから青空が見え出しました。ポート・エンジェルスを過ぎて、Neah Bayまでの一本道になる112号線に入った頃には、ぬけるような青空が空いっぱいに広がりました。樹木を通して見えるファン・ド・フカ海峡は紺から碧に変化する水面に青と銀の混じったさざなみを立て、樹木はきらきらと緑に輝いていました。どこまでも透明に光る水と空と木々に囲まれていると、云いようもない孤独を感じます。この孤独は、見渡す限り荒涼とした砂漠の中で、満点の星を眺めながら感じる孤独とは異質なものです。砂漠では、小さな人間を押しつぶそうと挑みかかる荒々しい大自然に対して、唯ひとりで立ち向かう寂しさを感じます。でも、ノースウェスト(アメリカ北西部)のひかり輝き、透きとおるような優しい大自然の中では、私という存在が光にとけ込み、いつしか消えてしまうような不安を感じます。砂漠での孤独はともに戦う友を求め、ノースウェストの美しい自然を前にした孤独は傍にたたずむ友を求めるのでしょう。