9月に学校が始まると、スーパーやパーティ専門店などではこの日のために、早々とハロウィーン・グッズの販売を始めます。
Wednesday, October 31, 2007
今夜はハロウィーン
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Tuesday, October 30, 2007
「世界一やさしい問題解決の授業」のニュース(続き)
前回のブログで、日本には日本の問題解決の授業方法があり、かつてそれは世間の常識だったと思わず書いてしましました。それについての続編です。
(シーン1)
子「おかあちゃん、コショウ出ぇへんわ。」
母「なんでよ?湿ってるん?」
子、トントンとコショウの容器をたたいて中の様子を見る。
子「いや、湿ってないよ。」
母「そしたら出るんとちゃう?もう一度よう振ってみたら。」
子、もう一度容器をさかさまにして力いっぱい振るが、コショウの出が悪い。容器の中を眺めながら、
子「湿ってへんけど、粒が大きいて孔にひっかかって出てけえへんみたい。どないしょう?孔、くぎでたたいて大きいしょうか?」
母「アホやなこと言わんとき。そんなことしたら、入れもんが不細工になるでしょうが。粒の小さいコショウが棚にあるから、それと入れ替え。」
子、棚をのぞきながら、
子「あらへんよ。粗引きコショウの詰め替えしかあらへんわ。」
母「そしたら、コショウをすり鉢でちょっとつぶしたらええやんか。」
子「おかあちゃん、すりこ木見あたらへんで。」
母「すりこ木がなかったら、スプーンでつぶしたらええでしょうが。せやけど、キーキー嫌な音するから、静かにやってよ。」
子「うん、分かった。」
(シーン2)
子「おかあちゃん、コショウ出ぇへんで。どないしょ?」
母「そんなこと自分で考えたら。」
子、もう一度容器を強く振ってみるがやはり出ない。
子「やっぱり、出ぇへんわ。」
母「もう、うるさいな。コショウかけな食べられへんねやったら、食べへんだらええでしょうが。お母さんも忙しいの。出てけえへんだら、蓋とってかけたらええやないの。」
子、だまって蓋を取りはじめる。
母「蓋とって、そのままかけたら出すぎて辛いよ。手のひらにちょっととってからかけるんよ。」
子「ふん、分かった。」
母「あんた、手汚いやんか。外から帰ってきて手洗てへんでしょう。自分で食べるんやからかまへんけど、そんな汚い手にのせたコショウ、入れもんに戻さんといてや。他の人がお腹こわしたら困るからね。」
子「私やったらお腹こわしてもかまへんいうこと?」
母「当たり前やないの。汚い手で食べるんはあんたの勝手やからね。せやけど、私はいややで。他人には迷惑かけんといてよ。」
子「なんちゅう親や。今度からもうちょっとコショウきかせてや。」とぶつぶつと、しかし、主張ははっきり聞こえるよう言いながら手を洗いに行く。
これは今でも親子の間、特に、関西弁をつかう母と子の間で交わされる会話の典型的なものです。この会話には、前回書いた問題解決のための方法がすべて含まれています。問題解決の方法の提示以外にも、解決方法の中には実行できないものがあること(容器の蓋の孔を大きくすると、容器のみばが悪くなる)や、新たに出てきた課題の解決方法、つまり解決手段として十分な手段がないときはその代替物を探す(すりこ木のかわりにスプーンを使う)、自立しないと生きてはいけない(少なくともお腹をこわすかもしれない)という教え、すぐに反論せず適当なタイミングで自分の主張は必ずする(今度からもうちょっとコショウきかせてや)など自立の勧めや応用力(ソーシャル・スキル)の教えが含まれています。
こんな場面は日常生活ではいくらでもありましたし、今もあります。これが問題解決のための日本の伝統的な授業といえます。学校で教えるのが悪いとは思いませんが、わざわざ学校でやるようなものでもないのではという気もします。まあ、学校でやる問題解決の授業は、オフ・ザ・ジョブ・トレーニングのようなもので、親子が毎日繰り広げるさまざまな会話や言葉のやり取りは、オン・ザ・ジョブ・トレーニングと言えます。
問題解決やソーシャル・スキルを教えているアメリカの学校でも、父兄に配る手紙には、「学校での授業だけでは不十分です。家庭で親/両親が子供と色々な会話をし、一緒に考えていくようにするのが一番良い方法です。実行してくださることを強く願っています」といった趣旨のことが必ず書かれています。
Posted by Ginn at 4:28 PM 0 comments
「世界一やさしい問題解決の授業」のニュース
今朝、AZNというフジテレビ系日本語報道番組で、「世界一やさしい問題解決の授業」(渡辺健介著、ダイヤモンド社刊)が30万部売れているというニュースがありました。
このような考え方はアメリカでは小学校の3年生くらいから教えています。問題をいくつかの要素に分解し、それをノートに表として書き、それぞれの解決方法を記入していく。宿題に出され、授業でもみんなで考えるといったものです。私がこのような方法に接したのは、アメリカの大学院に留学した時が初めてでした。(学生は問題解決の方法といった類の分厚い本をいくつか読まされ、その考え方と手法を教授が説明していました。)その時は、「アメリカでは大学院生にもなってこんなことを教わらなければ分からないのか。アメリカの製造業が駄目になってきたのもうなづける」と感じたものでした。(当時はアメリカの自動車産業が日本のメーカーに追い上げられ衰退を余儀なくされていて、デトロイトなどでは日本車をハンマーで叩き壊すキャンペーンがある一方で、日本のQC運動などに学べという議論が盛んだったのを覚えています。)
アメリカ式思考方法や方法論を述べた本が日本で30万部も売れるというのは正直言って驚きです。アメリカ教育における常識的な内容が、日本では教えられていないということが驚きの理由ではありません。以前は日本では常識だったことが、いまや日本では学校や職場で学びなおさなければならなくなっているのが驚きなのです。かつて日本はこのような問題解決のための思考方法や手法を十分に持っていて、上述したQC運動や、今なおアメリカで読まれている「現場改善」や「看板方式」を生み出したのに、今、その根底が失われようとしているということでしょうか。
一昔前には常識だったことが、なぜ、今、と考えてみると、その常識がこの四半世紀の間に育った人々には家庭でも学校でも職場でも伝えられていなかったことを意味しています。著者の年齢は31歳。彼がハーバードのビジネススクールで学び、マッキンゼーに勤務していた間に新鮮に映ったこの手法を書物にまとめ、人々の間に共感を呼んでいるということはこの年代の人々を中心に、今までの日本の教育で失ってきたものがあると云うことです。
何が失われてきたかはひとまず置くとして、「問題解決の授業」が改めて人々の関心を呼んでいることの問題点は、その先にあります。(この現象は、日本社会の「マニュアル化」を示しているように思えるけれど、この件も今日は触れません。)それは応用力の問題です。今、日本社会に求められているのは、応用力なのです。もちろん問題解決の手法が身についてなければ、応用力が発揮されることはないけれど、問題解決だけが身についていても、応用力がなければそれを実行し、現実の解決をもたらすことが出来ません。応用力というのは、判断力であり、実行力であり、交渉力です。
さっきのコショウの例で言えば、ラーメンをすするカウンターのお客からクレームが出た場合、その場で取れる問題解決の方法(応用可能な方法)は、考えられた限りの解決法から選択するなら、コショウの粒を小さくすることくらいです。
コショウの粒を小さくしなくても、目打ちか何かで、孔をその場で大きくすることも出来るだろうけれど、あまりスマートな方法ではありません。
あるいは、女将さんが、「お客さん、どうもすみませんねぇ。ちょっと、かしてくださいな。」といって品を作りながら客の横に行って、コショウの容器をおもむろに手に取り、蓋をはずしてきれいな手のひらにコショウをとって、「これくらいでよろしいですか?」と言いながら、ほっそりとした白い指でパラパラとお客のラーメンに振りかける。そして客の目を見てにっこり笑う(と最高かも)。この方法は、女将さんの容姿に大きく依存します。お客が「ゲェッ」と思うような太目の指の持ち主などは、この方法をとるべきではないでしょう。ラーメン屋の主人が同じ事をやっては気色悪い!です。いくら絶世の美女で、白魚のような指の持ち主でも、洗い場からエプロンで手を拭きながら出てくるところを客に見られてはいけない、など「べからず集」は色々ありますが。
町のすべてのラーメン屋にこんな条件を満たした女将さんがいることはないし、いてもラーメン屋でクラブまがいの接客をする必要もありません。だから、順当な方法は、「あ、お客さん、すみません。ちょっと待ってください」といって、厨房の隅で、コショウをすり鉢に入れて、ゴリゴリとやり、粒を小さくして容器に戻し、確実に出るかを確認してから、「どうも、お待たせしましたといって出すといったあたりになります。
え、すり鉢がなかったらどうするか、ですか。その場合は、「お客さん、うちのラーメンは味が勝負なんだ。コショウなんか振りかけて食べてもらいたかないねぇや。」(関西弁だと、「お客さん、うちのラーメンは味が勝負でっせ。コショウなんかかけて食べんといてもらえまっか」と居直るほかありません。まあ、その客が怒って二度と来なくなってもいいという戦略的判断に基づいてのことではありますが。
アメリカの小学校では、判断力、実行力、交渉力を含んだ応用力を「ソーシャル・スキル」という形で低学年から教えています。そのうち、日本でも、「問題解決の授業」と平行して、「応用力の授業」(ソーシャル・スキル)も必要になるのでは?
あー、美味しいラーメンが食べたいなぁ!!
Posted by Ginn at 12:10 PM 2 comments
Monday, October 15, 2007
マカ族居留地訪問
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