Sunday, February 10, 2008

ポート・タンゼントへ(その3)―「花園」(蕎麦の店)

 親切なマービンも仲間と昼食に行ったし、そろそろお腹も減ってきたので、オリンピアを出るときから楽しみにしていたラーメンを食べに行きました。シアトルからでも約2時間はかかるポート・タウンゼントに日本人がやっている蕎麦屋があるんです。その上、美味しい!

 あっ、蕎麦屋さんの話をする前に、ポート・タウンゼントの写真をどうぞ。残念ですが、時期的には雨季ですから曇り空で、ヴィクトリア朝時代の建物もなんとなくくすんで見えます。夏場はそれは美しいところですが。














 お昼を食べる前に、同じブロックにある知り合いのブティックをのぞいたら、ご本人がいたのでちょっと立ち話。Mikoさんといって沖縄の出身です。彼女はミーティングで会うことになっているキャサリンさんの義理のシスターです。キャサリンさんの兄さんのスティーブの奥さんです。「明日から日本へ行くのよ。だから、忙しくって。」と言ってました。

 ここが蕎麦屋の「花園」。蕎麦屋といっても、日本蕎麦だけでなく、丼物もありますし、中華ソバ(ラーメン)やチャンポン麺もあります。この店は、Yokoさんという日本人女性がやっているお店です。彼女の苗字が、花園なので、お店の名前も「花園」と言います。ハナゾノ・ヨーコ。何となくアニメキャラの名前のようですが、本名です。写真ではよく分かりませんが、ご本人も目が大きくて美人です。やっぱりアニメキャラになるかも知れません。

 ところでお味の方ですが、先ほども書いたように、これがまた美味しい!。もちろん、お世辞抜きでの話です。観光地といえども、日本人が数人しかいないワシントン州の田舎町で、女性一人で頑張って、日本の本物の味を提供しているヨーコさんにはいつも感心しています。お店を始めた当初は大変だったようですが、いまではひっきりなしにアメリカ人客がやってきて、食べ終わった後、ヨーコさんに声をかけて出て行きます。お馴染みさんなんでしょう。

 本当に日本の女性は強い!これはアメリカのあちらこちらで日本人女性を見かけるたびに感じることです。以前、ロサンジェルスからグランドキャニオンに向かう砂漠の道を走り、途中、ネイティブ・アメリカンの居留地で休憩したとき、そこにも日本人女性が一人住んでいるという話を聞きました。ご主人はもうなくなっていて、80歳をこえた今も一人で暮らしておられるそうです。砂塵が舞う荒涼とした居留地で骨を埋めるつもりで一人暮らすなんてことは、男には出来ないという気がしました。私なら、きっと日本に舞い戻るか、少なくとももっと日本人がいる街に移り住みそうです。

 日本からの留学生や研修生を見てもそうです。大学や高校の短期留学(まあ、数週間ですからアメリカ体験)プログラムや本格的な留学、あるいは色々なインターンシッププログラムでやってくる学生や青年のうち約70%から80%は女性です。そして、優秀で逞しいのも女性たちという感じがします。もちろん、男性にもそんな人がいることはいますが、絶対数からしたら超少数派。そして、このような優秀でタフな女性たちは日本に帰らずに、アメリカで就職したり結婚したりします。そうなると、孫子の代にまで影響を及ぼす日本の「頭脳流出」ということになります。日本では女性が本当の意味で活躍できない、社会的貢献が出来ない。もし、日本社会がそのような状態をいつまでも続けていれば、きっと一世代後には活力のない三流国に成り下がっているに違いないと考えています。

 ポート・タウンゼントを訪問されることがあったら、是非、ヨーコさんの「花園」を訪ねてあげてください。どの品も美味しいですが、特に、醤油ラーメンは日本の味に飢えている人にはお勧めです。チャーシュがやわらかくっていい味をしていますし、麺のシコシコ感がなんとも言えません。私はもちろん醤油ラーメンでした。

Hanazono Asian Needle
225 Taylor Street
Port Townsend, WA98368
(360)385-7622

 もう一つお勧めの店を紹介しておきます。ミッシェルとデービッドがやっている、“Elevated Ice Cream”というお店。もちろん、アイスクリーム屋さん。ここのアイスクリームは手作りで、品数も豊富。とても美味しいです。ラーメンを食べた後のデザートに、私はメープル・ウォルナットを食べました。私の大好物なんです。

http://www.elevatedicecream.com/

 市役所での新市長のミッシェルさんやキャサリンさんとの打合せも無事終了。オリンピアへの帰途につきました。

Thursday, February 7, 2008

ポート・タウンゼントへ(その2)-フォート・ウォーデン

 ポート・タウンゼントのキャサリンさんとのミーティングは午後1時からだったので、少し、寄り道をして、フォート・ウォーデン(Fort Worden)の写真を撮ってきました。ここはその名前が示すとおり、昔はアメリカ陸軍の基地があったところです。

 余談ですが、今でもアメリカでは陸軍の軍事基地をFort ○○と呼んでいます。西部劇時代の"fort"(砦)の名残です。オリンピアの近くには有名なフォート・ルイス(Fort Lewis)があります。ここは太平洋をはさんだアジアや中東対応のための一大軍事拠点です。

 太平洋を越えてやってくる船が、ピュージェット湾沿いにあるシアトル、タコマ、そして一番南に位置する州都オリンピアなどに行くためには、カナダとの国境を形成しているフアン・デ・フカ海峡を東に向けて進み、その後、ポート・タウンゼントの町を右に見ながら進路を南に変え、ピュージェット湾をまっすぐに南下しなければなりません。ですから、ポート・タウンゼントはワシントン州の主要都市やピュージェット湾にあるブレマートン海軍基地、あるいはフォート・ルイス(陸軍基地)などの重要施設を外国の艦船から護るための要害で、そこにフォート・ウォーデンが築かれました。

 1897年に建設がはじまり徐々に施設が充実されながら軍事拠点としての役割を果たしていましたが、太平洋戦争で制空権の確保こそが戦争で勝利するために不可欠のものであることが証明され、1953年に軍事基地としての役割を終えました。1955年には連邦政府からワシントン州政府に移管され、ステート・パークとして市民や観光客の憩いの場として再度活躍することになりました。1982年に公開されたリチャード・ギア主演映画『愛と青春の旅立ち』のロケ地であり、1999年秋に女優の吉永小百合さんによる「原爆の詩」朗読の海外最初の地ともなりました。敷地は172ヘクタールあり、当時の司令官や将校宿舎などがそのまま保存、公開されていて、事前に予約すれば、宿泊することも出来ます。

 (写真:上から順に) 

   中央広場とフアン・デ・フカ海峡、元司令官宿舎、元将校宿舎(二戸一になっています)
   そして、現モグラの家!


 この日は何故か親切な人によく会う日で、建物の写真を撮っていると、この施設を15年間管理しているというマービンさんがやって来て、「中を見るかい。俺が鍵を持ってるから。」と元司令官宿舎だった建物の内部まで連れて行ってくれました(どうも責任者のようでした。)台所で写っているのが彼です。












 





























(写真が台所から始まっているのは、「裏口」からはいったからです。マービンさんの後ろにあるドアが、ラッキーな「裏口」 ! 彼はこの後仲間と昼ごはんに行きました。)

ポート・タウンゼントへ(その1)-ちょっとひと休み

 今日はポートタウンゼントへ出張です。この町は兵庫県市川町の姉妹として、5月に開催される「シャクナゲ祭り」やその頃にやってくる市川町の親善訪問団や日本ツツジ・シャクナゲ協会の人々のスケジュールなどについての打合せのためです。

 朝、8:00にオリンピアの家を出て、US101号線をのんびりと北上し、ディスカバリー・ベイ(Discovery Bay)に到着したのが10:00前でした。ポートタウンゼントに行くには、ここから州道20号線に入ります。いつもは止まらずに行くのですが、今日は時間もあるので、ここで一休みしました。昔使われていた列車をレストラン(というか喫茶店)に改造したお店に入りました。以前はなんだか「廃棄物」のような感じだったのですが、ちょっと前に通った折には小奇麗になっていて、どんな処か気になっていたのです。
 やはりきれいになっていました。以前はコーヒーとアイスクリームだけを売っていたのですが、今では色々な種類のサンドイッチやピザも売り始めたようです。店のおばさんにカフェラテとブルーベリーマフィン(あわせて2ドル71セント)を買いながら「きれいになったね。メニューも増えたし。」というと、「もちろんよ。息子が帰ってきてメニューも増えたの。今では食事も提供しているわ。」と嬉しそうに話していました。メニューを見ると確かにサンドイッチが15種類、ピザが13種類(各12インチと16インチのサイズがある)

 先頭が機関車、最初の車両(緑)が食事をする場所、二番目の車両(黄色)がキッチン(関係者立入り禁止のサインがあって中で、ひげを生やした息子が仕事をしている)、最後の車両(赤と水色)で食事を買うようになっています。真ん中にある黄色の車両はイリノイ州を走っていたもので、機関車も入れて他の車両は全部カナダで走っていたものだそうです。その裏にッピンクのCandy Depoというのがあって、ここでは色々なお菓子を売っています。 お店の人も親切で、私が緑の車両でマフィンをかじっていると、「寒いだろう」といって、電気ヒーターを持ってきてくれました。このブログはヒーターにあたりながら、パソコンを立ち上げて(コンセントから電気も頂いて)書いています。

今気づきました。なんと、ここはインターネットの「フリースポット」になっていて、無線モデムでつながります。54mbps出ています。オリンピアやシアトルのスタバやタリーズなどと同じです。驚きです!今、日本から携帯に電話があって、ブログはここで一休み。ラテを飲みながらお店の人と話してきます。

 このDiscovery Bay Railroad Parkというお店は、前の所有者から買い取ったもので、今年の6月で丸二年になるそうです。先ほどのおばさんがお母さん、そして息子二人と奥さんでやっています。話してくれたのはJasonという兄さんの方。昨年の夏は忙しかったけれど、今年はそれ以上になると言ってました。お母さんは明日からハワイへ休暇で行くそうです。やはり、儲かってるんでしょうね。

 

Saturday, February 2, 2008

春はもうすぐ

 ここに来てオリンピアの気候も例年並になって来ました。例年並ということは、夏場の半年は晴天、冬場の半年は曇と雨という日々に戻ったということですが。でも、もう2月ですから、空一面をおおっている雲の厚さも薄くなり、うすい灰色から乳白色をしています。これが真冬は黒に近い灰色なんですけど。

 明日訪問する友人のお嬢さんに日本のお菓子をお土産に持って行こうとシアトルまで買出しに行ったのですが、途中、ネスクオリー・バレーの榛の木の芽が出はじめたようで、うっすらと緑色を帯びていました。それに先日買ってきた窓際のヒヤシンスも花が咲き始めました。今、私の横でよい香りをただよさせています。ヒヤシンスの花が咲くとオリンピアの春はそこまで来ています。あと1週間から10日もすればクロッカスが咲き始め、それに続いてラッパズイセン(daffodil)が咲きます。そうなるともう春!あらゆる花がいっせいに咲く季節になります。

 明日はワシントン州の東端の街、スポケーンに仕事で出かけるのですが、その途中でCheneyという町によってEastern Washington State Universityでコンピューターサイエンスを教えている友人を訪ねるつもりです。彼の奥さんは中国系のマレーシア人で、料理が大変上手ですから、3時ごろたどり着けば手作りの肉まんが食べれるはずです。この一家は、食品の安全性にも大変気を使っていて、わざわざ麦茶も手作りしてるくらいですから、ここの肉まんは絶対安心です。具には吟味されたオーガニック素材が使われていますし。

 肉まんは楽しみなのですが、そこに至る道中が大変そうです。通常は、シアトルからI-90(アイ・ナインティ)という州際道路(日本の国道)をまっすぐ東に450キロほど行けば着くのですが、現在、この道は、スノクオルミー峠(Snoqualmie Pass)の辺りで雪崩が発生していてエレンズバーグ(Ellensburg)という町まで、ここ5日間通行止めになっています。(地図中央の赤線の部分)。表層雪崩でしょうから、それも春が近い証拠かもしれません。この道は東海岸のボストンまで一本道でつなぐ幹線道路なのですけど、今も不通ですから、エレンズバーグまで迂回路を通らなければなりません。

 この迂回路というのが、日本では考えられない距離の迂回になります。ワシントン州の太平洋側にはカスケード山脈が南北に走っていて、この州の地形を東西に分断しています。この山脈の最高峰が、4千メートルを超えるレニア山です。この山脈を東西に越える峠はそんなにありません。I-90のスノクオルミー峠が通れないと北のスティーブンス峠(Stevens Pass)か南のホワイト峠(White Pass)を越えなければなりません。シアトルを起点考えれば、スティーブンス峠経由では約70マイル(約110キロ)、ホワイトパス経由なら約110マイル(約180キロ)の迂回になります。神戸から静岡に行くのに、米原から敦賀まで迂回して北陸自動車道経由で東名高速に戻り静岡をめざすようなものです。ほんと、アメリカは広いです!

 私はシアトルよりは南のオリンピアにいますから、I-5から州道12号線(地図の緑に塗った道路)を通り、ホワイト峠を抜けてYakima経由でエレンズバーグに出て、I-90にのりスポケーンに行くつもりです。途中、山間を通るローカルな道ですから、面白いブログネタに出会うかもしれません。