Monday, July 28, 2008

雑談

 先週の日曜日(7月20日)にピッツバーグから帰ってきました。ピッツバーグのことを書こうと思いながら、バタバタとした日を過ごし、未だに書くことができません。そのうちにシリーズものでも書きます。

 先週はいろいろな集まりがありました。まず、月曜日には”Young Leader Program”のレセプションがありました。これは「米日財団」というニューヨークに本部がある財団が、毎年行っているもので、将来、両国の指導的な地位につくだろう若い(といっても40歳台の人もいる)人々を選んで、相互に交流してもらうプログラムです。政治、経済、官庁、マスコミ、大学、芸能、芸術など様々な分野の人々が日米双方から選ばれて今年もシアトル市で環境やサステイナブル・ソサエティなどについての討論会やセミナーなどに参加ししました。 挨拶に立ったニクルス・シアトル市長によれば、ブッシュ大統領は京都議定書の数値目標に署名することを拒否していますが、アメリカでは800以上の都市が京都議定書に基づいた数値目標を定め、その実現に努力しているそうです。シアトルもそのひとつ、「ブッシュのアメリカ」とは違う、アメリカの一面です。この辺りが、アメリカの面白いところです。(写真:挨拶するニクルス市長、左端が難波日本国総領事)

 木曜日には、日米協会の85周年を祝うレセプションがありました。シアトルの日本関係の社会は狭く、日本に関係するイベントや会合が開かれると半分以上は同じ人に出会います。この日も顔見知りの人たちとワイン片手におしゃべりをしました。

 金曜日は、JETプログラムの壮行会でした。JETプログラムというのはご存知の方もおられると思いますが、日本の文部科学省と外務省が行っている事業で、英語のネイティブスピーカーを、日本の中学や高校に英語教師補助とし派遣するものと、市役所や県庁に国際交流員として派遣する二つのプログラムがあります。国際交流員として日本へ行くためには、かなり高度な日本語能力が求められます。市役所や県庁で日本語の文章を読み、書き、話さなければならないからです。

        (写真:難波総領事と談笑するクリスティとインターンのYuko)

 今年は、ワシントン州から70名あまりの人々がJETに選ばれて先週土曜日に東京へ向けて発ちました。東京で3日間研修を受けたあと、全国に散っていきます。私の事務所でインターをしてくれていた、マイケルとクリスティが国際交流員に選ばれました。マイケルは千葉県館山市、クリスティは青森県青森市に行きます。もし、館山市や青森市の方がこのブログをご覧になったら、市役所で、是非、二人に会ってやってください。二人ともとても日本語が上手です。特に、クリスティなんて電話で話したら、日本人だと思うくらいです。今回、ワシントン州から国際交流員で行くのは、この二人だけだということからも彼らの優秀さが分かってもらえると思います。           (写真:総領事公邸の庭で語り合うJETたち)

 昨日の日曜は、丹波市から姉妹都市のケントとオーバーンにやって来た4人の中学生と、今度、この二つの市から丹波市へ行く9人の高校生、そしてホストファミリーや姉妹提携委員会の人々が交流する夕食会にインターンのYukoと一緒に出かけました。場所は、オーバーンにある”Longhorn Barbecue”というバッフェ(バイキング)スタイルのファミリーレストラン。名前のとおり、リブのバーベキューを中心としたアメリカン・フードが売り物のお店でした。この日は、ケントとオーバーンの両方の市長が出てきていました。(写真のブルーの服を着ているのが、クーク(Cooke)ケント市長、その向かえで緑のジャケットを着て座っているのが、ルイス(Lewis)オーバン市長)

 それにしてもアメリカのこのような集まりは、本当にカジュアルですね。ワシントン州は東海岸に比べて特にその傾向が強く、市長が出てくるようなレセプションでも、もちろん「ノーネクタイ」、「ノードレス」。いやそれどころか、一般的に言って、ポロシャツOK、セーター ノープロブレム、Gパン、Tシャツ、ウェルカムといったしだい。ここまで来ると、カジュアルと普段着の区別などありません。でも、色のセンスがいいでうすね。みんなそれぞれの個性に合った色合いの服を選んできているように思います。 余談ですが、こんなパーティにも、コーチのバックは似合うんです。シャネルやビトン、グッチなどは浮き上がりますけど。さすが、アメリカ生まれのコーチです。それはともかく、このカジュアルさ、日本ではなかなか味わえないもので、楽しかったです。

 8月4日から丹波市に行く9人の高校生、日本の暑さは大丈夫やろか?!シアトルやオリンピアの朝夕の気温は15度前後やから、と庭で風に吹かれながら思ったしだいです。

Tuesday, July 15, 2008

宝塚北高校の学生達

 今朝は5時半起床、6時半自宅を出ました。というのも、宝塚北高校の、インターナショナル・サイエンス・スタディーという特別クラスの学生たち40名がワシントン大学や色々な施設で勉強する第一日目で、最初の講義を頼まれていたからです。


 アメリカ人は早起きで、仕事も早くから始めます(そして、早く家に帰ります)。だから、シアトルへ入る高速道路のピークは、6時から8時頃になります。この時間帯にシアトル市内をこえて、その北にあるワシントン大学に行くためには、オリンピアからだと2時間から2時間半は覚悟しなければなりません。夜、車がすいている時は、1時間しかかからない(ちょうど100キロですから)のに....9時までにいかなければならないので、2時間半を見て家を出たわけです。

 今日は、2時間でユニバーシティ・ディストリクトに着きました。少し時間があったので、この辺りでは一番美味しいと私が信じている、”Cafe Allegro"(Seattle's Original Espresso Bar, Since 1975)というお店で、ショート・ラテを飲みました。

 学生達に対する90分の講義は、昨年は日本語だったのですが、今年は英語でやるように頼まれました。私に与えられたテーマは、「ワシントン州の概況」(地勢、気候、産業、政治など)というものでした。下が準備した話の項目です。


General Description on Washington State
at Condon Hall, Room 139, University of Washington
on July 15, 2008

1. Geographic Overview
① Area
② Topographic Features
* Western Washington and Eastern Washington
* Latitude and Longitude
③ Climate
*West and East
*Atmospheric Temperature (in Seattle)
④ Population
*Total Population
*Big Cities
⑤ Population Composition
2. Industry
*Fortunate circle of industries….
Primary industry, secondary manufacturing, and tertiary industry...
What is next?
3. Agricultural Products
4. Others
① Government System
Governor, President of Senate and Secretary of State
Legislatures
② Education system
Elementary school, middle school, high school and higher education
③ Sister cities in Japan

 今回、宝塚北高校の学生達に会って驚いたことが2つありました。ひとつは、普通、語学などの海外研修や留学、あるいはインターンにやって来る学生達の8割から9割は女性です。しかし、今回の場合、40名の学生のうち、男性が28名、女性が12名でした。去年とは完全に男女比で逆転していました。これは、この学校だけの現象かも知れません。でも、ひょっとしたら、今の高校生から下の学生達は、英語の修得や海外体験が将来的に必要だということを認識し始めたからかも知れません。例えば、将来の大学への進学やそれに続く就職などを考えると、このような経験を早いうちからして、力をつけておく必要があると考え出しているのかも知れないということです。私には日本での雰囲気は分かりませんので、間違えているかも知れませんが。

 もうひとつは、今までの学生は、英語があまり分からないか、分かってもかなり引っ込み思案なところがありました。でも、今回英語で講義してみて、その内容のほとんどを彼らなりに理解していたと思いますし、ポイントではみんながノートを取っていたのにも感心しました。英語の講義が理解できるということですから。それに、講義に続く質問タイムでは5名の学生がみんな英語で質問しました。自分のしたい質問をメモしていた学生もいたようですが、それでも自分の言いたいことを英語で伝える能力を持っていることを実証したわけです。うれしくなりました。

 みんな頑張ってるんや!

 明日から5日間、ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学に久しぶりに出かけます。ピッツバーグの様子などもお話できればと思っています。

 明日もまた早いんで寝ます。

Sunday, July 13, 2008

ポート・タウンゼントとセクイムへ

 先週の金曜日、事務所のインターン二人と一緒にポート・タウンゼントとセクイムというオリンピック半島の北にある町へ出かけました。インターンたちはシアトルから西には行ったことがないというので、往きは少し遠回りをして、タコマ経由でナロー・ブリッジを渡り、海軍基地があるブレマートン経由でポールスボーまで行きました。ここまで車で約1時間半、コーヒータイムの時間です。ここはノールウェー人が移住して作った町で、その雰囲気が残るダウンタウンは歴史的町並みとして保存されています。3ブロックほどの通りですが、私の好きなチョコレートショップやパン屋、こじんまりとしたキャフェ、レストランなどがあります。こんなところでなら、一日中ぼんやりとして時を過ごすことが出来そうです。


 でも、そんなわけにも行かないので出発。次はポート・ギャンブル。ここにはワシントン州内で一番古い木造ホテルが残っていて、他のいくつかの住宅とともに保存されています。1ブロックだけなのですが、それでもビクトリア様式の家の外観を保存しながら、アンティークショップや本屋などのショップが出来てきました。本当に小さいところですが、オリンピック半島を訪れる人の多くが足をとめるところです。

 後は、フッド・キャナル・ブリッジを渡って、ポート・タウンゼントまで一気に走りました。ビクトリア様式の建物や住宅が今でも保存されているこの美しい町は、私の事務所の隣にあるワシントン州フィルムオフィスが盛んに映画撮影のロケ地としてプロモーションしている場所のひとつです。いままで、この町を舞台に色々な映画が撮影されています。主なものをあげますと、

1982年 『An Office and a Gentleman (邦題: 愛と青春の旅立ち)』 リチャード・ギア主演映画。Fort Worden、The Tides Inn、The Town Tavern などで撮影



1999年 『Snow Falling on Cedars (邦題:ヒマラヤ杉に降る雪)』イーサン・ホークと工藤夕貴が共演。 (ノースウェスト出身の作家デビッド・グターソン原作の同名小説の映画化)。ポート・タウンゼンドの古いフェリー乗り場などで撮影。

2001年 『Farewell to Harry』ギャレット・ベネットが撮影。(ベインブリッジ島出身の作家・監督。彼の祖父母がポート・タウンゼンドで育った。)

2002年 『Enough』 ジェニファー・ロペスとビリー・キャンベルが共演。ポート・タウンゼンドのWater Street でのカーチェースや、ロペスがメモリアル・フィールドでジョギングをするシーンなどが撮影された。




 昼食は、Kaoriさんがやっているソバのお店、「花園」で食べました。彼女は空港まで人を送って行っていて会えませんでしたが。私はKaoriさん手作りのチャーシューが入った醤油ラーメン、インターンたちはチャンポン麺。本当は醤油ラーメンを注文したのに、間違えられました。でも美味しかったそうです。

 その後、前の市長で今はPeninsula Collegeの理事をやっているJulieとPort Townsend市に勤めているCatherineに会って、頼まれていた大学提携の相手先や花の輸出方法などの話をしました。場所は、Julieがご主人とやっているElevated Ice Cream Shop。もちろん、アイスクリームをほお張りながら.....。

 続いて行ったのは隣町のSequim。途中の休憩は、ディスカバリー・ベイにあるDiscovery Bay Railroad Park(2008.2.1のブログを見てください)でカフェラテを。

 セクイムがラベンダーの町としてはよく知られていますが、かつての大西部劇スター、ジョン・ウェインが別荘を持っていたという話を知っている日本人はまだ少ないと思います。いまでも、何人かのハリウッドスターが別荘を持っています。

 この日は、Jardin de Soleil というラベンダーショップを訪問しました。その後、兵庫県の宍粟市が寄贈した日本庭園を見学し、早めの夕食にGalare Thai Restaurantで、その名のとおりタイ料理を食べました。この店は、ハリウッドスターも姿を見せるという噂がある店で、密かに期待したのですが、スターらしき人は店内に見当たりませんでした。 後は、ベンブリッジ・アイランドまで一気に走り、フェリーに乗ってシアトルへ帰りました。

 英語力を少しでもアップしたいという希望もあり、この日は一日中、みんなが英語で通しました。町の説明や仕事の話はともかく、恋愛論や日本のタレントの話を英語でするのはなかなか骨の折れるものだと改めて分かりました。私はラグビーをやっていたので、ESSなどの活動は知らないのですが、何だかクラブで特訓されているようでした。でも、楽しかったし、ほんと、いい勉強になりました。どうもありがとう。 

 他にも色々写真も撮ったのですが、全部アップできませんので、中段にあるスライドショーにまとめました。
(写真上から)
1.ポールスボーのCheker's Cafe & Ice Cream
2.アレーが見える大好きな窓際の席(おっちゃんが座っていたので座れず!)
3.ポート・ギャンブルで。インターンと後のおばさんの服装の違いに注目。インターンはショールやカーデガンを着ていますが、おばさんは半袖。真夏にシアトルへ来られるときにも、日本人にとっては薄手の長袖は必携です。
4.ポート・タウンゼントの空を見つめる?カモメ
5.ソバの店、花園。
6.夕食を食べ終わって...

Saturday, July 12, 2008

フェトゥチーネ・アルフレッド(スモークサーモン入り)

 今日は久しぶりにゆったりとした時間を過ごしています。今週末まで、日本から人が来たり、出張があったりで多忙でした。来週はまたピッツバーグへの出張があり忙しくなりますけど。
 しばらくの間は、作り置きのビーフシチューだとか、冷凍ご飯をチンしてお茶漬けを食べるとかという生活が続いていましたので、今日の夕食はちょっとまともなものを作って食べることにしました。スモークサーモン入りのフェトゥチーネ・アルフレット。それに野菜もちゃんと食べないといけないから、グリーンサラダ付きです。ドレッシングは、手を抜いて、この前シアトルの日本料理シェフからもらった特性ゆず味噌ドレッシングを使いました。
 こんな天気のいい日に部屋にこもってパソコン叩いていると、精神状態にも良くないので、食事場所はバックヤードのデッキです。

 それに先週末まで3日程泊まって行った友人が飲み残したワシントン州のHogueというワイナリーが醸造したシャルドネを少々飲むことにしました。ワインにしろビールにしろ、家で独りで飲むことはほとんどないのですが、たまにゆったりした時に飲みたくなることがあります。

 ワインといえば、留学していた頃は毎晩飲んでいて、日本に帰国した直後、夕食時に家の冷蔵庫を開けて、ワインがないのに気づき、「あれ、なんでワインがないんや。飲みたいなぁ。」と思ったことがありました。ひょっとしてあの状態が続けば、アル中になっていたかも.....(笑)。でも、パスタにワインはよく合うと思います。

 空は真っ青、木々はきらきらと輝いて、風はさわやか(20度Cと少し暖かでしたが)で、料理は美味し(自画自賛)かったし、云うことなし。ご馳走様でした。

レニアチェリーを買いました

  つい二日前、うれしいことがありました。久々にブログにコメントがあり、それだけでもうれしいのに(笑)、なんと近くに引っ越してこられた日本人の方からのものだったので、二度うれしい、思いをしました(前回のブログ「連休中に考えたこと (Sunday, July 6, 2008)」のコメントを見てください)。  
早速メールもやり取りしています。私のブログにもリンクを張りました。OBA*A*1908のOrient Expressです。推理小説みたいなタイトルですが、中身はそうではありません。是非、訪問してみてください。
 
 さっき、Port of Olympia(オリンピア港)周辺を散歩してきました。オリンピア港はピュージェット湾(Puget Sound)の南端に位置していて、ここからは北の方向に、まだうっすらと雪を残したオリンピック山脈が見えます。東にはレニア山もよく見え、カモメものんびりとした顔をして港にとまっていました。
 
 帰りにファーマーズ・マーケットに行ったら、Obama大統領候補のキャンペーンテーブルが出てました。ワシントン州は民主党が強いところですから。
今日のファーマーズ・マーケットは、Strawberry Festivalの日だったようです。といっても、別に、祭りがあるわけではなく、貧困者への食費の寄付を集めるボランティア活動の一環で、今日は、イチゴケーキを売っていました。日本でなら、「イチゴ・デー」とでも呼ぶようなものです。
  それに観光馬車が出ていました。今日などは乗ると気持ちがいいでしょうねぇ。これはカナダのビクトリアでやっているものをレベンワースやシアトルがまねだし、去年からはオリンピアでも始まりました。

 しばらく、ステージのブルーグラス演奏を聞いた後、レニアチェリーとキングサーモンのカマの燻製を買ってきました。レニアチェリーは1ポンドが4.99ドル、キングサーモンのカマの燻製は6.50ドル(去年までは5ドルだったのに)でした。1ポンドは約450グラムです。レニアチェリーはこの辺の特産で、粒も大きく、プリッとした歯ごたえと噛んだときのみずみずしさが特徴です。一般にアメリカンチェリーと呼ばれているビング種(ダークチェリーと普通は言います)とは比べ物にならないくらい甘いです。これを2ポンドちょっと(約1キロ)買っても11ドル95セント(1300円くらい)です。日本でも通販で売っていますが、店舗では見かけません。
 
 今日のファーマーズマーケットはすごい人出でした。そうそう、アメリカって粗雑なように見えるんですが、割ときっちりしたところもあるんです。例えば、人ごみを歩いていて誰かが私にちょっとでも触れる(お互い様ですから、私が相手に触れたということでもあるんですが)と"Excuse me." とか"Sorry"と言い合います。ちなみに、相手が先に言ったら、こちらも、ちゃんと「こちらこそ」と言わないといけません。その時は、「エクスキューズ ミー」の「ミー」を強く発音します。「私の方こそ」というニュアンスです。
 これは日本へ行っても経験しないことです。人にぶつかっても、一言もいわないで行く人ばかりです。少し触れただけなど問題外で無視といった感じです。これって、失礼じゃないですか?レストランでも、お水やコーヒーをついでもらったり、料理を持ってきてもらったら、必ず、"Thank you."といいます。舌足らずの子供だってちゃんといいます。こういった点では、アメリカ人の方が礼儀正しいと思っています。

 人にぶつかって、あるいは触れただけでも、「すみません」というのは礼儀の問題なんですけど、その根底には、プライバシーに対する日米での意識の違いがあります。アメリカでは、人の身体というのはその人の持ち物です。まあ、当たり前です。もちろん、日本でも当たり前です。そして、身体というのは精神と同様、その人の存在(アイデンティティ)、つまり、尊厳そのもので、「何人もこれを侵してはならない!」ものです。日本でも法律ではそうなっていますけど、文化ではそうなっていません。最近では、酔っ払っていてもいなくても、女性の身体に触れたらセクハラだといって訴えられますよね。でも、これってセクハラとかいう以前の問題でしょう。女性が見知らぬ男性に触れても、同性が理由もなく同性に触れても、親が可愛いからといった理由で子に触れても同じことです。「気色悪い、さわらんといて!」って叫ぶのは、尊厳の問題だと思っています。だから、ちょっと触れただけでも、アメリカでは「失礼」とか「すみません」って言うんです。でも、あまり「さわらんといて!」だけでは殺伐としてくるし、ハグも出来なくなるから、アメリカでは触る、あるいは触らせてもらう(笑)前に、言葉(もちろん態度でも)でそれなりの手順を踏む訓練が行き届いています。まあ、見ようによっては「口がうまい」ということでもあるんでしょうが。こんなこと書いてると、レニアチェリーからどんどん離れますね。いずれ、どんな風にしているかも書いてみたい思いますが、今回はこのへんでやめます。 ブルーグラスの演奏を楽しんでください。

Friday, July 11, 2008

The Perfect Summer

ワシントン州の美しい夏の水辺と花をお楽しみ下さい。

Sunday, July 6, 2008

連休中に考えたこと

最近、シアトルにある私の事務所でインターンをしてくれている日本人学生やあちこちの大学で出会う日本人留学生を見ていて気づいたことがあります。それは、これらの学生達のほとんどが裕福か裕福ではないにしても、子供を留学させるだけの資力を有している家庭の出身者だということです。例えば、ワシントン大学に一年留学するとなると学費や生活費だけでも百万円単位の費用がかかります。学費が少し安い他の州立大学でもかかる経費は似通ったものです。中には会社勤めをしてお金をため、自費で留学するような人もいますが、このようなケースは例外中の例外といったところです。つまり、親が金持ちかある程度の資力を持った家庭の子供しか海外留学できないわけです。いくら勉強が出来ても、頑張って英語を勉強してもお金がないので留学できない。留学できなければ、昨今の就職ではハンデを負うことになります。ひょっとしたらこのような若い人たちが、今の日本にはいっぱいいるのではないか、定かな統計があるわけではないけれど、いるに違いないと感じています。

 日本が貧しかった頃、そう、戦後すぐの昭和20年代から、島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間文庫)で描かれている30年代、一部のお金持ちを除いてはみんな貧乏でした。いや、本当に貧乏だったかどうかは別として、ほとんどの人が、日本は貧乏だ、私は金持ちじゃないと感じ、頑張らなくちゃと思っていました。この時代にアメリカに留学した人たちの大半が苦学生でした。日本で一生懸命勉強して、どこかの奨学金をもらっても、それだけではアメリカで生活できないので、毎日クラッカーだけをかじって生活した人、レストランで皿洗いをしながら大学を卒業した人、あるいは、墓堀人夫までしてアメリカで暮らした人....色々な人の自叙伝や体験記を読むとそんな話が山ほど出てきます。なんでそこまでして頑張れたのか。本人の意思の強さや向学心があればこその話ですが、別の理由としては、そうやって頑張るのが日本でも当たり前だったからでしょう。日本にいる時から貧乏だったのですから。日本でも皿洗いどころか道路現場でモッコを担いで土運びをしたり、港で沖なかしをしたりして、少しでも見入りのいいアルバイトをしていたからです(現在の日本ではこんな仕事は近代化でほとんどなくなりましたし、あっても東南アジアや中近東、南米などからの留学生や不法移民が肩代わりしています)。

 確かに、日本は豊かになりました。でも、日本にも相対的貧乏人といえる日本人は多くいます。特に、グローバリズムの波を受けて、アメリカ流の競争原理が導入され、終身雇用制が壊れ、リストラが一般化した現在では、急速に相対的貧乏人が増えていると感じます。日本政府が最近発表した1,000万人移民受入れが実現すれば、もっと日本人の中でも貧乏人は増えるでしょう。学校では頑張っているけれど、お金がなくて留学できない人たち、リストラで家庭が崩壊し、勉強も面白くなくなってドロップアウトしたけれど、心のどこかでは、何とかしなくっちゃと感じている人たち、そんな人たちでも諦めず、踏ん張ればアメリカにだって留学でき、それを足がかりにして社会でステップアップして行ける。そんな方法を作り出す必要がありそうです。

写真は、South Puget Sound Community Collegeの風景
(上から順に)
・大学内のバス停
・学生会館横に立つネイティブ・アメリカンの木製立像(伝統的な編み笠をかぶっている)
・大学本部の建物
・これ何か分かりますか? 自転車置き場です。色々な方法を思いつくものですねぇ。