Wednesday, May 20, 2009

新型インフルエンザに見られる日米の違い①

 毎日、インターネットで日本の新聞を読んでいて、豚インフルエンザ(新型インフルエンザと呼称が変更された)に対する日本とアメリカの違いに驚かされています。というのは、アメリカでは、今回の新型インフルエンザは通常の季節性インフルエンザと大差がないとの判断から、もう2週間ばかり前から通常の対応に切り替えています。新型インフルエンザという呼称に変わったのも、鳥インフルエンザとは違い、豚固有のウイルスから変化したというよりは、きわめて人型インフルエンザに近いとの判断からです(米国疾病対策センター(CDC)の担当医師は、「今回の豚(swine)インフルエンザのウイルスは豚(pig)のにおいがしない。豚固有のウイルスなら豚のにおいがするはずだ」と記者会見で記者に向かって冗談を言っていました。

 こんな冗談もでるくらいですから、日本で起こっているような大騒ぎはまったくありません。学校も正常、店も正常、会社も工場もいつも通り。映画館は週末は満員ですし、人気のあるレストランは1時間待ちの列が出来ています。パレードも各地で花盛り、もちろん、マスクをかけている人なんていません。アメリカではウイルスを持っている重病患者が他人に迷惑をかけないように、出歩くときにマスクをします。でも、重病なのだから、そんなにまでして出歩く人はいませんから、マスク姿の人はいないのです。

 今回の新型インフルエンザへの日本政府の対応には大きな問題があると思っています。そんな中、兵庫県の井戸知事は23日にも休校措置を解除する方向で検討するとの記事を見ました。また、大阪府の橋本知事は国に対して今回の新型インフルエンザが低毒性のものであることを認めるように抗議したとの記事もありました。私のふるさとである兵庫県や隣の大阪府に、マスコミや世論の批判が予想されるにも関わらず国に対しても自己の信念に基づいて意見を言うことを辞さないリーダー達がいることはうれしいことです。

 それはともかく、今回は、アメリカの実情を少し調べたので、以下にアップしておきます。

米国における新型インフルエンザの対応状況

 5月19日(米国太平洋時間)現在、米国では、新型インフルエンザ患者の発生は22州(全米50州)では州内の一部地域に限られているが、患者の発生は全国的に広がっている。特に集中的に患者が出ているのは、アリゾナ州、カリフォルニア州、テキサス州とニューヨーク州である。米国疾病対策センター(CDC)によると、アメリカ国内で確認された新型インフルエンザ患者は、4,469人、死亡者は6人である。

 全国集計によれば、入院処置を受けたのは173人で、そのほとんどが5歳から24歳までの若者であった。現在、新型インフルエンザの発生は同時に、かつ幅広い地域で起こっているためCDCは患者数を注視し続ける意向である。


 CDCは世界健康期間(WHO)と協力して、新型インフルエンザのウィルス変化を調査しているが、今のところは変化を確認していない。100人のCDCスタッフが各地の現場で働いており、新型インフルエンザ検査器具は全50州と107カ国のラボへの配布を完了した。

 米国においては、新型インフルエンザ患者への対策は連邦政府レベルから州政府レベルへ移管されている。

 ワシントン州内の確認件数は、現在410人で、シアトルを含むキング郡が291人、スノホミッシュ郡が76人、ピアース郡が18人、クラーク郡が6人、そして他の地方に2人ずつが確認された。

 CDCからの総合アドバイス

 インフルエンザに似た症状を呈する場合は、自宅療養し、他の人との接触を避けるよう注意する。ただ、症状が深刻な場合は医師に相談すること。家を出る際には、咳やくしゃみによるウィルス拡散を防ぐためマスクを着用し、ティシューは必ずゴミ箱に捨てること。新型インフルエンザに感染した場合は、ウィルスを拡散させないために出来る限り人との接触を避けること。CDCの研究によると、現在のところ、この新型インフルエンザの性質は普通のインフルエンザと同じである。

 水と石鹸で手を良く洗う。特に、咳やくしゃみをした後などには励行のこと。アルコール系の消毒薬を、時に応じて使うのも効果的な対策になる。
 よく触れる物(ドアのハンドル、ボタン、キーボード、リモコン、家電製品など)をよく消毒することが望ましい。
 菌を広めないため、目、鼻、及び口に触れないように注意すること。
 人との接触(2メートル以内)を避けること。
 インフルエンザらいし症状が現れると、7日間、あるいは症状がなくなるまで家で休むこと。出来る限り家族との接触も避けること。
 マスクを着用場合は、マスクを良く取り替え、古いマスクはゴミ箱に捨てること。 マスクは黴菌やウィ ルスを完全に防ぐ事が出来ないので、他の対策も忘れないように気をつけること。

 ワシントン州における新型インフルエンザ対策

 ワシントン州の保健衛生局は疾病予防管理センターと密接に連携してH1N1新型インフルエンザに対応している。現在、ワシントン州保健衛生局は地域の保健機関と共同で新型インフルエンザが原因とみられる肺炎とインフルエンザの症状の動向を監視している。州の保健衛生の研究員は、特にメキシコやその他の感染拡大地域への渡航者のインフルエンザの発症に警戒している。

 渡航者については季節性インフルエンザと同様に手洗い、うがい、マスクの着用、感染の疑いがある場合は自宅療養を勧めるなどの対策が呼びかけられている。

 また、インフルエンザに似た症状がある人には渡航歴などを医師に申告するように促している。疾病予防管理センターによると、2009年5月15日付けで、2009年4月27日よから続いていたメキシコへの渡航延期勧告が注意喚起へと格下げされた。しかしながら、疾病予防管理センターはメキシコに渡航する際は十分警戒するように呼びかけている。特に、5歳以下の幼児や65歳以上のお年寄り、体に何らかの障害がある者には渡航の延期を促している。

 ワシントン州の学校では、新型インフルエンザの感染が確認された場合、感染拡大の防止策として学級閉鎖も検討されている。学級閉鎖の決定は、欠席した生徒の人数とインフルエンザと思われる症状で診察を受けに来た人数が数日にわたって増加した場合に行われる。また、子ども達に手洗い、うがいを指導するとともに、保護者にインフルエンザと疑われる症状が出た場合は子どもに自宅療養させ、他者との接触を避ける事を勧めている。

 企業の新型インフルエンザ対策

  職場の衛生環境を整える
  職員と手洗い、うがいを促す
  手洗い用石鹸、使い捨てタオルや紙、などの準備
  体調不良の職員の自宅療養を勧める
  感染拡大地域への出張が予定されている職員には特別な配慮が必要
  企業が行った対策について職員と顧客の意見交換
  長期欠勤が多数発生した場合の対策についての話し合い

  レストランの新型インフルエンザ対策

  衛生環境の保持
  率直に、そして前向きに職員とコミュニケーションをとる
   政府の対策と計画に注意を払うこと

  ニューヨーク州保健衛生局の最新情報

 先週、ニューヨーク市では一つの学校で新型インフルエンザに感染している生徒を確認し、かつ他の学校でも新型インフルエンザに似た症状が見られたため、クイーンズ区にある10校とブルックリン区にある1校を休校とした。ニューヨーク州保健衛生局は教育委員会と協力し、毎日状況を再評価して休校措置について個別的に決定している。昨日、3つの学校が5日間に休校となった。

 学校を休校とするかどうかを決定するため、ニューヨーク州は様々な報告に注視している。一つは、インフルエンザに似た症状がでて保健室に行く子供の人数についての報告である。もう一つは学校の欠席者に関するデータである。熱やインフルエンザに似た症状が現れている子供達の人数が急に増加し、数日の間続く場合、その学校の他の生徒達の安全を考えて学校を休校とすることを勧告することになる。

 豚肉、又は豚肉が入っている食品を食べても、新型インフルエンザにかかる可能性は全くない。インフルエンザにかかった場合、ウィルスを広めないための最も効果的な対策は自宅療養である。その他の対策は次の通り:

 咳やくしゃみをするときは、必ず手やティシューで口をおおうこと。
水と石鹸で手を良く洗うこと。特に咳やくしゃみをした後は励行すること。アルコール系の消毒薬を時に応じて使うのも効果的な対策になる。
人との接触(2メートル以内)を避けること。
症状は深刻ない限り、クリニックや病院に行かないことが望ましい。病院に行かなければならない場合は、行く前に電話で医者と相談すること。

  学校、そしてビジネスの管理者は病気を広めないため以下の対策を講じることを奨励する。
   休憩室、総合室などを良く掃除して、通風をよくすること。
  病気になった人をすぐ他の人から分離すること。
   病気になった学生や会社員の自宅療養を促すこと。
  衛生対策(手を洗う事、又は咳をする時に口を覆う事)を促進すること。

 テキサス州保健衛生局の最新情報

 テキサス州保健衛生局は、州民にインフルエンザに似た症状がでたからといって、安直に病院の救急外来に駆け込まないような慎重さを持つよう訴えている。断続的に続いている州内の救急病室の混雑は、DSHS(Department of State Health Services)によると、ほとんどが季節性のアレルギーや単なる風邪の患者が原因であると述べられている。

 新型インフルエンザであるH1N1型の初期症状は一般的に華氏101度以上の発熱と咳や喉の痛みを伴う。しかしながら、ほとんどの症例の症状は比較的軽いものであった。
4月にDSHSは、州が継続中の新型インフルエンザの調査でさらに幾つかのインフルエンザの症状に似た症例が発見された場合、Schertz-Cibolo-Universal市独立学校地区にある2つの施設と14校の学校を休校および一時閉鎖とした。すべての課程外もしくは公共の活動は近い将来まで延期されている。

 初期の学級閉鎖の目的を果たすため、学級閉鎖が行われている期間中は子ども同士の接触は避けなくてはならない。

 カリフォルニア州保健衛生局の最新情報

  学校向け
    学級閉鎖は、もはやインフルエンザA型(H1N1)が疑われた場合や確認された場合でも勧告され ない。一般的に学級閉鎖は、教員や生徒の長期欠席により学校の機能に重大な支障が及んだときに限り勧告される。
    咳や喉の痛みを伴う発熱などのインフルエンザに似た症状がでた生徒や教員は、症状の始まりもしくは急に症状が回復するまで、少なくとも7日は治療目的以外の外出は控えること。
   インフルエンザに似た症状が現れた生徒もしくは教員は、他の生徒から即座に隔離し、早退させなければならない。
   保護者は子どもたちの健康に気をつけ、教員たちもインフルエンザの症状がないか自己管理をしなけばならない。
   病気の生徒は学校以外の施設に集まってはならない。

 一般市民向け
   咳や喉の痛みを伴う発熱などのインフルエンザに似た症状がでた人は症状の始まりから7日もしくは症状が回復してから24時間が経過しない限り、自宅療養をし、公共の場に姿を現すことを慎むべきである。
  すべての人は正しい手洗いとうがいの方法を想起する必要がある。
① 咳やくしゃみをする時は手で押さえること。咳やくしゃみが出るときは、使い捨てのティッシュか、ティッシュがない時は腕にする。使い終わってティッシュはゴミ箱に入れること。
② 特に咳やくしゃみをした時にティッシュを使った際は、頻繁に石鹸で手洗いすること。アルコールの消毒液を使うのを勧める。
③ 目や鼻や口に触れることを避ける。黴菌の繁殖を防ぐためである。
④ 咳をしている人からは距離をとること。できるなら、約6フィート(2メートル)は離れること。
⑤ 特に病気の人が使用している用具、歯ブラシ、タオルなどの共有は避けること。
  現時点での情報では、新型インフルエンザが頻繁に流行している地域でのマスクまたはガーゼマスクの着用は効果が期待される。もし急な症状で自宅療養が困難になった場合は、他の人々との接触を考慮して公共の場ではマスクの着用を勧める。もしインフルエンザの患者が公共の場でマスク着用で咳をしていた場合、彼らはそれを公共の場にいる限り着用し続けなければならない

企業向け

   咳をしている人からは距離をとること。できることならば、約6フィートは離れること。
  特に病気の人が使用している用具、歯ブラシ、タオルなどの共有は避けること。
  社員を感染から守るため作業日程や計画を見直す。
  従業員にインフルエンザの症状がでた場合は自宅療養もしくは早退を願い出るように勧めること。咳や喉の痛みを伴う発熱などのインフルエンザに似た症状がでた人は症状の始まりから7日、また熱が出ている状態では職場に復帰することはできない。
  もし可能ならば、電子メールや電話会議などといった直接人と人が顔をあわせる機会を最小限に抑えるように方針を見直す。
  職場全体にティッシュや手の消毒製品が行き渡るようにする。
  社員や来客のアルコール性殺菌剤の使用を勧める。もしアルコール性殺菌剤による手洗いが十分に監督されることができなければ、湿ったナプキンで代用することができる。アルコール性でない殺菌剤は効果的かどうか証明されておらず使用すべきでない。
   すべての共有の場所を清掃すること。ドアノブ、電気のスイッチ、カウンターの上などの表面に接触しやすいところの掃除の頻度を上げる。EPAと書かれた殺菌剤を使用すること。
   施設内にいる人々に「咳をするときは手で押さえる」、または頻繁に手を洗うなどといった人々の注意を喚起する張り紙を入り口、客室、掲示板、会議室、休憩室、お手洗いなど適切なところに掲示する。
  可能であれば、職員、ボランティア、訪問者が出入りする扉や入り口の数を制限する。

以上です。

 最後まで読まれた方は、「なんや、当たり前のこと書いてるだけやん。普通のインフルエンザといっしょやんか」と思われたでしょう。その通りです。季節性インフルエンザが流行したときも毎回同じことを書いています。

Saturday, May 16, 2009

ポート・エンジェルス(A small world! ②)

 ライランドの従兄妹について行くと、時計台(Clock Tower)はすぐに分かりました。時計台と聞いていたので、母校である関西学院大学の上ヶ原の時計台(図書館)とかThe Evergreen State Collegeの時計台(図書館)を想像していたのですが、ペニンシュラ・カレッジの時計台は2階建ての建物でした。こじんまりしていて、なかなか可愛い建物です。

 私の友人のビジネス・パートナーであるジム(Jim)に紹介してもらった、同校のInternational Programの担当者ジーヤオ(Ge-Yao)の事務所はすぐに分かりました。仕事の話に入る前に、まずは、互いの自己紹介、というのがアメリカでのビジネスのやり方ですし、それによって相手の気持ちをつかむのも大切なことです。私もこの定石にしたがって、私の事務所がどんな仕事をしているか(こんな説明をするときの決まり文句は、“Let me tell you what we are.”と言います。他にも言い方はありますが、これで十分通じます)、今回、どんないきさつでJimに紹介してもらうことになったのか(Jimと私の関係)などを話しました。もちろん、ジーヤオも同じような説明をし、彼がなぜ日本語を話すかも説明してくれました。彼が日本語を話すのは電話でアポイントをとった時に知ったのです。それによると、彼は名前でも分かるように中国人で、日本語を習うために名古屋に留学していたこともあるそうです。その後、アメリカに留学してそのままアメリカで就職して暮らしています。彼の奥さんは日本人で、家庭でも日本語で話しているそうです。彼が息子さんと話すときは中国語、だから息子さんはバイリンガルどころかトゥリリンガルに育っているそうです。

 仕事の話はいたって順調に済みました。その他にも、これから一緒に新しい仕事をしていくことにもなりました。ミーティングは簡単に終わり、また、よもや話し。彼の息子さんは現在ペニンシュラ・カレッジに通っているのですが、なんと、2年前のセクイム高校生の時にセクイムの姉妹都市である宍粟市に交換留学生で行ったことがあるとのことでした。「へぇ」と感心していると、彼の奥さんはセクイム-宍粟市姉妹提携委員会に入っていて、色々なボランティアをしているとのことでした。お互いに、きっとどこかで会ったことがあるのでしょうね。

 その後、ジーヤオがキャンパスを案内してくれたのですが、偶然、友達と歩いている息子さんに会い、少し立ち話をしました。セクイムで高校生の交換留学の世話をしているジョンというのは私の親友ですから、彼の名前を言うとやはり息子さんは知っていました。ここでも世間の狭さに驚きました。

どんなめぐりあわせで、ジーヤオや息子さんと会ったかをもう少し説明しないと分かりにくいので、少し、整理しますと、
 
 ジョン(セクイム)は私の親友→私の友人のニール(ジョンの仕事仲間)→ジム(ニールのビジネス・パートナー)→ジーヤオ(ジムの友人の知人)→奥さんと息子→ジョンの知人

となるわけです。

 今回のポート・エンジェルス出張は、世間の狭さに驚かされることしきりでした。

 このミーティングの後、ユニコラボのプログラムで利用するフォート・ウォーデンへ立寄りました。その時の話は、次回のブログで書きます。(続く)

ポート・エンジェルス(A small world! ①)

 ポート・エンジェルスにあるペニンシュラ・カレッジ(Peninsula College)へ行ってきました。この夏に「ひょうご大学連携推進協議会」(長ったらしい名前なので、私は、英語名を略して、「ヒョウゴ・ユニコラボ」Hyogo Unicollaboとか「ユニコラボ」Unicollaboと呼んでいます)が実施するプログラムの打合せのためです。この海外派遣プログラムの中の「Phase Ⅱの問題解決型プログラム」で教えてもらう英語のインストラクターについての相談に行ってきたのです。

 このブログにもリンクを張っています。右欄外の「ネットワーク」の一番上にある、「Hyogo Unicollabo」をクリックするとこのプログラムのサイトへ飛んでいきます。

 オリンピック半島は晴れ。オリンピアから例によって、トコトコとRoute 101を北上して行きました。今回は、地図をつけました。ピンク色の線がその時のコースです。

 余談ですが、地図の右上あたりに赤の×印がついているところが、フード・キャナル・ブリッジです。シアトルからこの半島へ行くには、フェリーでベンブリッジ・アイランドかキングストンへ渡ります。タコマ辺りからだと、ナロー・ブリッジという橋を渡ります。どちらのルートも地図で分かるように、オリンピック半島の右端部分を通ります。ところが、この右端部分は、八手の葉のように、根元で半島本体につながっていますが、先の部分は海峡で隔てられています。そのため、シアトルからでもタコマからでも、この海峡を渡らなければ、半島の主要な町へは行けないのです。この海峡がフッド・キャナル(海峡)で、そこに橋が架かっているのですが、これが使えないとなるとオリンピアまで南下して、その後、Route 101を北上しなければなりません。シアトルとオリンピアの距離は60マイル(100キロ)ですから、200キロも余分に走ることになります。神戸から京都へ行くのに、瀬戸内海ルートが使えないから、日本海ルートまで兵庫県を縦断して、丹後半島のつけ根から京都へ入るようなものです。こんなことって、日本では絶対ありえないですが、前も書いたように、アメリカではショッチュウありえるのです(笑)。

 閑話休題。オリンピアからポート・タウンゼントとセクイムにはどちらもちょうど100マイル(160キロ)、ポート・エンジェルスまでは120マイル(192キロ)です。今回は、休憩なしで走りましたが、それでも約3時間かかりました。

(上の写真は、ペニンシュラ・カレッジ駐車場からポート・エンジェルスの海を眺めた景色です。大学は丘を背にしてキャンパスが広がり、駐車場の前は、道を隔てて高級住宅地になっています。)

 ポート・エンジェルスの山手にあるペニンシュラ・カレッジの駐車場へ車を停めて、教えられていた目印の時計台(Clock Tower)を探したのですが、それらしい塔が見あたらないので、通りかかった女子大生に場所を聞くと、自分もそちらの方へ行くから、一緒について行ってあげる、と言ってくれました。話しながら歩いていて、何気なく、ポート・エンジェルスの出身かと聞くと、なんと、マカ居留地の出身だというではないですか。マカは今回のプログラムで予定している場所ですし、友人たちもいます。で、その中でも、先日神戸へ行って説明会でマカのことを話してくれた、ライランド(友人の中で彼が一番若いので、彼女の歳に近いと思ったもので)という友人の名前をいうと、彼とは従兄妹だというのです。おばあちゃんが一緒で、お互い身近に育ったとのことでした。広いポート・エンジェルスの町の大学で、それも駐車場で出会った唯一の学生が、私の友人の従兄妹だなんて、まさに、「世間は狭い」(It’s a small world.)です。 (続く)

Thursday, May 14, 2009

セクイム・イリゲーション・フェスティバル

  先週末、セクイムで行われたイリゲーション・フェスティバルに行ってきました。これは畑に水を引く時期に行われるもので、日本でいわば、田んぼへの水入れと同じようなものです。


 今年は前回書いたように、フード・キャナル・ブリッジが改修工事で閉鎖されているため、シアトルやタコマといった地域からの参加がありませんでした。例年は100以上の団体が参加するのに、今年は30余り、少し寂しいフェスティバルでしたが、それでも通りにあふれる人並みは昨年より多いと感じました。

 私は去年と同様「セクイムー宍粟姉妹提携委員会」のグループに参加、ジョンが運転するオープンカーに乗って、みんなに手を振りながら参加してきました。

 セクイムダウンタウンのメイン通りのWashington Streetに沿ってたつQFCの駐車場。高校生たちがスクールバスで集まってきていました。

 スクールバスの横で、予行演習をする女子高生たち。


 シェリフのパトカーも準備OKです。


 私がジョンたちと待ち合わせたのは、Key Bankの駐車場。当日、パレードに参加する色々な車が準備を調え、とまっていました。


 これは出番を待っているCapital Lake Festival(Lacey, Tumwater, Olympia)のフロートです。まさに、私の地元のフロート。参加してくれていてうれしかったです。


 パレードの打ち合わせをするセクイムー宍粟姉妹提携委員会のメンバーたち。法被をきているのは高校生で、彼らはこの秋に宍粟市を訪問します。現在の予定では、12人も参加するそうです。


 高校生たちが持って歩くバナー。


 私が乗った車です。左の赤いSmartです。ボディーには私の名前が書いてありました。

私たちの車の前を行く高校生たち。



 その他、華やかなフローともありました。

Saturday, May 2, 2009

セクイムへ行きました

 咋日、ミーティングがあってセクイムまで出かけました。私はオリンピアに住んでいるので、いつもオリンピック半島へ行くには、101を使います。シアトル辺りの人々は、フェリーで途中の島に渡り、そこからフッド・キャナル・ブリッジ(Hood Canal Bridge)を通って半島へ入ります。しかし、今日、5月1日から2ヶ月間、この橋が補修のため閉鎖されます。そのため、シアトルあたりからオリンピック半島へ行くためには、オリンピアまでいったん下がり、そこから101を通って半島の各地へ行くよりほかなくなりました。距離にして約200キロの迂回です。なんとも不便な話です。代替処置もなしに日本でこんなことをしたら大問題ですが、大雑把なアメリカのこと、しょっちゅうあります。大雪が降った昨年は、ボストン(東海岸)まで通じる大動脈のI-5が雪崩れの危険防止工事のためにたびたび閉鎖されました。その都度、「I-5は雪崩れ工事のために通行止め。他の迂回路を利用してください」とのみ道路に表示が出るだけです。迂回するといっても、このときは、約300キロの迂回です。つまり、太平洋側の幹線が使えないから、日本海側を使ってくれ、と言っているようなものです。それでも誰も文句を言いませんでした。「雪崩れやったらしょうないな」と言った感じです。

 









 本当によい天気でした。オリンピアの北、シェルトン(Shelton) あたりの101から見えるオリンピック山脈です。

 この日がフッド・キャナル・ブリッジがクローズドされる最初の日ということもあって、ワシントン州警察(Washington State Police)や各郡警察(Sheriff )のパトカーが山ほど出ていました。いつもは一台も見ないこともあるのに、今日はなんとセクイムへ着くまでに14台(アホですから数えていたんです)も出会いました。プレザント・ハーバー(Pleasant Harbor)という場所では、3台仲良く並んでカフェでくつろいでいました。フッド・キャナル・ブリッジの東と西をパトロールしているパトカーが、回る場所がなくなってみんなこちらに終結したのかも知れません。












 途中のピュージェットサウンドもキラキラと輝いていました。停めるのに適当な場所がなく、車のサンルーフからカメラを出して撮ったのであまりよい構図ではないですが、雰囲気は分かってもらえると思います。

 オリンピアからセクイムまではちょうと100マイルあり、今日のように制限速度をきっちり守って(守らざるをえない状態でしたので)走ると、道が曲がりくねっているので、平均時速は50マイルほどに落ちます。オリンピアから約1時間半走ったあたりがクイルシン(Quilceneから10キロほどのところにあるディスカバリー・ベイ(Discovery Bay)になります。ちょうど、ここがポート・タウンゼント(Port Townsend)への分岐点で、時間がある時はここのCafé で休憩します。咋日は、道が込んでいるかも知れないと考えて、早めに出てきたので、一休みしました。












 このCaféはカナダを走っていた列車を持ってきて、それを改造したもので、おばさんと息子夫婦がやっています。この前、立ち寄ったときは天気が悪かったのですが、今日は晴天でしたから、裏のデッキでラテを飲みました。ここではワイアレスインターネットが使えるので、出張用に愛用しているAcer Aspire Oneでメールのチェックができました。

 ミーティングで会ったJohnが、いつものことですが、突然紹介したい人がいるからということで、その場で電話をかけ、そのまま、ポート・エンジェルス(Port Angels)に連れて行かれました。そこで会ったのは、Linda Rotmarkというクラルム(郡)経済開発委員会(Clallam County Economic Development Council)の専務理事(Executive Director)でした。彼女の息子さんは、現在、日本にいて、彼女も近々日本へ行くから会ってくれ、というのがJohnが僕を連れて行った理由です。でも、会ってみてびっくり。息子さんはなんと高砂市(兵庫県)に日本人の奥さんと住んでいるのだそうです。シアトルに本社がある、Real Networksに勤める技術者で、これも驚きですが、メールやスカイプでシアトル本社とのやりとりをしながら仕事をしているそうです。超遠隔のホームオフィス勤務です。Lindaは姫路城を見て、その後、宍粟市に行くと言ってました。もちろん、その他、将来、何か一緒に企業マッチングをしようね、という話もしました。











 Port Angeles からセクイムへの帰り道で写したオリンピック山脈の写真です。RVを売っている展示場から撮ったものです。

 Johnと二人で韓国人夫婦がやっている”Okasan”という日本食レストランで寿司と天ぷらうどんを食べながら、セクイムから宍粟市へ行く高校生のためのファンドレージング(つまり資金集め)の方法や夏のラベンダーフェスティバルでのJapan Nightなどについて話がはずみました。“Okasan”という看板がかかっていたので聞いてみると”mother”、つまりお母さんの意味なのだそうです。でも、店の主人は、「オカサン」と発音していました。












 帰りももちろん超安全運転。全行程を制限速度以下で走りました。セクイムを午後3時前に出て、シェルトンへ着いたのが午後5時半ごろでした。まだ、日も高いので(最近の日の入りは午後8時半頃になりました。ずいぶん日が長くなりました)、スクワクシン(Squaxin)族居留地そばにあるサーモンが登ってくる川を見に行きました。ここはあまり人に知られていない場所で、私も昨年、気まぐれに101から横道に入った時に見つけたところです。その時は、いっぱい鮭が遡上していて、一部は力尽きて死に絶えていました。

 もちろん、今は鮭の季節ではないのですが、なんとなく、川を見たくなったので、立ち寄ることにしたのです。川辺は樹木で覆われているのですが、川沿いに踏み分け道があって、川にそって歩くことができます。オリンピアから20分ほどのところにある、私のとっておきの場所です。

 川の上流に向かって撮った写真です。西に傾いた日の光が右手斜め上からさしていますから、川はこのあたりでは西南西から東北東へ流れているんです。この川はあと2マイルほど流れて、ピュージェット湾に注ぎます。鮭は太平洋からカナダとの国境であるフアンデフカ海峡を通り、ピュージェット湾をまっすぐ南下して、湾の南端を東から回りこむようにして、この川に遡上してくるようです。

 この川辺で思いもかけないものに出会いました。何だと思います?サーモンベリーです。この辺りにあるなど夢にも思いませんでした。マカ居留地にはいっぱいありますが、マカの居留地を出るともう見かけなくなりますから、まさかオリンピアのそばにあるなどとは考えてもいませんでした。でも、あったんです!川辺に沿って、所々に咲いていました。踏み分け道の辺りにはブラックベリーはあっても、サーモンベリーは見当たりませんでした。












 まあ、雑草のようなブラックベリーのツルとくらべると、サーモンベリーの木はいかにも弱々しそうですから、無理ないのでしょう。

 鮭が生まれた川辺にひっそりと咲いているなんて、今頃は太平洋のはるかかなたを泳いでいるだろう鮭の帰りを待ちわびているようです。ネイティブ・アメリカンの人々がこの木苺をサーモンベリーと名づけたのは、単に色がピンク色をしているからだけではなく、ひょっとしたら廻り来る鮭に対する彼らの祈りが込められていたのかも知れないなぁと思いました。ブラックベリーはもちろん、ブルーベリーなども花は上向きに咲きますが、サーモンベリーの花はどれも5枚の花弁で顔を隠すようにして、少し下を向いて咲きます。その風情がまた何とも言えず愛らしいです。

 実がつき始めていたので、1週間もすれば食べることができるようになると思います。来週はサーモンベリー摘みに出かけようかと考えています。

Tuesday, April 28, 2009

春たけなわ

 昨年冬から今年にかけて異常に雪がたくさん降りました。それに二月、三月頃の天候も雨が多く、寒い日が続いていました。でも、四月も終わりに近づいた最近では、ようやく晴天の日が連日続くようになりました。気温は12、13度あたりなのですが、日差しがあるととても暖かく、みんな半袖です。  このあたりの気候は、春と夏の区別がほとんどなく、夏でも気温が30度を超えることなど稀にしかありません。また、秋と冬の区別もあまりなく、この季節は、雨が降り、気温も2度前後となって雨季と呼ばれます。つまり、春夏秋冬ではなく、夏と冬の2シーズンしかありません。

 ですから、みんなの服装も、真夏の格好か真冬の格好かの2種類しかないのです。まだ、4月ですが、女子中学生や高校生のおしゃれな服装は、アバクロやホリスター、アメリカンイーグルのタンクトップにジーンズ、それにゴムサンダルを履いてオリンピアの町を歩いています。  オリンピアの町にもようやく春らしい春がめぐってきました。あちこちの庭の木々はいっせいに花をつけ、庭にはいろいろな草花が咲き始めています。白や赤のもくれんも満開で、石楠花も咲き始めました。五月の終わりにかけての1ヶ月が一番色あでやかな季節になります。
  オリンピアはワシントン州の州都ですが、ちょっと見には「田舎」です。でも、州都であるだけに文化的な水準が高く、田舎の自然と都市文化を併せ持った所ということができます。近所の家の庭や道路に咲いている花の写真を少し撮ってきましたので、春のオリンピアをお楽しみください。リスも楽しそうに走り回っていました。

Sunday, April 26, 2009

ご無沙汰しました!

 昨年の夏過ぎから極端に忙しくなって、ブログの更新ができないままにあっという間に時間が過ぎてしまいました。一つには昨年4月から予算が削られて、人が1人減ったことがその原因です。仕事が減ったから人が減ったのではなく、仕事は増えているのに人が減るのだからたまったものではありません。もともと4人しか居なかったのだから、1人減ると残りの3人にかかる負担は半端なものではなくなりました。特に、私の負担は相当なものがあって、毎日夜の7時過ぎまで事務所に居て、その後、家に帰っても、時差の関係で、日本では勤務時間中となるためメールや電話がいろいろ入り、深夜まで仕事をしていてもこなせないような状態が続いていました。その上、昨年の秋から兵庫県内の大学で構成する、ひょうご大学連携推進協議会と一緒になって、今年の夏にワシントン州内に約100名ほどの大学生を受け入れるプログラム開発にどっぷりと浸かってしまったので、もう、猫の手どころかネズミの手も借りたいような状態が続いています。日本でもおなじみの“Tom & Jerry”が居てくれたらどれほど助かることかなどとアニメのような話を思わず考えてしまうほどです。

 人間というのは環境が変わってもすぐには今までの日常生活のペースを切り替えることができないようで、忙しいなりに、パソコンなどのインターネットツールを使って、時間をより効率的に使えるようになるまでに半年ほどかかってしまいました(すぐに対応できる人もいるのでしょうが、私の場合はすぐにはちょっとできませんでした)。ようやくブログも再開する余裕が時間的にも、そして、何よりも、精神的にもできてきたところです。

 今年の8月から9月にかけて、先ほど書いたように、兵庫県の大学に在籍する学生たちがたくさんやって来ます。そのうちの50人くらいは短い人で2週間、長い人は2ヶ月オリンピアで研修やインターンシップをしながら過ごすことになります。残りの50名ほどは、シアトル、セクイム、ポートタウンゼント、そしてマカ族居留地などで2週間ばかり過ごすことになります。

 これらのプログラムに参加することを考えている学生たちに、先ほど書いた協議会事務局の人が私のブログにこれらの地域の情報が載っているからと参考に教えているようで、そのためにも、せっせとブログの更新をしなければ、ということになっています。

 10日ばかり前に満開を迎えたワシントン州政府キャンパスの桜もついに色あせ始めました。以前も書いたことがありますが、こちらの桜は、日本のように風にハラハラと散るということがありません。滅びの美学とか去り行くものの風情とはまったく無関係で、花びらが色あせ、茶色になってもまだ枝にしっかりとしがみついています。「雨にもまけず、風にもまけ」ない宮沢賢治のような桜なのです。

 桜は日本のソメイヨシノですが、この地に移民ならぬ「移樹」すると性格もたくましくなるのかも知れません。これは桜に限らず、梅、桃、椿なども同じです。椿など昨年の花が茶色になって干からびでいるのに、まだ、枝についていて、新しい花が咲いても落ちることはありません。いつみてもたいしたものだと感心してしまいます。