Tuesday, September 4, 2007

サンフランシスコの風景

 先週、サクラメントで仕事があり、1泊2日で出張しました。サクラメントがカリフォルニア州の州都だというのはご存知ですね。そう、有名なアーノルド・シュワルツネッガー知事がいるところです。えっ、カリフォルニア州の州都はハリウッドだと思ってた?違いますって!ちなみに、ワシントン州の州都は私が住んでいるオリンピア、オレゴン州の州都はセーラムで、ニューヨーク州の州都はオルバーニです。ここの人口は10万人くらいですが、州都の中では大きな方です。

 飛行機の関係で、サクラメントにはその日に着けず、サンフランシスコで宿泊し翌日は朝の6時出発しました。おかげでサンフランシスコ市内をレンタカーで走り回って、ブログ用の写真をパチパチと撮ることができました。観光パンフレットなどに載っているありきたりの風景ですが、ご覧下さい。

サンフランシスコ空港












日本センターです。最近はだんだん活気がなくなってきているとか聞きました。さびしい気がします。














お昼といっても午後三時過ぎですから、おやつ代わりの醤油ラーメンです。ホントお腹が減りました。

ビクトリア調のタウンハウス













フィッシャーマンズワーフと有名なシーフードの露店。ここではアサリやカニをボイルしたのを売っている。カニはダンジネス・クラブ。ところで、ダンジネス・クラブというのは、ワシントン州のダンジネス湾で採れることからつけられた名前です。シアトルの方が本場です!!

夕食は霧のゴールデンゲートを北に渡ったところにあるサウサリートの町で食べました。ここは芸術家の町、そして坂出市の姉妹都市です。




夕食に食べたアヒマグロです。
二羽のかもめと一緒に食べました。
パンをあげたんです。
やっとホテルへ着きました。おやすみなさい。

Monday, September 3, 2007

ダンシング・ゴート

 今日はレーバー・デーの休日で、先週末からの三連休最後の日です。夏最後の三連休を毎日ブログ書きに費やしているのはなんとも味気ないと思いつつも、せっせと書いています。

 昨日はちょっと堅い話を書きましたので、今日は午後のひと時をコーヒーでも飲みながらお過ごし下さい。

 オリンピアの隠れた名品の一つに、バドーフ & ブロンソン珈琲焙煎社の珈琲があります。この会社のブランド名は、ダンシング・ゴート(Dancing Goat)と言います。踊る山羊です。

 なぜ、ダンシング・ゴートなのか。それはコーヒーが発見された由来から来ています。

 昔、エチオピアの高原にカルディー(Kaldi)という山羊飼いがいました。ある日、彼の山羊が興奮しているのに気づきました。山羊の興奮は夜になってもおさまりません。彼がその理由を調べてみると、山羊が高原になる赤い木の実を食べたためだということが分かりました。興味を覚えたカルディーが、恐るおそるその赤い実を食べてみると、気分爽快になり、頭もすっきりとする気がしました。そこでカルディーは赤い実を持って修道院に行き、この不思議な話を僧に話しました。僧たちも食べてみると、やはり気分がさわやかになりました。夜も眠気に邪魔されず、修行に励むことができるようになりました。やがて、この修道院は「眠らない修道院」として有名になり、コーヒーが世界中に広がっていったそうです。

 ここで問題です。コーヒーを最初に見つけたのは誰でしょうか。カルディーというのが一般的な答えです。でも、それは人間の勝手な答え。山羊さんが怒るでしょう。「赤い木の実を見つけて、ずっと前から、コーヒーパーティを開いてたんは俺たちやで」と。そうなんです。コーヒーを飲んで楽しく踊る山羊さんに、コーヒー発見の敬意を表して命名したのが、ダンシング・ゴートというブランド名です。

 バドーフ & ブロンソン珈琲焙煎社です。向かって左へ回ってください。

テースティングルームへの案内とテースティングルームがあります。














 テースティングルームへの入口にある踊る山羊のカップル。コーヒー発見の功績を称えたモニュメントといったところでしょうか。 (向かって左が男性、右が女性。)
テースティングルームの内部です。ここではパネルにあるすべてのブランドを試飲することが出来ます。気に入らなければ買わなくても構いません。でも、美味しいからついつい買ってしまいます。お勧めは、独自ブレンドの「ダンシング・ゴート」です。













 ダンシング・ゴートはオリンピアに2軒の店を持っています。これがその内の1軒。ウオーターフロントのファーマーズマーケットの筋向いにあります。もう1軒はダウンタウンにあって、スターバックスと3軒離れた同じブロック内にあります。スターバックスよりもはるかに香もよく、美味しくて、お客も多いです。

お店の内部とカップのデザインです。個人的には左のデザインを気に入っています。

オリンピアにこられた時には是非味わってください。事前に知らせて頂ければ ご案内します。

Sunday, September 2, 2007

帰国子女と日系人

 この夏、私の事務所にYukaとShoという早稲田大学の学生が二人インターンに来てくれました。早稲田大学はワシントン大学と提携を結んでいて、20名から30名の学生を1年間留学させる制度を持っています。早稲田の学生ですが、ワシントン大学で1年間勉強し、単位を取らなければ、早稲田を卒業することができず、また、ワシントン大学での成績がそのまま早稲田大学での成績になるというプログラムです。

 このプログラムではワシントン大学が学生にインターンシップを義務付けているので、二人が私の事務所にやってきたのです。偶然ですが、彼らはどちらもカナダのバンクーバーからの帰国子女で、バイリンガルでした。(もちろん、早稲田のこのプログラムに参加している学生のほとんどは、帰国子女ではありません。)

 YukaもShoもとても優秀な人で、いっしょに仕事をしたり、出張に出かけたり、わずか3ヶ月足らずの期間でしたが、彼らとの思い出がいっぱい出来ました。今でも、とても懐かしく感じていますので、二人の思い出については、別に書く機会もあると思っています。でも、今日は別の話。二人を見ていて感じたことが主題です。

 先ほど書いたように、二人は完全なバイリンガルです。(カナダ育ちですから、アメリカ的に言えば、イギリス英語に少し近い、カナダ英語を話します。カナダ人から見れば、アメリカ人はアメリカなまりの英語を話します。)

 事務所があるシアトルには日系人がたくさんいて、彼らとはよく仕事で一緒になります。10月12日にある研ナオコさんのチャリティコンサートの関係でも今彼らと一緒に仕事をしています。これについては別の機会にお話しすることにします。

 バイリンガルに育った帰国子女と日系人を見ていて気づいたのは、「何にも違いがあらへんやん」ということです。日本の帰国子女とアメリカの日系人。言葉で聞くとすごく違うし、日本社会の中では、まったく違うと感じる人がほとんどだと思います。でも、彼ら自身の目から見れば、お互いに違和感などないはずです。それはそうでしょう。日系人でも日本語と英語のバイリンガルに育った人を想像してみてください。私の隣の事務所にもそのようなバイリンギャルというにはキャリアをもう少し長く積んでいる女性がいます。日本語しかできない日本人とこのような日系バイリンキャリアウーマンがしゃべった場合、日本人はなんの違和感も感じないでしょう。親戚が東京にいて、日本のあちこちを旅し、日本食をこよなく愛しているグルメですから、「私は日系アメリカ人二世です」などといわれなければ、アメリカ人であることすら気がつかないはずです。

 日本とアメリカのどちらの言語も文化も身につけた、アメリカからの帰国子女とアメリカの日系人の唯一の差は、一方が日本国籍を持ち、他方がアメリカ国籍を持っているというだけです。もし、二重国籍を持っているアメリカ帰りの帰国子女が成人してアメリカ国籍を取得したら、その人はその瞬間から日系アメリカ人になると言うことです。(ちなみに、アメリカやカナダは二重国籍を認めていますから、こちらサイドではこんなことは起こりませんけど。)

 このような人たちにとっては、太平洋という大きな海も、瀬戸内海ほどの隔てにも感じられないでしょう。飛行機で10時間かかるということとチケット代を度外視すれば、シアトルのコンビニで買い物をした後、飛行機に乗って神戸に行きしゃれたレストランで食事をするのは、隣町に食事に出かけるのとなんの変わりもありません(その逆の場合でも同じです)。

 中国帰りのバイリンガル帰国子女と日系中国人、いや日本に暮らす華僑の人たちも含めて同じことが言えますし、タイやベトナム、フランスやイタリヤ、ケニアやブラジルなど世界中の国で生活し、その国の言語と日本語のバイリンガルに育った帰国子女にとっては、その言語を話す国の人との差異はほとんどないのです。

 アメリカには現在約23万人(カナダには約1万5千人)の長期滞在の日本人がいると言われています。そのうちの仮に1年に1割の家庭でバイリンガルが一人育っても10年経てば、アメリカの日系人とまったく区別がつかない日本人が23万人育ちます。

 今はまだこのような帰国子女は日本社会ではマイノリティかもしれません。が、彼らは日本社会で確実に増え続け、徐々に言語ができる優位性を発揮して、色々な場面で活躍し、社会の重要なポジションでなくてはならない人々になって行くでしょう。

 幼児期における語学教育の必要性を強く意識している人たちが日本でも増えだしましたが、未だに学校教育の場面ではそれが実現していません。このままでは、親の仕事の関係で海外で帰国子女として育つことができた人たちとそのようなチャンスに恵まれず、学校教育でも幼児期から語学を学ぶチャンスを与えられなかった人々の間で、将来、社会的な不平等と格差が生じることになるでしょう。それは日本の政府と各自治体が担うべき課題です。

 幼児期から外国語教育をすると、日本語教育がおろそかになって日本人としてのアイデンティティの形成に問題があるという意見を語る人があります。でも、このような意見は、外国で生活したことがないか、留学経験くらいはあってもその国で生き抜いたことのない人の机上の空論です。当然のことですが、早稲田からやってきたバイリンギャルのYukaやバイリンボーイのShoは、日本で育った他の学生よりも強く日本人としてのアイデンティティを持っています。なぜ、当然なのかは、改めて話します。


 写真(上から順に)

  1.ワシントン大学校門(45番通りからの入り口)
  2.ワシントン大学キャンパスにある噴水
  3.Shoが両親と暮らしていたバンクーバーの家(左側の白い家)
  4.YukaやShoが育ったバンクーバーの住宅地(二人が近くで育ったことが、
    シアトルに来てはじめて分かった)

Saturday, September 1, 2007

ブラックベリー

 今日から9月。この時期になるとオリンピアではブラックベリーの実が熟します。この辺りで取れるキイチゴには、ラズベリー、ブルーベリー、そしてブラックベリーがあります。キイチゴにはほかにもボイズンベリーやハックルベリーなどがありますが、この辺りでは見かけません。

 ハックルベリーは同じワシントン州でも東のアイダホ州近くのスポケーン辺りが産地です。スポケーンやそこから東へ30分ほど車で走ったアイダホ州の避暑地コーダレーンではいろいろなハックルベリー製品を売っています。シロップ、ジャム、そしてなんと言っても、珍しくて、美味しいのはハックルベリー・ビール。

 近々スポケーンに行きますので、この話は改めて書くことにします。

 オリンピアやシアトル周辺では、ブルーベリーは農園でも栽培されていますが、一般の家でも植えているところが多く、毎年、7月初めから8月終わりにかけて青いきれいな実をつけます。日本では猛暑だった今年の夏も、オリンピアやシアトルでは最高温度が30度を超えることはめったになく、朝晩などは12~3度くらいまで下がることがたびたびありました。この辺りの気候は、信州でも美ヶ原や戸隠といった高原地帯に近いようで、湿気がもっと少ないので、いっそう涼しく感じます。このような気候がブルーベリーには適しているのでしょう。ただ、ブルーベリーの場合は、道端や森に自生していると言うわけではありませんから、農園や家で植えなければなりません。


 でも、ブラックベリーは違います。ブラックベリーとオリンピアで言えば、雑草の代名詞です。上の写真のように、空地などでは密生しています。ある会議の帰り道、シアトルの街を事務所に向かって歩いている時に、旅行姿の女子大生に呼び止められました。彼女はマサチューセッツ州ボストンからシアトルに観光に来ていたようです。手に持っている観光ガイドブックを開きながら、「ブラックベリーはどこへ行ったら見られますか。このガイドブックにはシアトルの見所のひとつだと書いてあるんですけど。」と訪ねられました。この辺りでは、ブラックベリーは、どこに行ったら見られるか、ではなく、どこに行っても見れる、ものです。とは言っても、住宅地でならともかく、ビルの立ち並ぶ街中ではさすがにブラックベリーを見つけるのは難しい。幸いにも、近くの駐車場のコンクリート壁と地面の隙間からブラックベリーが生えている場所を思い出し教えてあげました。

 このように、ブラックベリーはオリンピアやシアトル、いやワシントン州西部ではどこに行っても見ることができます。ちょっと目を離すとブラックベリーは庭にも自生します。非常に繁殖力が強いので、庭に出てきたブラックベリーは放っておくとたちまちその周辺を独占してしまいます。棘があり、根がはっているので、抜くのに一苦労するというやっかいな雑草なのです。もちろん、スーパーで売っているブラックベリーは、販売用に農園で栽培されたものですが、わざわざ買わなくても、その気になれば、バケツに1杯や2杯は簡単に空き地で採取できます。

 6月の終わりから7月はじめに花が咲きます。棘があり、実は黒いくなるのですが、花は白く、かれんです。7月終わり頃から小さな緑色の粒の塊(これが実になります)がつきはじめ、8月中旬頃になると赤く色が変わり、熟してくると黒く変わります。一つひとつの粒が大きくふくらんで、さわるとふわっとした感触を持ち始めたものが食べごろです。

この時期にシアトルやオリンピアなどへ来られたときは、道端のブラックベリーを摘んで見てはいかがでしょうか。

 ブラックベリーがいっぱい実をつける頃、こちらでは小学校から高校まで、いっせいに始業式を迎えます。学校の始まりは、毎年、レーバーデー(休日)の翌日からです。今年は9月3日月曜日がレーバーデーですから、9月4日から学校が始まります。

 ブラックベリーの実がなる頃、子供たちにとっての長い夏休みが終わります。

ブラックベリー








 今日から9月。この時期になるとオリンピアではブラックベリーの実が熟します。この辺りで取れるキイチゴには、ラズベリー(右下)、ブルーベリー(左下)、そしてブラックベリーなどがあります。キイチゴにはほかにもボイズンベリーやハックルベリーなどがありますが、この辺りではあまり見かけません。

 ハックルベリーは同じワシントン州でも東のアイダホ州近くのスポケーン辺りが産地です。スポケーンやそこから東へ30分ほど車で走ったアイダホ州の避暑地コーダレーンではいろいろなハックルベリー製品を売っています。シロップ、ジャム、そしてなんと言っても、珍しくて、美味しいのはハックルベリー・ビール。

 

 近々スポケーンに行きますので、この話は改めて書くとして話をもとに戻します。
オリンピアやシアトル周辺では、ブルーベリーは農園でも栽培されていますが、一般の家でも植えているところが多く、毎年、7月初めから8月終わりにかけて青いきれいな実をつけます。日本では猛暑だった今年の夏も、オリンピアやシアトルでは最高温度が30度を超えることはめったになく、朝晩などは12~3度くらいまで下がることがたびたびありました。この辺りの気候は、信州でも美ヶ原や戸隠といった高原地帯に近いようで、もっと湿気が少ないので、いっそう涼しく感じます。このような気候がブルーベリーにはあっているのでしょう。ただ、ブルーベリーの場合は、道端や森に自生していると言うわけではありませんから、農園や家に植えなければなりません。

 でも、ブラックベリーは違います。ブラックベリーとオリンピアで言えば、雑草の代名詞です。ある時、会議の帰り道、シアトルの街を事務所に向かって歩いている時に、旅行姿の女子大生に呼び止められました。彼女はマサチューセッツ州ボストンからシアトルに観光に来ていたようです。手に持っている観光案内本を開きながら、「ブラックベリーはどこへ行ったら見られますか。この案内本にはシアトルの見所のひとつだと書いてあるんですけど。」と訪ねられました。この辺りでは、ブラックベリーなど、どこに行ったら見られるか、ではなく、どこに行っても見れる、ものです。とは言っても、住宅地でならともかく、ビルの立ち並ぶ街中ではさすがにブラックベリーを見つけるのは難しい。幸いにも、近くの駐車場の壁際にブラックベリーが生えている場所を思い出し、教えてあげました。

 このように、ブラックベリーはオリンピアやシアトル、いやワシントン州西部ではどこに行っても見ることができます。ちょっと目を離すとブラックベリーは庭にも自生します。非常に繁殖力が強いので、庭に出てきたブラックベリーは放っておくとたちその周辺を独占してしまいます。棘があり、根がはっているので、抜くのに一苦労するというやっかいな雑草なのです。もちろん、スーパーで売っているブラックベリーは、販売用に農園で栽培されたものですが、わざわざ買わなくても、その気になれば、バケツに1杯や2杯は簡単に空き地で採取できるものです。


 6月下旬から7月上旬にかけて花が咲きます。実は黒い色になりますが、花は真っ白で、房になって咲きます。8月になると青い実がなり始め、しだいに紅くなり、最後に黒くなります。黒い粒が大きく軽く押すとつぶれそうになる頃が一番の食べごろです。

 




この時期にシアトルやオリンピアなどへ来られたときは、道端のブラックベリーを摘んで見てはいかがでしょうか。

 ブラックベリーがいっぱい実をつける頃、こちらでは小学校から高校まで、いっせいに始業式を迎えます。学校の始まりは、毎年、レーバーデー(休日)の翌日からです。今年は9月3日の月曜日がレーバーデーですから、9月4日から学校が始まります。
 ブラックベリーの実がなる頃、子供たちにとっての長い夏休みが終わります。

Sunday, July 8, 2007

ハッピーデー

 今日はとってもハッピーな気持ちになりました。久しぶりに友人と夕食に行こうということになり、6時ごろ友人をピックアップして、そこから車で10分程のところにあるリトル・クリーク・リゾートのレストランまで出かけました。ここはネイティブ・アメリカンのスクォシン族の人たちが経営しているホテルつきカジノです。ワシントン州では原則カジノは禁止ですが、ネイティブ・アメリカンの人たちはべつ。オリンピアの周りにはいくつかの居留地(リザベーション)があり、カジノがあります。カジノに併設されたレストランは大変美味しくて、値段が安い。そのため、博打をせずに食事のためだけにいく人が案外多いのです。レストランとしては穴場です。

 右上が今日のレストランです。壁にかけてあるのはこの辺りのネイティブ・アメリカンの伝統的な絵。このモチーフはオルカ(シャチ)です。
 余談です。ここからはだいぶ離れていますが、以前行ったジェームス・タウン(クララム族の人たちの町の名前)にあるシダー・カジノなど極めつけでした。セクイムという町に行く途中、昼ごはんを食べによったのですが、レストランはビュッフェ(バイキング)形式で、食べ放題一人7ドル50セント。案内してもらうのにレジの前で並んで待っていると後からおじさんに声をかけられました。「ここで食事するつもり?」と聞くではありませんか。え、食べたらあかんのかいな、と思いながら、そうだと答えると、それなら、「カジノの利用券(プリペイド方式)を20ドル出して買ったら、ここの食事代一人1ドル50セントになる」というのです。「僕らは博打はしないからええわ」と答えると、「いや、とりあえず買って、このレジで見せる。そして、1ドル50セントで食べてから、その利用券をカジノのコイン引換所に持っていったら、20ドル返してくれる。俺はいつもそうしてる」と教えてくれるではないですか。なんとも親切!おかげでデザートとコーヒーを含め、めいっぱい、腹いっぱい食べて1ドル50セントのお支払いでした。それ以来、「旅の食事はリザベーションで」と心に決めているしだいです。

 話をもとに戻します。ハッピーになったのは、まず、ビールが美味しかったことです。(写真は左上) 今日は午後から庭の草むしりをやって疲れていたので、その後の一杯がなんと美味しかったことか。ビールの銘柄は、リトル・クリーク・エールで、地ビールです。続いてハッピーにしてくれたのが、クラムチャウダー。この辺りで採れるアサリを使ったチャウダーで、この味もなかなかのもの。友人は健康のためかサラダを取っていましたが。それについてきた黒パンがまた大きくて、中がやわらかく食べやすい。結構な味でした。そしてメインが、「心をこめて、ゆっくりとローストしたプライム・リブ」(とメニューに書いてある。)のレギュラーサイズです。(この上に、クインサイズ、キングサイズがあるけど恐ろしくて止めました。値段ではなく量に不安があったからです。結果は、レギュラーで正解でした。)厚みは2センチ以上、縦10センチ、横は15センチ以上はあろうかというプライム・リブのロースト。いや、これは今までに食べたロースト・ビーフの中でも最高の味のひとつ。やわらかくて、ジューシー。サワークリームにホースラディッシュを混ぜた薬味がとても合っていて美味しかったです。お値段ですか?これだけそろって、12ドル。ビール一杯が3ドル25セントでした。
 
 今、日本の友人がメールしてきました。「蒸し暑いで!」とのこと。今日のオリンピアは日中が摂氏25度程度。9時ごろにレストランから出る時には、摂氏15度くらいになっていました。(オリンピアの夏場はだいたいこんな感じです。)湿気はないし、涼しいし、お腹は一杯だし、で今日は「ハッピー!」でした。

Sunday, July 1, 2007

久しぶりのオリンピア


 随分とご無沙汰してしまいました。日本に長期出張していて、オリンピアに帰った後たまった仕事を片付けていたらあっという間に一ヶ月が過ぎました。ようやくブログを書く余裕ができました。

 オリンピアに帰り着いて感じたことは、「わぁ、やっぱり涼しいなぁ」ということです。5月末から6月中旬まで出張していたのですが、あっと言う間に汗疹が出来てしまいました。「ウソやろー」と思われるかも知れませんが、本当の話です。気温が高いというより、湿気が高いのがだめなんですね。汗が出てもすぐに乾かないためです。

 その点、夏のオリンピアは天国。一年のうち、半年が雨季、残りの半年が乾季ですが、それが夏場にあたります。夏には寒流が太平洋側に入り込んでくるため、気温もそれほど上昇しません。今日も快晴で、気温は70度(約摂氏27度)と高めですが、湿気が低く日陰に入ると風がひんやりとして大変涼しく感じます。
 日本では神戸を中心に兵庫県の豊岡市や宍粟市、福岡県の久留米、香川県の宇多津、東京、名古屋などを飛び回っていました。どこに行っても感じることは、「日本はきれいなぁ。食べ物が美味しいなぁ」ということでした。自然がいっぱいあって、大都会でも清潔で美しい。何を食べても美味しい。そんな日本と比べて、オリンピアもやはりきれいだなぁと思います。(食べ物は??ですけど。)日本で会ったたくさんの人が、オリンピアっていうのはどんな所かをブログに書いてほしいと言っていました。うまく伝えられるか分かりませんが、できるだけオリンピアを理解してもらえるようにせっせとブログを書くことにします。

 写真は、久しぶりに見たレニア山(標高4392メートル。手前はオリンピアのヨットハーバーとイーストサイドの住宅)です。