Sunday, September 2, 2007

帰国子女と日系人

 この夏、私の事務所にYukaとShoという早稲田大学の学生が二人インターンに来てくれました。早稲田大学はワシントン大学と提携を結んでいて、20名から30名の学生を1年間留学させる制度を持っています。早稲田の学生ですが、ワシントン大学で1年間勉強し、単位を取らなければ、早稲田を卒業することができず、また、ワシントン大学での成績がそのまま早稲田大学での成績になるというプログラムです。

 このプログラムではワシントン大学が学生にインターンシップを義務付けているので、二人が私の事務所にやってきたのです。偶然ですが、彼らはどちらもカナダのバンクーバーからの帰国子女で、バイリンガルでした。(もちろん、早稲田のこのプログラムに参加している学生のほとんどは、帰国子女ではありません。)

 YukaもShoもとても優秀な人で、いっしょに仕事をしたり、出張に出かけたり、わずか3ヶ月足らずの期間でしたが、彼らとの思い出がいっぱい出来ました。今でも、とても懐かしく感じていますので、二人の思い出については、別に書く機会もあると思っています。でも、今日は別の話。二人を見ていて感じたことが主題です。

 先ほど書いたように、二人は完全なバイリンガルです。(カナダ育ちですから、アメリカ的に言えば、イギリス英語に少し近い、カナダ英語を話します。カナダ人から見れば、アメリカ人はアメリカなまりの英語を話します。)

 事務所があるシアトルには日系人がたくさんいて、彼らとはよく仕事で一緒になります。10月12日にある研ナオコさんのチャリティコンサートの関係でも今彼らと一緒に仕事をしています。これについては別の機会にお話しすることにします。

 バイリンガルに育った帰国子女と日系人を見ていて気づいたのは、「何にも違いがあらへんやん」ということです。日本の帰国子女とアメリカの日系人。言葉で聞くとすごく違うし、日本社会の中では、まったく違うと感じる人がほとんどだと思います。でも、彼ら自身の目から見れば、お互いに違和感などないはずです。それはそうでしょう。日系人でも日本語と英語のバイリンガルに育った人を想像してみてください。私の隣の事務所にもそのようなバイリンギャルというにはキャリアをもう少し長く積んでいる女性がいます。日本語しかできない日本人とこのような日系バイリンキャリアウーマンがしゃべった場合、日本人はなんの違和感も感じないでしょう。親戚が東京にいて、日本のあちこちを旅し、日本食をこよなく愛しているグルメですから、「私は日系アメリカ人二世です」などといわれなければ、アメリカ人であることすら気がつかないはずです。

 日本とアメリカのどちらの言語も文化も身につけた、アメリカからの帰国子女とアメリカの日系人の唯一の差は、一方が日本国籍を持ち、他方がアメリカ国籍を持っているというだけです。もし、二重国籍を持っているアメリカ帰りの帰国子女が成人してアメリカ国籍を取得したら、その人はその瞬間から日系アメリカ人になると言うことです。(ちなみに、アメリカやカナダは二重国籍を認めていますから、こちらサイドではこんなことは起こりませんけど。)

 このような人たちにとっては、太平洋という大きな海も、瀬戸内海ほどの隔てにも感じられないでしょう。飛行機で10時間かかるということとチケット代を度外視すれば、シアトルのコンビニで買い物をした後、飛行機に乗って神戸に行きしゃれたレストランで食事をするのは、隣町に食事に出かけるのとなんの変わりもありません(その逆の場合でも同じです)。

 中国帰りのバイリンガル帰国子女と日系中国人、いや日本に暮らす華僑の人たちも含めて同じことが言えますし、タイやベトナム、フランスやイタリヤ、ケニアやブラジルなど世界中の国で生活し、その国の言語と日本語のバイリンガルに育った帰国子女にとっては、その言語を話す国の人との差異はほとんどないのです。

 アメリカには現在約23万人(カナダには約1万5千人)の長期滞在の日本人がいると言われています。そのうちの仮に1年に1割の家庭でバイリンガルが一人育っても10年経てば、アメリカの日系人とまったく区別がつかない日本人が23万人育ちます。

 今はまだこのような帰国子女は日本社会ではマイノリティかもしれません。が、彼らは日本社会で確実に増え続け、徐々に言語ができる優位性を発揮して、色々な場面で活躍し、社会の重要なポジションでなくてはならない人々になって行くでしょう。

 幼児期における語学教育の必要性を強く意識している人たちが日本でも増えだしましたが、未だに学校教育の場面ではそれが実現していません。このままでは、親の仕事の関係で海外で帰国子女として育つことができた人たちとそのようなチャンスに恵まれず、学校教育でも幼児期から語学を学ぶチャンスを与えられなかった人々の間で、将来、社会的な不平等と格差が生じることになるでしょう。それは日本の政府と各自治体が担うべき課題です。

 幼児期から外国語教育をすると、日本語教育がおろそかになって日本人としてのアイデンティティの形成に問題があるという意見を語る人があります。でも、このような意見は、外国で生活したことがないか、留学経験くらいはあってもその国で生き抜いたことのない人の机上の空論です。当然のことですが、早稲田からやってきたバイリンギャルのYukaやバイリンボーイのShoは、日本で育った他の学生よりも強く日本人としてのアイデンティティを持っています。なぜ、当然なのかは、改めて話します。


 写真(上から順に)

  1.ワシントン大学校門(45番通りからの入り口)
  2.ワシントン大学キャンパスにある噴水
  3.Shoが両親と暮らしていたバンクーバーの家(左側の白い家)
  4.YukaやShoが育ったバンクーバーの住宅地(二人が近くで育ったことが、
    シアトルに来てはじめて分かった)

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