Saturday, July 12, 2008

フェトゥチーネ・アルフレッド(スモークサーモン入り)

 今日は久しぶりにゆったりとした時間を過ごしています。今週末まで、日本から人が来たり、出張があったりで多忙でした。来週はまたピッツバーグへの出張があり忙しくなりますけど。
 しばらくの間は、作り置きのビーフシチューだとか、冷凍ご飯をチンしてお茶漬けを食べるとかという生活が続いていましたので、今日の夕食はちょっとまともなものを作って食べることにしました。スモークサーモン入りのフェトゥチーネ・アルフレット。それに野菜もちゃんと食べないといけないから、グリーンサラダ付きです。ドレッシングは、手を抜いて、この前シアトルの日本料理シェフからもらった特性ゆず味噌ドレッシングを使いました。
 こんな天気のいい日に部屋にこもってパソコン叩いていると、精神状態にも良くないので、食事場所はバックヤードのデッキです。

 それに先週末まで3日程泊まって行った友人が飲み残したワシントン州のHogueというワイナリーが醸造したシャルドネを少々飲むことにしました。ワインにしろビールにしろ、家で独りで飲むことはほとんどないのですが、たまにゆったりした時に飲みたくなることがあります。

 ワインといえば、留学していた頃は毎晩飲んでいて、日本に帰国した直後、夕食時に家の冷蔵庫を開けて、ワインがないのに気づき、「あれ、なんでワインがないんや。飲みたいなぁ。」と思ったことがありました。ひょっとしてあの状態が続けば、アル中になっていたかも.....(笑)。でも、パスタにワインはよく合うと思います。

 空は真っ青、木々はきらきらと輝いて、風はさわやか(20度Cと少し暖かでしたが)で、料理は美味し(自画自賛)かったし、云うことなし。ご馳走様でした。

レニアチェリーを買いました

  つい二日前、うれしいことがありました。久々にブログにコメントがあり、それだけでもうれしいのに(笑)、なんと近くに引っ越してこられた日本人の方からのものだったので、二度うれしい、思いをしました(前回のブログ「連休中に考えたこと (Sunday, July 6, 2008)」のコメントを見てください)。  
早速メールもやり取りしています。私のブログにもリンクを張りました。OBA*A*1908のOrient Expressです。推理小説みたいなタイトルですが、中身はそうではありません。是非、訪問してみてください。
 
 さっき、Port of Olympia(オリンピア港)周辺を散歩してきました。オリンピア港はピュージェット湾(Puget Sound)の南端に位置していて、ここからは北の方向に、まだうっすらと雪を残したオリンピック山脈が見えます。東にはレニア山もよく見え、カモメものんびりとした顔をして港にとまっていました。
 
 帰りにファーマーズ・マーケットに行ったら、Obama大統領候補のキャンペーンテーブルが出てました。ワシントン州は民主党が強いところですから。
今日のファーマーズ・マーケットは、Strawberry Festivalの日だったようです。といっても、別に、祭りがあるわけではなく、貧困者への食費の寄付を集めるボランティア活動の一環で、今日は、イチゴケーキを売っていました。日本でなら、「イチゴ・デー」とでも呼ぶようなものです。
  それに観光馬車が出ていました。今日などは乗ると気持ちがいいでしょうねぇ。これはカナダのビクトリアでやっているものをレベンワースやシアトルがまねだし、去年からはオリンピアでも始まりました。

 しばらく、ステージのブルーグラス演奏を聞いた後、レニアチェリーとキングサーモンのカマの燻製を買ってきました。レニアチェリーは1ポンドが4.99ドル、キングサーモンのカマの燻製は6.50ドル(去年までは5ドルだったのに)でした。1ポンドは約450グラムです。レニアチェリーはこの辺の特産で、粒も大きく、プリッとした歯ごたえと噛んだときのみずみずしさが特徴です。一般にアメリカンチェリーと呼ばれているビング種(ダークチェリーと普通は言います)とは比べ物にならないくらい甘いです。これを2ポンドちょっと(約1キロ)買っても11ドル95セント(1300円くらい)です。日本でも通販で売っていますが、店舗では見かけません。
 
 今日のファーマーズマーケットはすごい人出でした。そうそう、アメリカって粗雑なように見えるんですが、割ときっちりしたところもあるんです。例えば、人ごみを歩いていて誰かが私にちょっとでも触れる(お互い様ですから、私が相手に触れたということでもあるんですが)と"Excuse me." とか"Sorry"と言い合います。ちなみに、相手が先に言ったら、こちらも、ちゃんと「こちらこそ」と言わないといけません。その時は、「エクスキューズ ミー」の「ミー」を強く発音します。「私の方こそ」というニュアンスです。
 これは日本へ行っても経験しないことです。人にぶつかっても、一言もいわないで行く人ばかりです。少し触れただけなど問題外で無視といった感じです。これって、失礼じゃないですか?レストランでも、お水やコーヒーをついでもらったり、料理を持ってきてもらったら、必ず、"Thank you."といいます。舌足らずの子供だってちゃんといいます。こういった点では、アメリカ人の方が礼儀正しいと思っています。

 人にぶつかって、あるいは触れただけでも、「すみません」というのは礼儀の問題なんですけど、その根底には、プライバシーに対する日米での意識の違いがあります。アメリカでは、人の身体というのはその人の持ち物です。まあ、当たり前です。もちろん、日本でも当たり前です。そして、身体というのは精神と同様、その人の存在(アイデンティティ)、つまり、尊厳そのもので、「何人もこれを侵してはならない!」ものです。日本でも法律ではそうなっていますけど、文化ではそうなっていません。最近では、酔っ払っていてもいなくても、女性の身体に触れたらセクハラだといって訴えられますよね。でも、これってセクハラとかいう以前の問題でしょう。女性が見知らぬ男性に触れても、同性が理由もなく同性に触れても、親が可愛いからといった理由で子に触れても同じことです。「気色悪い、さわらんといて!」って叫ぶのは、尊厳の問題だと思っています。だから、ちょっと触れただけでも、アメリカでは「失礼」とか「すみません」って言うんです。でも、あまり「さわらんといて!」だけでは殺伐としてくるし、ハグも出来なくなるから、アメリカでは触る、あるいは触らせてもらう(笑)前に、言葉(もちろん態度でも)でそれなりの手順を踏む訓練が行き届いています。まあ、見ようによっては「口がうまい」ということでもあるんでしょうが。こんなこと書いてると、レニアチェリーからどんどん離れますね。いずれ、どんな風にしているかも書いてみたい思いますが、今回はこのへんでやめます。 ブルーグラスの演奏を楽しんでください。

Friday, July 11, 2008

The Perfect Summer

ワシントン州の美しい夏の水辺と花をお楽しみ下さい。

Sunday, July 6, 2008

連休中に考えたこと

最近、シアトルにある私の事務所でインターンをしてくれている日本人学生やあちこちの大学で出会う日本人留学生を見ていて気づいたことがあります。それは、これらの学生達のほとんどが裕福か裕福ではないにしても、子供を留学させるだけの資力を有している家庭の出身者だということです。例えば、ワシントン大学に一年留学するとなると学費や生活費だけでも百万円単位の費用がかかります。学費が少し安い他の州立大学でもかかる経費は似通ったものです。中には会社勤めをしてお金をため、自費で留学するような人もいますが、このようなケースは例外中の例外といったところです。つまり、親が金持ちかある程度の資力を持った家庭の子供しか海外留学できないわけです。いくら勉強が出来ても、頑張って英語を勉強してもお金がないので留学できない。留学できなければ、昨今の就職ではハンデを負うことになります。ひょっとしたらこのような若い人たちが、今の日本にはいっぱいいるのではないか、定かな統計があるわけではないけれど、いるに違いないと感じています。

 日本が貧しかった頃、そう、戦後すぐの昭和20年代から、島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間文庫)で描かれている30年代、一部のお金持ちを除いてはみんな貧乏でした。いや、本当に貧乏だったかどうかは別として、ほとんどの人が、日本は貧乏だ、私は金持ちじゃないと感じ、頑張らなくちゃと思っていました。この時代にアメリカに留学した人たちの大半が苦学生でした。日本で一生懸命勉強して、どこかの奨学金をもらっても、それだけではアメリカで生活できないので、毎日クラッカーだけをかじって生活した人、レストランで皿洗いをしながら大学を卒業した人、あるいは、墓堀人夫までしてアメリカで暮らした人....色々な人の自叙伝や体験記を読むとそんな話が山ほど出てきます。なんでそこまでして頑張れたのか。本人の意思の強さや向学心があればこその話ですが、別の理由としては、そうやって頑張るのが日本でも当たり前だったからでしょう。日本にいる時から貧乏だったのですから。日本でも皿洗いどころか道路現場でモッコを担いで土運びをしたり、港で沖なかしをしたりして、少しでも見入りのいいアルバイトをしていたからです(現在の日本ではこんな仕事は近代化でほとんどなくなりましたし、あっても東南アジアや中近東、南米などからの留学生や不法移民が肩代わりしています)。

 確かに、日本は豊かになりました。でも、日本にも相対的貧乏人といえる日本人は多くいます。特に、グローバリズムの波を受けて、アメリカ流の競争原理が導入され、終身雇用制が壊れ、リストラが一般化した現在では、急速に相対的貧乏人が増えていると感じます。日本政府が最近発表した1,000万人移民受入れが実現すれば、もっと日本人の中でも貧乏人は増えるでしょう。学校では頑張っているけれど、お金がなくて留学できない人たち、リストラで家庭が崩壊し、勉強も面白くなくなってドロップアウトしたけれど、心のどこかでは、何とかしなくっちゃと感じている人たち、そんな人たちでも諦めず、踏ん張ればアメリカにだって留学でき、それを足がかりにして社会でステップアップして行ける。そんな方法を作り出す必要がありそうです。

写真は、South Puget Sound Community Collegeの風景
(上から順に)
・大学内のバス停
・学生会館横に立つネイティブ・アメリカンの木製立像(伝統的な編み笠をかぶっている)
・大学本部の建物
・これ何か分かりますか? 自転車置き場です。色々な方法を思いつくものですねぇ。

Saturday, June 28, 2008

Pegasus



 三日前に、事務所でインターをしてくれているSatomiとYukoを連れて、ウエスト・シアトルのアルカイ・ビーチ(Alkai Beach)にあるPegasusというレストランに昼食に行きました。
















 ウエスト・シアトルというのは、シアトルのダウンタウンから見るとエリオット湾(シアトルのウオーターフロントになっている湾)をはさんで真西にあります。ここに行くには、橋で渡るか水上タクシーで湾を渡らなければなりません。ウェスト・シアトルからはシアトルのダウンタウンが一望できるので、観光ツアーのコースのひとつになっています。
 それはともかく、Pegasusは、パイとサラダで有名な店です。パイクレストと呼ばれるパリパリというか薄べったいパイ生地ではなく、パン生地をうすく広げて作ったもので、ふんわりとした食感が最高に美味しいんです。サラダも色々なドレッシングのものがあり、どれも美味しいですが、私はここのシーザースサラダが一番気に入っています。  
















アルカイ・ビーチはウエスト・シアトルの岬の突端にあり、ピュージェット湾に浮かぶ島や対岸のオリンピック半島やオリンピック山脈をみることが出来る絶景の場所です。もう少し暖かくなると外での食事が最高なのですが、この日は少しうす曇りでしたので、室内で食べました。  以前のペガサスは現在の店の隣にあって、店内は少し古ぼけていたのですが、新装成ったペガサスはギリシャっぽいなかなか凝った内装をしています。是非一度試してみてください。

Saturday, June 21, 2008

The Rose

 1981年に、OlympiaにあるThe Evergreen State Collegeに留学した時、最初入った大学の寮があまりに騒がしかったので、逃げ出して下宿しました。当時は大学院に留学生がまったくおらず、日本からの留学生は大学全体でも私だけということもあって、みんなが日本のことを聞きに毎晩のように部屋に押しかけてきました。その頃は、日本がどこにあるのかすら知らないアメリカ人がほとんどでした。アメリカに戦争で負けた東洋の小国(と日本人自身も考えていた)が、アメリカの自動車業界を席巻しつつあった時代で、日本に対する関心が、急速に高まっていたからです。

 下宿先はForth & Thomasの角にあったピンクの家(今は立てかえられて緑になっていますが)でした。いま住んでいる所から自転車で5分くらいのところです。高齢だった家主さんの母親のための別棟だったのが、その母親が亡くなって私が借りたわけです。正面の大きなガラス窓から、通りを挟んで教会の大きな樅の木が見え、その木々の間に氷河を頂くレニエ山が美しく輝いていました。

 宿題は分厚い本を最低3日に一冊は読んでレポートしたり、教室で議論したりというものだったので、それをこなすのが精一杯の日々を送っていました。授業のない時は、毎日部屋にこもりっきりで、日本から持ってきたソニーのポータブル・ステレオ・ラジオをオールディズに選曲をあわせかけっぱなしにしていました。

 The Roseという歌を初めて聴いたのはその頃のことです。この歌を聴いた瞬間、なんとも云えず感動して、自然に涙が出てきたのを覚えています(今でもうっかり聞くと涙が出ますので、人前では聞かないようにしています。非常に涙もろくって、「のだめカンタービレ」のような漫画チックなテレビドラマや宮崎駿作品を見ても涙するくらいです)。歌のタイトルや正確な歌詞を知りたくても、当時はインターネットといった便利なものがありませんでしたから、人に聞くか図書館で調べるしか方法はありませんでした。そのためにも、ある程度、歌詞が分からないといけない。この歌がかかるたびに歌詞を筆記して(ヒアリング能力がなかったので1回ではとてもディクテイトできなかったんです)、メロディを覚え、下宿のルースおばさんに聞きましたが、分かりませんでした。それでも当時行っていた教会の友人に聞くと、それは“The Rose”といって、映画“Rose”の主題歌だと教えられました。でも、レコードを買いに行くにもお金がなかったし、テープに録音するにも、テープを買うお金もなかったので(本当に貧乏だったんです)、歌詞だけを書いてもらって大切に持っていました。


(Westlife-The Rose)

 “Rose”は1979年にBette Midler主演で制作された映画です。1960年代に酒と麻薬におぼれながらも歌い続け27歳で夭折した女性ロックシンガーのジャニス・ジョブリンへのオマージュ映画です。”The Rose”は、その映画のエンディングソングとして使われました。それを都はるみが「愛は花、君はその種」というタイトルで、日本語でカバーし、宮崎駿製作・高畑勳監督作品の「おもひでぽろぽろ」のエンディングとしても使われました。

 1960年代はベトナム反戦運動、キング牧師を中心とした公民権運動、世界的な学生運動、そしてヒッピーなどが起こった時代で、より良い社会への変革が強く求められた時代でした。自由、平等、愛など人間について、深く考えた時代でもありました。いや、今もそれは変わらないですが、異なっているのは、それをみんなが真正面から取り上げ、素直に語り、自分たちの信念に基づいて突っ走った時代でした。余談ですが、インターネットもこの時代に反権力のひとつの手法として考案され発達してきたものです。

 少し長くなりますが、歌詞の原文を載せておきます。中学校で習う程度の易しい英語で、こんなにも優しく、力強い表現ができるんです。人の心を打つ言葉とは、本来、優しいもののはずですから、「やさしい」のは当たり前のことですね。


Some say love it is a river
That drowns the tender reed.
Some say love it is a razor
That leaves your soul to bleed.

Some say love it is a hunger
An endless, aching need
I say love it is a flower,
And you it's only seed.

It's the heart afraid of breaking
That never learns to dance
It's the dream afraid of waking
That never takes the chance

It's the one who won't be taken,
Who cannot seem to give
And the soul afraid of dying
That never learns to live.

And the night has been too lonely
And the road has been too long.
And you think that love is only
For the lucky and the strong.

Just remember in the winter
Far beneath the bitter snow
Lies the seed that with the sun's love,
In the Spring becomes the Rose

(作詞・作曲:Amanda McBroom)

Monday, June 16, 2008

夏が来ました!

 随分とブログをサボってしまいました。3月の年度末に経費削減ということで私の事務所の人間が一人減ってしまいました。いや、仕事が減ったり、サボっていたからというわけではないんです。仕事はいままで以上にありますし、人員は減らされるどころか増やしてもらいたいくらいなのですが。親会社の意向ということでいたし方ありませんでした。そのため、4月の新年度にかけて、事務所の体制を立て直したり、いままで以上に多い日本からの訪問者に対応したりしていて、ブログをかかなくてはと思いつつ日々が過ぎてしまいました。四月初めに書いたのを最後に力尽きたという感じでした。まあ、言い訳はこのあたりで終わりにして。


















 オリンピアの夏は突然やって来ます(といっても、これは気候のことですから、シアトルも含め、ピュージェット湾地域からオリンピック半島一帯にかけて同じですが)。日本では、昔から「三寒四温」と言われているように、暑さも寒さもじわじわとやってきます。冬が過ぎ、少し暖かくなったかと思うと、また寒さがぶりかえす。でも、それを繰り返しながら、確実に暖かくなり、春になります。同じように、春から夏も徐々にやってきます。今年は、もう28度とか30度という気温の日が続いているようですが、それでも、初夏があり、梅雨があり、盛夏がやってきます。

 オリンピアでは事情が異なっています。四季というものが日本のようにはっきりとはありません。アメリカの他の地域に比べれば、春らしきものと秋らしきものがあります。その点では日本に似ています。地球温暖化のためか、世界的に気候がおかしいとはいえ、基本的にはこの気候はかわりません。でも、このあたりの気候は、春夏秋冬で区分するよりは、雨季と乾季で区別するほうが良いようです。夏場は乾季で雨がほとんど降らず、冬場は雨季で晴れ間がほとんど見えません。その間が、雨季から乾季と乾季から雨季への移行の時期にあたります。

















 この雨季から乾季への移行と乾季から雨季への移行が劇的に行われるのがこのあたりの天候の特色です。長くオリンピアに暮らしていると、「あ、今日から夏や」とか「ああ、夏は終わった」(つまり半年間続く雨季になった)というのが分かるようになります。今年は少し異常で、3月にそのように感じた日があったのですが。考えてみれば、いくら早くても、乾季への移行は5月末から6月はじめですからちょっと慌てすぎたんですね。

 今年の乾季への移行日は、6月11日水曜から12日木曜へかけてでした。写真でも分かっていただけるように、シアトルの事務所から撮ったピュージェット湾は雲に覆われどんよりしています。これが11日。翌12日にオリンピアのファーマーズマーケットで撮った写真は晴天!犬もご機嫌!今日は16日月曜の早朝ですから、これで5日間快晴の日が続いています。もう、雨が降ることは秋(10月から11月)の頃までないでしょう。なぜ、そう思うかというと、真夜中も空に雲がないからです。


















 雨季から乾季への移行は、まず、終日(昼も夜も、朝も晩も)厚い雲で覆われていた空が、午後になると雲の厚みが減ってうっすらとした明るさ雲全体に広がることからはじまります。それがしだいに午前中にそのようになり、そのうちに、空を覆っていたうす雲が切れて、青空がのぞくようになります。それでも、夕刻から夜になると雲が増え、雨を降らせます。その夜の雲もだんだんと減って、星空が見えるようになり、最後には、夜空にも雲がかからなくなります。これが夏!24時間晴れ!の乾季、つまり夏です。その最後の雲が切れたのが、6月12日の夜でした。当日は美しい月と星が輝いていました。


















 その逆に、乾季から雨季への移行時には、前日まで晴れていたのに突然空が雲で覆われ雨が降り、二度と雲が空から切れなくなります。昼は曇ったり雨が降っているのに、夜になると星空が広がるという時期があって、だんだんとその星空もなくなり、ついには24時間雲に覆われた空になります。くら~い雨季の本格的到来です。


















 まあ、半年後の雨季の話はここではやめましょう。これからもっとも光が美しい季節になります。日も長くなります。最後の写真は自宅前の樹と青空です。午後8時40分頃に撮りました。