Saturday, May 2, 2009

セクイムへ行きました

 咋日、ミーティングがあってセクイムまで出かけました。私はオリンピアに住んでいるので、いつもオリンピック半島へ行くには、101を使います。シアトル辺りの人々は、フェリーで途中の島に渡り、そこからフッド・キャナル・ブリッジ(Hood Canal Bridge)を通って半島へ入ります。しかし、今日、5月1日から2ヶ月間、この橋が補修のため閉鎖されます。そのため、シアトルあたりからオリンピック半島へ行くためには、オリンピアまでいったん下がり、そこから101を通って半島の各地へ行くよりほかなくなりました。距離にして約200キロの迂回です。なんとも不便な話です。代替処置もなしに日本でこんなことをしたら大問題ですが、大雑把なアメリカのこと、しょっちゅうあります。大雪が降った昨年は、ボストン(東海岸)まで通じる大動脈のI-5が雪崩れの危険防止工事のためにたびたび閉鎖されました。その都度、「I-5は雪崩れ工事のために通行止め。他の迂回路を利用してください」とのみ道路に表示が出るだけです。迂回するといっても、このときは、約300キロの迂回です。つまり、太平洋側の幹線が使えないから、日本海側を使ってくれ、と言っているようなものです。それでも誰も文句を言いませんでした。「雪崩れやったらしょうないな」と言った感じです。

 









 本当によい天気でした。オリンピアの北、シェルトン(Shelton) あたりの101から見えるオリンピック山脈です。

 この日がフッド・キャナル・ブリッジがクローズドされる最初の日ということもあって、ワシントン州警察(Washington State Police)や各郡警察(Sheriff )のパトカーが山ほど出ていました。いつもは一台も見ないこともあるのに、今日はなんとセクイムへ着くまでに14台(アホですから数えていたんです)も出会いました。プレザント・ハーバー(Pleasant Harbor)という場所では、3台仲良く並んでカフェでくつろいでいました。フッド・キャナル・ブリッジの東と西をパトロールしているパトカーが、回る場所がなくなってみんなこちらに終結したのかも知れません。












 途中のピュージェットサウンドもキラキラと輝いていました。停めるのに適当な場所がなく、車のサンルーフからカメラを出して撮ったのであまりよい構図ではないですが、雰囲気は分かってもらえると思います。

 オリンピアからセクイムまではちょうと100マイルあり、今日のように制限速度をきっちり守って(守らざるをえない状態でしたので)走ると、道が曲がりくねっているので、平均時速は50マイルほどに落ちます。オリンピアから約1時間半走ったあたりがクイルシン(Quilceneから10キロほどのところにあるディスカバリー・ベイ(Discovery Bay)になります。ちょうど、ここがポート・タウンゼント(Port Townsend)への分岐点で、時間がある時はここのCafé で休憩します。咋日は、道が込んでいるかも知れないと考えて、早めに出てきたので、一休みしました。












 このCaféはカナダを走っていた列車を持ってきて、それを改造したもので、おばさんと息子夫婦がやっています。この前、立ち寄ったときは天気が悪かったのですが、今日は晴天でしたから、裏のデッキでラテを飲みました。ここではワイアレスインターネットが使えるので、出張用に愛用しているAcer Aspire Oneでメールのチェックができました。

 ミーティングで会ったJohnが、いつものことですが、突然紹介したい人がいるからということで、その場で電話をかけ、そのまま、ポート・エンジェルス(Port Angels)に連れて行かれました。そこで会ったのは、Linda Rotmarkというクラルム(郡)経済開発委員会(Clallam County Economic Development Council)の専務理事(Executive Director)でした。彼女の息子さんは、現在、日本にいて、彼女も近々日本へ行くから会ってくれ、というのがJohnが僕を連れて行った理由です。でも、会ってみてびっくり。息子さんはなんと高砂市(兵庫県)に日本人の奥さんと住んでいるのだそうです。シアトルに本社がある、Real Networksに勤める技術者で、これも驚きですが、メールやスカイプでシアトル本社とのやりとりをしながら仕事をしているそうです。超遠隔のホームオフィス勤務です。Lindaは姫路城を見て、その後、宍粟市に行くと言ってました。もちろん、その他、将来、何か一緒に企業マッチングをしようね、という話もしました。











 Port Angeles からセクイムへの帰り道で写したオリンピック山脈の写真です。RVを売っている展示場から撮ったものです。

 Johnと二人で韓国人夫婦がやっている”Okasan”という日本食レストランで寿司と天ぷらうどんを食べながら、セクイムから宍粟市へ行く高校生のためのファンドレージング(つまり資金集め)の方法や夏のラベンダーフェスティバルでのJapan Nightなどについて話がはずみました。“Okasan”という看板がかかっていたので聞いてみると”mother”、つまりお母さんの意味なのだそうです。でも、店の主人は、「オカサン」と発音していました。












 帰りももちろん超安全運転。全行程を制限速度以下で走りました。セクイムを午後3時前に出て、シェルトンへ着いたのが午後5時半ごろでした。まだ、日も高いので(最近の日の入りは午後8時半頃になりました。ずいぶん日が長くなりました)、スクワクシン(Squaxin)族居留地そばにあるサーモンが登ってくる川を見に行きました。ここはあまり人に知られていない場所で、私も昨年、気まぐれに101から横道に入った時に見つけたところです。その時は、いっぱい鮭が遡上していて、一部は力尽きて死に絶えていました。

 もちろん、今は鮭の季節ではないのですが、なんとなく、川を見たくなったので、立ち寄ることにしたのです。川辺は樹木で覆われているのですが、川沿いに踏み分け道があって、川にそって歩くことができます。オリンピアから20分ほどのところにある、私のとっておきの場所です。

 川の上流に向かって撮った写真です。西に傾いた日の光が右手斜め上からさしていますから、川はこのあたりでは西南西から東北東へ流れているんです。この川はあと2マイルほど流れて、ピュージェット湾に注ぎます。鮭は太平洋からカナダとの国境であるフアンデフカ海峡を通り、ピュージェット湾をまっすぐ南下して、湾の南端を東から回りこむようにして、この川に遡上してくるようです。

 この川辺で思いもかけないものに出会いました。何だと思います?サーモンベリーです。この辺りにあるなど夢にも思いませんでした。マカ居留地にはいっぱいありますが、マカの居留地を出るともう見かけなくなりますから、まさかオリンピアのそばにあるなどとは考えてもいませんでした。でも、あったんです!川辺に沿って、所々に咲いていました。踏み分け道の辺りにはブラックベリーはあっても、サーモンベリーは見当たりませんでした。












 まあ、雑草のようなブラックベリーのツルとくらべると、サーモンベリーの木はいかにも弱々しそうですから、無理ないのでしょう。

 鮭が生まれた川辺にひっそりと咲いているなんて、今頃は太平洋のはるかかなたを泳いでいるだろう鮭の帰りを待ちわびているようです。ネイティブ・アメリカンの人々がこの木苺をサーモンベリーと名づけたのは、単に色がピンク色をしているからだけではなく、ひょっとしたら廻り来る鮭に対する彼らの祈りが込められていたのかも知れないなぁと思いました。ブラックベリーはもちろん、ブルーベリーなども花は上向きに咲きますが、サーモンベリーの花はどれも5枚の花弁で顔を隠すようにして、少し下を向いて咲きます。その風情がまた何とも言えず愛らしいです。

 実がつき始めていたので、1週間もすれば食べることができるようになると思います。来週はサーモンベリー摘みに出かけようかと考えています。

Tuesday, April 28, 2009

春たけなわ

 昨年冬から今年にかけて異常に雪がたくさん降りました。それに二月、三月頃の天候も雨が多く、寒い日が続いていました。でも、四月も終わりに近づいた最近では、ようやく晴天の日が連日続くようになりました。気温は12、13度あたりなのですが、日差しがあるととても暖かく、みんな半袖です。  このあたりの気候は、春と夏の区別がほとんどなく、夏でも気温が30度を超えることなど稀にしかありません。また、秋と冬の区別もあまりなく、この季節は、雨が降り、気温も2度前後となって雨季と呼ばれます。つまり、春夏秋冬ではなく、夏と冬の2シーズンしかありません。

 ですから、みんなの服装も、真夏の格好か真冬の格好かの2種類しかないのです。まだ、4月ですが、女子中学生や高校生のおしゃれな服装は、アバクロやホリスター、アメリカンイーグルのタンクトップにジーンズ、それにゴムサンダルを履いてオリンピアの町を歩いています。  オリンピアの町にもようやく春らしい春がめぐってきました。あちこちの庭の木々はいっせいに花をつけ、庭にはいろいろな草花が咲き始めています。白や赤のもくれんも満開で、石楠花も咲き始めました。五月の終わりにかけての1ヶ月が一番色あでやかな季節になります。
  オリンピアはワシントン州の州都ですが、ちょっと見には「田舎」です。でも、州都であるだけに文化的な水準が高く、田舎の自然と都市文化を併せ持った所ということができます。近所の家の庭や道路に咲いている花の写真を少し撮ってきましたので、春のオリンピアをお楽しみください。リスも楽しそうに走り回っていました。

Sunday, April 26, 2009

ご無沙汰しました!

 昨年の夏過ぎから極端に忙しくなって、ブログの更新ができないままにあっという間に時間が過ぎてしまいました。一つには昨年4月から予算が削られて、人が1人減ったことがその原因です。仕事が減ったから人が減ったのではなく、仕事は増えているのに人が減るのだからたまったものではありません。もともと4人しか居なかったのだから、1人減ると残りの3人にかかる負担は半端なものではなくなりました。特に、私の負担は相当なものがあって、毎日夜の7時過ぎまで事務所に居て、その後、家に帰っても、時差の関係で、日本では勤務時間中となるためメールや電話がいろいろ入り、深夜まで仕事をしていてもこなせないような状態が続いていました。その上、昨年の秋から兵庫県内の大学で構成する、ひょうご大学連携推進協議会と一緒になって、今年の夏にワシントン州内に約100名ほどの大学生を受け入れるプログラム開発にどっぷりと浸かってしまったので、もう、猫の手どころかネズミの手も借りたいような状態が続いています。日本でもおなじみの“Tom & Jerry”が居てくれたらどれほど助かることかなどとアニメのような話を思わず考えてしまうほどです。

 人間というのは環境が変わってもすぐには今までの日常生活のペースを切り替えることができないようで、忙しいなりに、パソコンなどのインターネットツールを使って、時間をより効率的に使えるようになるまでに半年ほどかかってしまいました(すぐに対応できる人もいるのでしょうが、私の場合はすぐにはちょっとできませんでした)。ようやくブログも再開する余裕が時間的にも、そして、何よりも、精神的にもできてきたところです。

 今年の8月から9月にかけて、先ほど書いたように、兵庫県の大学に在籍する学生たちがたくさんやって来ます。そのうちの50人くらいは短い人で2週間、長い人は2ヶ月オリンピアで研修やインターンシップをしながら過ごすことになります。残りの50名ほどは、シアトル、セクイム、ポートタウンゼント、そしてマカ族居留地などで2週間ばかり過ごすことになります。

 これらのプログラムに参加することを考えている学生たちに、先ほど書いた協議会事務局の人が私のブログにこれらの地域の情報が載っているからと参考に教えているようで、そのためにも、せっせとブログの更新をしなければ、ということになっています。

 10日ばかり前に満開を迎えたワシントン州政府キャンパスの桜もついに色あせ始めました。以前も書いたことがありますが、こちらの桜は、日本のように風にハラハラと散るということがありません。滅びの美学とか去り行くものの風情とはまったく無関係で、花びらが色あせ、茶色になってもまだ枝にしっかりとしがみついています。「雨にもまけず、風にもまけ」ない宮沢賢治のような桜なのです。

 桜は日本のソメイヨシノですが、この地に移民ならぬ「移樹」すると性格もたくましくなるのかも知れません。これは桜に限らず、梅、桃、椿なども同じです。椿など昨年の花が茶色になって干からびでいるのに、まだ、枝についていて、新しい花が咲いても落ちることはありません。いつみてもたいしたものだと感心してしまいます。

Thursday, October 30, 2008

明日はハロウィーン

 明日、10月31日はハロウィーン。子供たちがいろいろな衣装を着て、「Trick or Treat」と言いながらお菓子をもらいに家々をまわるのは、もうお馴染みだと思います。

 日本では、クリスマスとは違って、この行事はそれほど盛んではないですが、アメリカでは、夏休みが終わり、学校の新学期が始まってから約1ヶ月でやってくる子供たちの一大行事です。これが終わると、11月の収穫感謝祭(Thanksgiving Day)から12月のクリスマスまで、アメリカ最大の休暇期間に入ります。

 ハロウィーンは子供だけでなく、大人にとっても大きなイベント。家の飾り付けをし、子供たちとカボチャをくりぬいて、ジャック・オ・ランタン(jack-O’-lantern)をつくり、家にやって来る子供にあげるお菓子やシールなどを買い揃えるなど色々と忙しい時期です。

 それぞれの家庭だけでなく、この時期は、ワシントン州知事も準備に忙しくなります。ハロウィーンの日には、オリンピアにある知事公舎(Governor’s Residence)にも子供たちがやってくるためです。

 毎年、クリス・グレゴア知事とご主人は子供たちに人気があるキャラクターに扮装します。最初の年は、「シャーロットのおくりもの」(原題:Charlotte’s Webb)という児童文学のクモになりました。今年は、「ドーラと一緒に大冒険」(原題:Dora the Explore)というテレビアニメの主人公、ドーラに扮装するそうです。このアニメは、Tokyo MXというテレビでも放送されたことがあるようです。

 ドーラは、ヒスパニック系アメリカ人で、優しく正義感の強い7歳になる女の子です。スペイン語と英語のバイリンガルで、色々な冒険の途中に出くわすトラブルを解決していきます。

 彼女のベストフレンドがブーツ(Boots)という名のサルで、彼女の手助けをします。もう一人、欠かせないキャラクターが、狐のスワイパー(Swiper)で、こちらは愛嬌のある「悪役」です。ドーラの邪魔をしたり、意地悪をするたびに、彼女にやり込められて、すたこらと逃げ出す役です。

 グレゴア知事の扮装は、ドーラ。では、誰がブーツになるのでしょうか。ご主人のマイク・グレゴア氏です。

 余談ですが、男性が知事の場合は、その夫人を”First Lady of Washington”(ワシントン州のファースト・レディ)といいます。”First Lady of the United States”といえば、大統領夫人のことになります。では、女性が知事の場合は、その夫君をどう呼ぶのでしょうか。”First Gentleman of Washington”(ワシントン州のファースト・ジェントルマン)と呼びます。

 そのファースト・ジェントルマンがおサルのブーツ役。そして、狐のスワイパーに扮するのが、”First Dog of Washington”のトゥルーパー(Trooper)。これは誰でしょうか?知事ご夫妻が飼っている、2歳半になる犬です。

 明日訪ねてくる子供たちには、12月5日に行われる公邸のクリスマス装飾特別見学会への招待券(ただし、5枚だけ)や児童向けの図書が配られるそうです。きっと、公邸の前には、今年も長い行列が出来るでしょう。

Saturday, October 25, 2008

アメリカの教育―加点方式―

 最近、北海道の大学生方に話をする機会があり、そのお礼に頂いた色紙に彼らの感想が添えられていてとてもうれしく思いました。そのうちのいくつかは日本とアメリカの教育に関する話にふれた部分でした。
 いつもはノー天気なことを書いているので、今日は、少し堅めに日本とアメリカの教育の違いについて書いてみようと思います(笑)。私は仕事の関係で、日本の留学生やインターンに接する機会が日常的にあります。中学生や高校生たちの1週間ほどの短期語学体験留学から大学や大学院を卒業するまでの長期留学の差はありますが、一般的に言って、どの学生たちも素直で、まじめで、能力と可能性をいっぱい持った人たちです。でも、アメリカの学生たちと比べると、何かが違うという感覚がずっと私につきまとっていて、それが何なのかを考え続けています。(答えは一つでなく、色々な理由の組み合わせであるため、一言ではいえないのですが)

 アメリカはその建国の歴史から言っても、キリスト教(ピューリタニズム)に基づく、キリスト教文化の社会です。そして、キリスト教に基づく人間観というのは、性悪説です。絶対的な神の前にあっては、人間は「塵(ちり)」、「芥(あくた)」にすぎず、無に等しいもの。また、完全無欠な神の前にあって、人間は罪を犯すもの、パウロ的に言えば、人間は根元的に罪を持っており、存在そのものが罪と表現できます。その人間が神=聖霊=イエス・キリストを信じ、悔い改めることにることによって、罪を許されて生きることができると考えられています。

 一方、日本は性善説に基づく人間観が根底に流れていると思います。「渡る世間に鬼はなし」ということわざがあります。「渡る世間は鬼ばかり」というTVドラマがうけたのも、このことわざのパロディとしてであり、日本人がどこかで、「(鬼ばっかり違うけど)やっぱり鬼もいるんやなぁ。えげつないやっちゃ。」と考えているから笑えるわけでしょう。日本には「穢れ」という思想があります。神道にみられるこの考え方が日本人の心理の奥底にまで及んでいます。人間は本来けがれのない美しい魂を持った存在である。しかし、何らかの原因で、穢れがその人につけばその人の魂と存在は汚れたものになる。だから、穢れがつけばお祓いや禊ぎをして、その穢れを取り除けば、人はもとの清らかな存在となる、と考えられています。これは人間が罪の存在であると考えるキリスト教文化とは対極をなすものです。

 ただ、キリスト教にも性善説的な部分があり、日本の思想にも性悪説的なものはありますから、仔細に書いているとブログが終わりません(笑)から、あくまでも相対的にという程度にご理解下さい。性悪説に基づけば、教育は加点主義になります。もともと人間は無、つまり、零(ゼロ)ですから、1つ知れば、1点とったと考えるようになります。ソクラテスの「無知の知」も同じです。「自分が無知なことを知っている。だから、自分はすべてのことを知っている(あるいは一番多く知っている)と思い上がった人間よりも私の方が優れている」と彼は言います。別の言い方をすれば、「人間がすべてのことを知ることはできない。だから、すべてのことを知っているということは間違いだ(あるいは、知っていると言っても五十歩百歩だ)。自分はまだまだ知らないことがある。それを一つひとつ極めていくことが大切なのだ」ということです。生まれたての子供は何も知らない。だから、何かひとつのことを覚えると、肯定的な意味で、その子は成長したことになります。だから、子供は訓練(教育)しなければならない、とも考えるわけですが。

 アメリカの教育はこの加点方式に基づいています。ある問題に対する答えが一部でもあっていれば、1点、5点、あるいは10点加点されます。これは日本でいう試験の部分点という考え方ではありません。部分点というのは、たとえば、その問題の満点が20点であれば、半分はあっているから10点あげるという考え方です。でも、アメリカでは、その問題の「満点が20点」という発想が異なっています。もちろん、アメリカにも試験がありますから、成績は点数で表されます。でも、すべての試験が100満点で何点という考え方ではありません。450点中380点取ったから、パーセントに直せば、84.4パーセントという表現をします。また、オリンピアのある中学校では、「この試験で取れる点数の可能性(possible points)は100」と試験の前に学生に表示されます。この意味は、日本のように全部あっていたら100点、という考えではありません。数学のように数式で、あるいは、リーディング(読解力)やライティング(作文)のように記述式で答える回答方式の違いを問わず、もし、学生が学校で習っている(あるいは先生が期待している)レベル以上の解答をすれば100(点)を越える点数、たとえば、103点とか105点ということもあり得るわけです。このように100を越える点数がつくことがあるのは、一つひとつの問題の解答に対する点数を加点していくからです。
 このような加点方式が一番分かりやすいのは、ドライバーテスト(運転免許試験)です。ワシントン州では筆記試験はコンピューターによるもので、英語、スペイン語、日本語の3種類の言語からどれかを選んで受けることができます。各問題は4択で出され、そのうちの正解をクリックして行く方法で出されます。25問出て、20問(80パーセント)正解(だったと思います)すれば通りますから、すべての問題に答える必要がなく、最初から順に答えていって、解答率が80パーセントに達したらそれで終わりです。終わりというのは、文字通りの終わりで、いくらあとに問題が残っていてもコンピューターはそれ以上問題を出してくれません。やる必要がない、ということです。最初から20問正解すれば、5問残していても、それで終了です。もちろん、20問やってまだ点数が足らなければ、80パーセントに達するまで問題を解くことができます。25問やって80パーセントなければ、当然、「バイバイ、またね」と言うことです。この方式は、加点主義に基づいています。80パーセント必要なのだから、それに達するまで加点していくわけです。100パーセントから点数を引いて、残りが80パーセント以上あるから通してあげる、という考えではないわけです。

 学校の話に戻ると、アメリカの学校では試験だけで成績が決められるわけではないとよく言われます。その通りです。それは加点主義に基づいているからできるわけです。ペーパーテストが全体の何パーセント、そして、クラスでの発言(内容ではなく、発言したか、しなかったかが重要)、グループ学習でどれほどグループに貢献したか(リーダーシップを発揮したか、他の学生を助けたかなど)、宿題(出したら何点、そして正しければ追加で何点と決まっています)、発表会でどのようなプレゼンをしたか、学校にどれほど貢献したか(クラブ活動で頑張ったとか)などがそれぞれ何パーセントと決まっています。だから、アメリカの学生は、つまらないことでも質問し、グループワークではとにかく熱心に参加しようとするのです。こうなると学年の最後の評価で100あるいはそれ以上のポイント(さっきも述べたように、103などもありえる)をとるのは至難の業ということになります。もし、100とれればすべての分野で優れているということになりますから。

 このように書くと、アメリカでは学力があまり重んじられていないように思われるでしょうが、そうではありません。日本が「ゆとり教育」などという馬鹿げた(と私は思っています)制度を実施している間に、アメリカは一生懸命、学生の学力向上に取り組んできました。ワシントン州では、WASL(Washington Assessment of Student Learning)という学生の学力レベルをはかる共通テストがあり、小学4年生から高校3年生までが受けなければなりません。そして、高校3年までに求められているレベルに達していなければ、高校卒業資格を与えられません。学校が下駄をはかせて卒業させてくれるほど甘くはないわけです。アメリカの大学は入り易いが卒業しにくいとよく言われます。でも、自分が希望する大学に行くためには、学校の成績(さっき書いたすべての分野の成績)やWASLの試験結果、そして資力によって決まります。日本で考えられているのとは違って、アメリカでは小学校からずっと子供たちは(そして親も)能力の総合力で競争しているのです。

 日本は性善説に基づいて考える傾向があるので、減点方式になります。すべての人は、みんな正しい人であり、満点を取る能力があると考えがちだからです。100点が取れないのは、その人の勉強や努力が足りないというわけです。穢れがついて、その人の健康や正しい行いが保たれなくなるという発想と同じです(これはこれで良い面もありますが、人間というものを客観的に眺めれば、やはり間違いだといわざるを得ないでしょう)。能力も才能も異なったすべての人が、一律的学力試験において100点とれると仮定して、ひとつ間違えば、何点減点という方式で成績を決める。この考え方が日本の減点方式です。
 もし、この減点方式の考え方のままで、日本の教育現場でも、アメリカのようにいろいろな学生の能力も評価できるような成績制度を取り入れようとすると、これは多分不可能です。なぜかというと、学生のリーダーシップやクラスメートにやさしく接し、クラスへ貢献したなどといった、点数では評価が困難な分野について、何をもって100(あるいは満点)とするかが決定できないからです。むちゃくちゃ足が速く、陸上競技で、学校の名を高めてくれた。では、どの程度の速さなら、あるいは成績なら100点なのかは容易に決められるわけではありません。あるいは、グループ学習でどの程度のリーダーシップが100点なのかも決めることができません。でも、足が速いから特別に何点あげる、とかリーダーシップがあるから何点ね、クラスでみんなに親切にして、クラス全体の雰囲気をよい方向に持って行くのに1年間がんばってくれたから、何点プラスということは出来ます。実際に、そのような表彰制度を各学校が持っています。

 日本の教育制度について長い間議論がなされ、改革も徐々にですが進んでいます。しかし、減点方式による学力至上主義といった考えを、根本的に改めなければ本当の意味での改革は出来ないでしょう。今の日本の学校で、「あいつのパンは旨い」とか「あいつめちゃ歌うまいで」、と誰がほめて、学校で評価してくれるでしょうか。学校の学力成績が良い学生だけが評価され、優越感を持ち(ほとんどの人はそうではないでしょうが)、一流企業や官庁に就職し、そのくせ、旨いパンを求めて食し、TVでお笑いタレントやポップ歌手の番組を楽しむ・・・日本の学校教育における評価システムはなんと不平等なものでしょうか。

 アメリカの教育制度に問題がないわけではありません。しかし、学生一人ひとりの総合力を評価し、高め、それを社会へと送り出していくという点では、優れたものがあるように思います。
冒頭で、「日本の学生は、アメリカの学生と比べて何かが違う」と書きましたが、その違いは、学生たちの積極さや伸びやかさです。日本の学生は優秀です。でも、その学生たちが自分たちの能力を発揮し、発展させていくためには、間違えても良い、何かをすればそれだけでも評価されるのだという肯定的な気持ちを持つ必要があります。そして、学生たちが自由に、伸びやかに、楽しく能力を伸ばしていくためには、学校や社会が学生たちをいままでと違った方式で眺め、評価しなければなりません。授業時間を減らしたり、学力的には劣った学生(でも、他の面では優れた学生)に授業レベルを合わせ(かといって、他の面で評価される機会を与えない)たりすれば解決する問題ではありません。日本社会の総合的競争力が国際的に劣ってきているなら、それは子供たちや学生たちの能力が劣っているわけではなく、学校や社会が彼ら(彼女ら)の能力の芽を摘んでいることに他ならないと感じています。
 写真は、上から順に、
1.ガーフィールド小学校の正面
2.ガーフィールド小学校の運動場と校舎
3.ガーフィールド小学校駐車場の紅葉
4.ジェファーソン中学校の正面
5.ジェファーソン中学校の正門
6.キャピタル高校の正面校舎
7.キャピタル高校の正門

Thursday, October 23, 2008

ビストロ・薩摩

 今日、仕事帰りに少し用があってギグ・ハーバー(Gig Harbor)にあるビストロ・薩摩(Bistro Satsuma)に寄りました。事務所を出たのが6時半ごろと少し遅くなり、店に着いたのが7時半過ぎでした。ギグ・ハーバーはタコマから約10マイル西へ走ったところです。

 ビストロ・薩摩はタック・末次さんというオーナー・シェフが腕を振るっている日本食レストランです。今日は木曜日なのですいているだろうと思っていったのに、なんと満席。奥さんのミナエさんが席を取っていてくれたのですぐに着席できましたが、そうでなければお腹を減らしながら順番待ちをしなければいけないところでした。
 末次さんに聞くと、8月にThe News Tribuneという新聞社からお忍びで記者がやってきて、昼食と夕食を食べた後、身分を明かし、この店を紹介したいからとインタビューをして記事にしたそうです。この新聞社は、いいレストランにこっそり行って観察し、よければ紹介記事を書きます。記事になったお店には、記念として、記事を縦60センチ、横40センチほどの立派な盾にしてくれます。ビストロ・薩摩にもおいてありました。
 そもそもこの末次さんというのは、名誉全米アカデミック・シェフ(Honorary American Academic Chef)のタイトルを持つただ一人の日本料理の調理師です。ワシントン州全体を見てもアカデミック・シェフは17人しかいません。以前は、ウェスティン・ホテルで日光という大きな日本食レストランを由紀さおりさんのご主人と一緒に経営していた人で、日本レストラン協会の会長です。今は、ギグ・ハーバーでゆっくりと仕事をしていますが、マリナーズのオーナーの別荘でたびたび開くパーティのホスト役兼シェフもつとめている人で、イチローなどもお客の一人です。The News Tribuneの記者が今頃になってこの店に気づくのは少し遅くはないかい、と思ってしまいました。まあ、それはともかく、記事の威力は大きいもので、8月以来店は大変忙しいそうです。

 私が行くといつも末次さんは特別な料理を作ってくれます。有難いことです。今日は店で人気の、「おだまき」(茶碗蒸しの下にうどんを入れ、上に餡をかけたもの)と「アサリの酒蒸しビストロ・薩摩風」(普通の酒蒸しとは違い、出汁やバター、イタリアン風ソース、ガーリックなどを入れたスープで蒸してある)のほかに、特別料理!「カキの土手鍋」を出してくれました。でも、お腹がいっぱいになり、半分くらいの土手鍋はお持ち帰りにしました。それにアサリの酒蒸しの残ったソースは、ホワイトクリームを入れるとスパゲティのソースになるというので、これもお持ち帰りにしました。

 写真は、上から順に、

1.まず、マイ箸を出していただく準備。余談ですが、マイ箸をシアトルで流行らそうとしています。このすぐ後に「おだまき」が来たので、ついていたスプーンで思わず食べてしまいました(箸いらず)。お腹が減っていたんです。

2.末次さんが、土手鍋の料理前の鍋と入れる味噌(八町味噌とあわせ味噌)を見せに来てくれて、おだまきをほうばっている私を見て、「あれ、写真は撮らないの?」....「あっ、忘れた!」

3.次は「アサリの酒蒸しビストロ・薩摩風」。

4.濃い味だったので、口の中をすっきりとさせるため、土手鍋ができる間に出してくれた酢の物。

5.出来ました!松茸入りの「カキの土手鍋」

 帰る前に、先日日本から酒粕を持って帰ってきたので、粕漬けの床の作り方を教わった。ノートを持ってきて見せてもらったが、そこには(秘伝)と書いてあった。でも、そんなに大したものではないだろう。なんせ、酒粕に酒、砂糖、塩を混ぜればいいだけのようだから。でも、その割合が秘伝かも...メモを取って来ました。知りたい方にはお教えしますよ。

Wednesday, October 22, 2008

オリンピアの秋

 今年のピュージェット・サウンド地域(Puget Sound Area)は、天候に恵まれています。ピュージェット・サウンドというのは、シアトルが面している湾の名前で、一番北はカナダとの国境のファン・デ・フカ海峡になり太平洋への出口となっています。この湾に接している地域をピュージェット・サウンド・エリアと呼び、オリンピアはこの湾の一番南奥に位置しています。

 昨年は、もうこの時期には雨季が始まっていて、毎日、暗い空から雨がしとしとと降っていました。でも、今年は強い雨が降る日もありますが、今日のように快晴の空が広がる日が続いて、霧雨にうたれると茶色くなる木々の葉も、きれいに色づいています。

 昨日は、シアトル・ヨット・クラブでランチミーティングがありましたが、その駐車場から玄関に続く道の木も色づいていました。オリンピアでも紅葉が美しく、とくに晴天で、陽が木々に映えるときにはその美しさを増します。黄色の葉は黄金色に、赤色は深紅色に輝いています。  このあたりでは、黄色に変わる木が多く、もみじのような艶やかな木は少ないのですが、それでも、アメリカのほとんどの地域では見ることができない秋の紅葉を楽しむことができます。 そうそう、秋になるとナナカマド(rowan treeとか mountain ashと言います)が赤い実をつけます。木に鈴なりになったナナカマドの赤い実は、葉が落ちても残り、雪が降って木が綿帽子をかぶると赤と白のコントラストがなんとも言えず美しいものです。ナナカマド(七竈)は大きなものは10メートルくらいに成長するバラ科の落葉樹で、日本では、北海道では普通に見ることができ、本州でも信州の山岳地に行くと見ることができます。オリンピアやシアトルはずいぶん北に位置しているのがお分かりいただけると思います。緯度で言えば、北海道よりもまだ北にありますから。今日は晴天ですが、気温は摂氏8度くらいまでしか上がりませんでした。それでも、日なたでは半袖で十分歩けます。

 秋といえば、ハロウィーンがもうすぐです。10月31日のハロウィーンが終わると、11月の収穫感謝祭から12月のクリスマスにかけて続く、アメリカ最大の休暇シーズンに入ります。町のあちこちで、ハロウィーン商品が売られ、近所の家も飾り付けを始めました。  スーパーの前には、人の頭の4~5倍はある大きなパンプキンが売られていました。これでジャクランタンを作って中にローソクを灯して家の玄関に飾ります。値段は、3ポンド(約1.5キロ)が99セント、100円くらいです。私もそろそろハロウィーンの飾り付けの準備をしなければいけないなぁと考えています。