Saturday, November 3, 2007
マカ族居留地訪問(2)
Posted by Ginn at 2:58 PM 1 comments
Wednesday, October 31, 2007
今夜はハロウィーン
9月に学校が始まると、スーパーやパーティ専門店などではこの日のために、早々とハロウィーン・グッズの販売を始めます。
Posted by Ginn at 7:59 PM 0 comments
Tuesday, October 30, 2007
「世界一やさしい問題解決の授業」のニュース(続き)
前回のブログで、日本には日本の問題解決の授業方法があり、かつてそれは世間の常識だったと思わず書いてしましました。それについての続編です。
(シーン1)
子「おかあちゃん、コショウ出ぇへんわ。」
母「なんでよ?湿ってるん?」
子、トントンとコショウの容器をたたいて中の様子を見る。
子「いや、湿ってないよ。」
母「そしたら出るんとちゃう?もう一度よう振ってみたら。」
子、もう一度容器をさかさまにして力いっぱい振るが、コショウの出が悪い。容器の中を眺めながら、
子「湿ってへんけど、粒が大きいて孔にひっかかって出てけえへんみたい。どないしょう?孔、くぎでたたいて大きいしょうか?」
母「アホやなこと言わんとき。そんなことしたら、入れもんが不細工になるでしょうが。粒の小さいコショウが棚にあるから、それと入れ替え。」
子、棚をのぞきながら、
子「あらへんよ。粗引きコショウの詰め替えしかあらへんわ。」
母「そしたら、コショウをすり鉢でちょっとつぶしたらええやんか。」
子「おかあちゃん、すりこ木見あたらへんで。」
母「すりこ木がなかったら、スプーンでつぶしたらええでしょうが。せやけど、キーキー嫌な音するから、静かにやってよ。」
子「うん、分かった。」
(シーン2)
子「おかあちゃん、コショウ出ぇへんで。どないしょ?」
母「そんなこと自分で考えたら。」
子、もう一度容器を強く振ってみるがやはり出ない。
子「やっぱり、出ぇへんわ。」
母「もう、うるさいな。コショウかけな食べられへんねやったら、食べへんだらええでしょうが。お母さんも忙しいの。出てけえへんだら、蓋とってかけたらええやないの。」
子、だまって蓋を取りはじめる。
母「蓋とって、そのままかけたら出すぎて辛いよ。手のひらにちょっととってからかけるんよ。」
子「ふん、分かった。」
母「あんた、手汚いやんか。外から帰ってきて手洗てへんでしょう。自分で食べるんやからかまへんけど、そんな汚い手にのせたコショウ、入れもんに戻さんといてや。他の人がお腹こわしたら困るからね。」
子「私やったらお腹こわしてもかまへんいうこと?」
母「当たり前やないの。汚い手で食べるんはあんたの勝手やからね。せやけど、私はいややで。他人には迷惑かけんといてよ。」
子「なんちゅう親や。今度からもうちょっとコショウきかせてや。」とぶつぶつと、しかし、主張ははっきり聞こえるよう言いながら手を洗いに行く。
これは今でも親子の間、特に、関西弁をつかう母と子の間で交わされる会話の典型的なものです。この会話には、前回書いた問題解決のための方法がすべて含まれています。問題解決の方法の提示以外にも、解決方法の中には実行できないものがあること(容器の蓋の孔を大きくすると、容器のみばが悪くなる)や、新たに出てきた課題の解決方法、つまり解決手段として十分な手段がないときはその代替物を探す(すりこ木のかわりにスプーンを使う)、自立しないと生きてはいけない(少なくともお腹をこわすかもしれない)という教え、すぐに反論せず適当なタイミングで自分の主張は必ずする(今度からもうちょっとコショウきかせてや)など自立の勧めや応用力(ソーシャル・スキル)の教えが含まれています。
こんな場面は日常生活ではいくらでもありましたし、今もあります。これが問題解決のための日本の伝統的な授業といえます。学校で教えるのが悪いとは思いませんが、わざわざ学校でやるようなものでもないのではという気もします。まあ、学校でやる問題解決の授業は、オフ・ザ・ジョブ・トレーニングのようなもので、親子が毎日繰り広げるさまざまな会話や言葉のやり取りは、オン・ザ・ジョブ・トレーニングと言えます。
問題解決やソーシャル・スキルを教えているアメリカの学校でも、父兄に配る手紙には、「学校での授業だけでは不十分です。家庭で親/両親が子供と色々な会話をし、一緒に考えていくようにするのが一番良い方法です。実行してくださることを強く願っています」といった趣旨のことが必ず書かれています。
Posted by Ginn at 4:28 PM 0 comments
「世界一やさしい問題解決の授業」のニュース
今朝、AZNというフジテレビ系日本語報道番組で、「世界一やさしい問題解決の授業」(渡辺健介著、ダイヤモンド社刊)が30万部売れているというニュースがありました。
このような考え方はアメリカでは小学校の3年生くらいから教えています。問題をいくつかの要素に分解し、それをノートに表として書き、それぞれの解決方法を記入していく。宿題に出され、授業でもみんなで考えるといったものです。私がこのような方法に接したのは、アメリカの大学院に留学した時が初めてでした。(学生は問題解決の方法といった類の分厚い本をいくつか読まされ、その考え方と手法を教授が説明していました。)その時は、「アメリカでは大学院生にもなってこんなことを教わらなければ分からないのか。アメリカの製造業が駄目になってきたのもうなづける」と感じたものでした。(当時はアメリカの自動車産業が日本のメーカーに追い上げられ衰退を余儀なくされていて、デトロイトなどでは日本車をハンマーで叩き壊すキャンペーンがある一方で、日本のQC運動などに学べという議論が盛んだったのを覚えています。)
アメリカ式思考方法や方法論を述べた本が日本で30万部も売れるというのは正直言って驚きです。アメリカ教育における常識的な内容が、日本では教えられていないということが驚きの理由ではありません。以前は日本では常識だったことが、いまや日本では学校や職場で学びなおさなければならなくなっているのが驚きなのです。かつて日本はこのような問題解決のための思考方法や手法を十分に持っていて、上述したQC運動や、今なおアメリカで読まれている「現場改善」や「看板方式」を生み出したのに、今、その根底が失われようとしているということでしょうか。
一昔前には常識だったことが、なぜ、今、と考えてみると、その常識がこの四半世紀の間に育った人々には家庭でも学校でも職場でも伝えられていなかったことを意味しています。著者の年齢は31歳。彼がハーバードのビジネススクールで学び、マッキンゼーに勤務していた間に新鮮に映ったこの手法を書物にまとめ、人々の間に共感を呼んでいるということはこの年代の人々を中心に、今までの日本の教育で失ってきたものがあると云うことです。
何が失われてきたかはひとまず置くとして、「問題解決の授業」が改めて人々の関心を呼んでいることの問題点は、その先にあります。(この現象は、日本社会の「マニュアル化」を示しているように思えるけれど、この件も今日は触れません。)それは応用力の問題です。今、日本社会に求められているのは、応用力なのです。もちろん問題解決の手法が身についてなければ、応用力が発揮されることはないけれど、問題解決だけが身についていても、応用力がなければそれを実行し、現実の解決をもたらすことが出来ません。応用力というのは、判断力であり、実行力であり、交渉力です。
さっきのコショウの例で言えば、ラーメンをすするカウンターのお客からクレームが出た場合、その場で取れる問題解決の方法(応用可能な方法)は、考えられた限りの解決法から選択するなら、コショウの粒を小さくすることくらいです。
コショウの粒を小さくしなくても、目打ちか何かで、孔をその場で大きくすることも出来るだろうけれど、あまりスマートな方法ではありません。
あるいは、女将さんが、「お客さん、どうもすみませんねぇ。ちょっと、かしてくださいな。」といって品を作りながら客の横に行って、コショウの容器をおもむろに手に取り、蓋をはずしてきれいな手のひらにコショウをとって、「これくらいでよろしいですか?」と言いながら、ほっそりとした白い指でパラパラとお客のラーメンに振りかける。そして客の目を見てにっこり笑う(と最高かも)。この方法は、女将さんの容姿に大きく依存します。お客が「ゲェッ」と思うような太目の指の持ち主などは、この方法をとるべきではないでしょう。ラーメン屋の主人が同じ事をやっては気色悪い!です。いくら絶世の美女で、白魚のような指の持ち主でも、洗い場からエプロンで手を拭きながら出てくるところを客に見られてはいけない、など「べからず集」は色々ありますが。
町のすべてのラーメン屋にこんな条件を満たした女将さんがいることはないし、いてもラーメン屋でクラブまがいの接客をする必要もありません。だから、順当な方法は、「あ、お客さん、すみません。ちょっと待ってください」といって、厨房の隅で、コショウをすり鉢に入れて、ゴリゴリとやり、粒を小さくして容器に戻し、確実に出るかを確認してから、「どうも、お待たせしましたといって出すといったあたりになります。
え、すり鉢がなかったらどうするか、ですか。その場合は、「お客さん、うちのラーメンは味が勝負なんだ。コショウなんか振りかけて食べてもらいたかないねぇや。」(関西弁だと、「お客さん、うちのラーメンは味が勝負でっせ。コショウなんかかけて食べんといてもらえまっか」と居直るほかありません。まあ、その客が怒って二度と来なくなってもいいという戦略的判断に基づいてのことではありますが。
アメリカの小学校では、判断力、実行力、交渉力を含んだ応用力を「ソーシャル・スキル」という形で低学年から教えています。そのうち、日本でも、「問題解決の授業」と平行して、「応用力の授業」(ソーシャル・スキル)も必要になるのでは?
あー、美味しいラーメンが食べたいなぁ!!
Posted by Ginn at 12:10 PM 2 comments
Monday, October 15, 2007
マカ族居留地訪問
Posted by Ginn at 2:14 PM 1 comments
Monday, September 24, 2007
秋です!
Posted by Ginn at 9:20 PM 1 comments
Sunday, September 16, 2007
ニューオリンズの香代子さん
先日、ニューオリンズに行った際、兵庫クラブのニューオリンズ支部幹事の香代子さんに会いました。(ブログ「ニューオリンズ便り」を書いておられます。)行きはシアトル発シカゴ経由のユナイティッドで行ったのですが、シカゴ空港で乗り継ぎ便が送れ、3時間も空港で待たされました。 ニューオリンズ空港への到着がずいぶん遅くなったのに、香代子さんに空港まで迎えにきてもらい大感激でした。その上、ご自宅に泊めていただきました。ブログで知ってはいましたが、生まれてはじめてプール付きの豪邸というもので休ませてもらいました。
泊めてもらった部屋には、NFLで活躍されていたご主人(シアトル・ホークスでも2年間プレイしていた。ポジションはディフェンスバックのセイフティ)の写真やヘルメット、香代子さんのブロードウェイ時代のポスターや衣装が飾ってあり、「えー、すごい人の家に泊めてもらっているんや!」とまたまた大感激。
ご主人のトム(Thom)はアメリカ人とドイツ人の間に生まれた白人系2世のお父さんと日系アメリカ人のお母さん(日系3.5世)(彼女のお母さんが2世、お父さんが1世)だから、日系4.5世ということになります。この辺りがアメリカはややこしい! NFL引退後、今は、Tulane大学アメフトチームのディフェンシブ・コーディネーター、つまりディフェンス側コーチの親分です。そして、ハンサム。
香代子さんは、ブロードウェイでキャツや王様と私など有名ミュージカルで準主役級の役を演じてこられた実力派のミュージカルスターでした。聞くところでは、香代子さん以前にブロードウェイで活躍した日本人は、40年前に「フラワー・ドラム・ソング」に出演したナンシー・梅木さんだけだったそうです。(ナンシー・梅木さんは、本名を梅木美代志といい、日本人ではじめてアカデミー賞助演女優賞をとった人。今年の8月28日にミズーリ州で78歳の生涯を閉じられた。)
香代子さんの役は白い猫。他の猫たちを従えて踊る姿はとても印象的でした。ブロードウェイミュージカルのスターだったと言うことでも圧倒されるのに、案内していただいた居間には彼女が作った陶芸作品がぎっしり。それも玄人はだしで十分個展ができるじゃないかと思うほどです。作品には絵付けがされているものもあり、それがまたとても素敵です。もちろん香代子さんが描いたもの。聞いてみると墨絵も描かれるとのこと。それで驚いていると、今度は、「私小説を書いていて、この前、第三回読売新聞Woman’s Beat 大賞に応募したら入賞したんです」とおっしゃる。ここまで来ると、「ひぃえ~」という感じです。(作品の「自分を信じて」を読ませていただく時間がなかったのが残念です。)陶芸の方も本格的にされる予定だそうで、作業部屋にしているガレージにはなんと陶芸用の電気釜まで買い込んであるんです。「今のうちに作品を買わせてもらおう。将来、きっと値が上がる」なんてせこい事を考えてしまいました。
バレリーナ、ブロードウェイ・ミュージカル・スター、陶芸家、墨絵師、小説家、そして優しくて美人!
さだまさしの「無縁坂」の一節ではないけれど、「運がいいとか、悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見てそう思う。」
母は私が幼い頃から、「天は人に二物を与えず」って教えてくれたけど、これって特別な才能も美貌も持たない私への慰めと励ましだったんだなぁ~と実感しました。 でも、すばらしい人に出会えたことを感謝しています。
Posted by Ginn at 5:25 PM 0 comments
停電です!
ブログの下書きをしていたら、突然の停電しました。外は風もなく、穏やかな良い天気なのに。原因不明です。今、家中のローソクをつけたところです。
近所の様子を見に外に出てみると、私の家があるブロック全体が停電のようで、隣のジェリーが携帯電話で、サウス・ピュージェット・サウンド・エナージー(電力会社)に電話していました。家の中では、次男の(幼稚園)ジャスティンが、「ホテルに行こうよ。テレビ見てたのに、アニメ見られへんようになったやん。ディズニー(チャネル)が見れへん」と言ってました。あ、もちろん英語でです。でも、私にはこう聞こえたんです。関西人ですから。(笑) アメリカで暮らしてみて、「日本とちゃうなあ」と感じることのひとつに停電があります。毎年1回か2回はあります。普通は嵐や大雨で木が倒れて、電線を切るのが原因ですが、今日は別です。ラクーン(あらいぐま)が木に登って電線を噛み切ったのかもしれません。鹿が木に登るはずもないので。
オリンピアで暮らし始めて、初に停電になった時は戸惑いました。まず、家に懐中電灯が一本もない。車で懐中電灯やローソクを買いに行こうにも、ガレージは電動式ですから、電気が止まると開け方が分からない。(実際は、フックをはずすと手動で開けることが出来るのですが、その時知らなかったんです。)結局、電気が戻るのを待っていたという経験がありました。その時になってはじめて、何故、アメリカの家庭ではあちこちにローソクが置いてあるかわかった気がします。あれはおしゃれとか装飾とかいった意味の他に、実際的な必要からなんですね。ローソクがなければトイレにも行けませんから。まあ、このような話はオリンピアでだけの「真理」なのかも知れませんが。
停電で困るのは、ほとんどのものが電気で動くようになっていることです。暖房も電気センサーで動きます(この辺りでは冷房を入れている家庭はあまり見かけません。夏でも涼しいからです。でも、最近は気候の温暖化でクーラーを入れる家もありますが。もちろん、わが家にはありません)わが家のボイラーとレンジはガスですから、電気が止まっても、お湯は出ますし、レンジも使えます。隣もうちと同じで、お湯ぐらいガスで沸かせますし、暖房を入れなければならない程には今日は寒くないですが。暖房もガスですが、電気でコントロールしているので、停電の時はさむ~い部屋で毛布をかぶってふるえることになります。石油ストーブといったものがないし、ガスストーブも日本のように良いのがありませんから、全部のシステムに電気を使っている家庭ではまったく何も使えなくなり、隣のジャスティンがいうようにホテルに避難しなければならなくなります。昨年暮れの嵐による大停電の時がそうでした。1週間も停電したのですから。あの時は、発電機が飛ぶように売れました。私は家の中でキャンプ生活をしてました。まさか、家の中でテントは張りませんでしたが。
パソコンの電池もなくなって来ました。この辺りで保存しておきます。インターネットアクセスもできませんので、このブログのアップは電気が回復してからになります。
あ、熱帯魚の水温が下がるかもしれないからお湯を沸かさなければ。ホント、電気は便利ですが、なければ不便なものです。
Posted by Ginn at 3:52 PM 0 comments
Tuesday, September 4, 2007
サンフランシスコの風景
先週、サクラメントで仕事があり、1泊2日で出張しました。サクラメントがカリフォルニア州の州都だというのはご存知ですね。そう、有名なアーノルド・シュワルツネッガー知事がいるところです。えっ、カリフォルニア州の州都はハリウッドだと思ってた?違いますって!ちなみに、ワシントン州の州都は私が住んでいるオリンピア、オレゴン州の州都はセーラムで、ニューヨーク州の州都はオルバーニです。ここの人口は10万人くらいですが、州都の中では大きな方です。
飛行機の関係で、サクラメントにはその日に着けず、サンフランシスコで宿泊し翌日は朝の6時出発しました。おかげでサンフランシスコ市内をレンタカーで走り回って、ブログ用の写真をパチパチと撮ることができました。観光パンフレットなどに載っているありきたりの風景ですが、ご覧下さい。
サンフランシスコ空港
Posted by Ginn at 6:40 PM 0 comments
Monday, September 3, 2007
ダンシング・ゴート
今日はレーバー・デーの休日で、先週末からの三連休最後の日です。夏最後の三連休を毎日ブログ書きに費やしているのはなんとも味気ないと思いつつも、せっせと書いています。
昨日はちょっと堅い話を書きましたので、今日は午後のひと時をコーヒーでも飲みながらお過ごし下さい。
オリンピアの隠れた名品の一つに、バドーフ & ブロンソン珈琲焙煎社の珈琲があります。この会社のブランド名は、ダンシング・ゴート(Dancing Goat)と言います。踊る山羊です。
なぜ、ダンシング・ゴートなのか。それはコーヒーが発見された由来から来ています。
昔、エチオピアの高原にカルディー(Kaldi)という山羊飼いがいました。ある日、彼の山羊が興奮しているのに気づきました。山羊の興奮は夜になってもおさまりません。彼がその理由を調べてみると、山羊が高原になる赤い木の実を食べたためだということが分かりました。興味を覚えたカルディーが、恐るおそるその赤い実を食べてみると、気分爽快になり、頭もすっきりとする気がしました。そこでカルディーは赤い実を持って修道院に行き、この不思議な話を僧に話しました。僧たちも食べてみると、やはり気分がさわやかになりました。夜も眠気に邪魔されず、修行に励むことができるようになりました。やがて、この修道院は「眠らない修道院」として有名になり、コーヒーが世界中に広がっていったそうです。
ここで問題です。コーヒーを最初に見つけたのは誰でしょうか。カルディーというのが一般的な答えです。でも、それは人間の勝手な答え。山羊さんが怒るでしょう。「赤い木の実を見つけて、ずっと前から、コーヒーパーティを開いてたんは俺たちやで」と。そうなんです。コーヒーを飲んで楽しく踊る山羊さんに、コーヒー発見の敬意を表して命名したのが、ダンシング・ゴートというブランド名です。
バドーフ & ブロンソン珈琲焙煎社です。向かって左へ回ってください。
テースティングルームへの案内とテースティングルームがあります。
テースティングルームの内部です。ここではパネルにあるすべてのブランドを試飲することが出来ます。気に入らなければ買わなくても構いません。でも、美味しいからついつい買ってしまいます。お勧めは、独自ブレンドの「ダンシング・ゴート」です。
Posted by Ginn at 3:32 PM 0 comments