国家の役割は、国民の安寧と福祉を実現し、国家の安全を確保することに他なりません。その視点に立てば、今回の新型インフルエンザに対する日本政府の対応にはいくつかの問題があると思います。ここではその内の主な二つについて述べてみます。
豚インフルエンザがメキシコで発生しその情報が日本に届いてから、国際線が発着する国内主要空港では異様な光景が見られました。関西国際空港では、国際便が到着するたびに、SF映画にでも出てくるような完全防護服に身を固めた検疫官から乗客一人ひとりが問診表の記入と体温測定を、求められ、到着後1時間以上も機内に閉じ込められました。その上、日本人の場合、帰国後も居住地の保健所から健康状態のヒアリングを電話で受けるというフォロー付きでした。
豚インフルエンザがメキシコで発生し、それが米国の飛び火したという情報がWHOや各国からもたらされた当初は「万が一」を考慮したこの処置も必要だったかも知れないと納得できます。しかし、その初動体制が長期化したことには問題があります。米国では5月第一週目ですでに、今回の豚インフルエンザは人型インフルエンザの亜種であり、従来の季節性インフルエンザとさほど変わらない低毒性のものであるとして、特段の措置を取ることをやめました。ワシントン州政府にいたっては、すでに州内で感染者が確認されていたにも関わらず、独自の判断から、5月4日には季節的に流行するインフルエンザと変わりはないとして、学校の休校措置も撤回し、従来の対応に戻しました。もちろん、その間、イベントの中止すらありませんでした。
日本政府でもこのようなアメリカ国内の動きは十分に情報を入手していたはずです。ここで誤解を避けるために書きますと、アメリカの対応に無条件で従うということを述べているつもりはまったくありません。今回の豚インフルエンザの発信源はメキシコであり、アメリカは第一次感染国ですから、日本にとっても情報源としては一番重要だったということです(もし、これが中近東やアフリカ諸国だと参考にすべきはアメリカの対応を参考にするのではなく、その地域の国々の動向を注視するということになります)。
大阪府の橋本知事や兵庫県の井戸知事がこのような日本政府の判断に抗議した(ということは、すでにその時点で、地上自治体も海外の情報を入手していたということですが)にも関わらず、日本政府は豚インフルエンザに関する正確な毒性の議論と事実確認を適切に行わないままに、この防疫体制を続けました(アメリカは各州政府がかなりの権限を有しており、連邦政府は国家危機や複数の州にまたがる事案について介入する権限を持っています。日本では残念ながら地方自治体にはそのような権限がありません)。その上、厚生労働大臣が日本の水際作戦は成功し、今も豚インフルエンザの患者は一人もいない、と発表した翌日、カナダから帰国した高校生2名と引率教師1名が豚インフルエンザに感染していると確認されたと発表されました。
問題点のひとつは、世界がすでに豚インフルエンザは低毒性だとして、その方向に政策シフトをしていたにも関わらず、約2週間以上もその判断を出せず、国民に要らぬ不安と恐怖と与え続けたことにあります。危機管理に必要なことの一つは、できるだけ正確な情報を、可能な限り迅速に人々に提供することです。何が正確な情報かが確認できない時には、その時点で分かっている情報とどのような確認作業を行っているかのプロセス情報を人々に提供しつつ、注意喚起を促することですが、今回の日本政府の対応はその基本的な対応すらできていなかったように思えます。
自分が暮らす国の政府が仰々しい防疫体制をいつまでも続けているなら、国民が不安にかられ、疑心暗鬼になり、不要な行動(イベント中止や出張取消しなど本来なら出来たであろう活動の自粛)を取らざるを得なくなります。その結果、マスコミはますます豚インフルエンザ騒動をあおり、挙句には、「ニューヨークに住む日本人の子供が豚インフルエンザに感染した。現在のところ帰国の計画はない」などという何の関係もない記事を紙面に載せたりすることになりました(帰国の計画がないのだから、まったく関係のない記事です)。その結果、日本国内で何が起こっているかというと、いまだにアメリカやカナダへの出張や旅行を自粛する企業や団体、学校、市民を生み出すことになっています。別に海外出張や旅行に行こうが行くまいがそれぞれの判断ですから、構わないのですが、行きたいと思っているのに、正確な情報と対応を怠ったために国民にそう思わせているならそれは負の安寧や福祉を政府が与えていることになります。その上、豚インフルエンザ患者を多く出している関西地域に大きな経済的打撃を与えてしまいました。この打撃から回復するためには、また、長い時間がかかることになります。
SFまがいではなく、SFよりはもう少し現実味のあるもう一つの問題は、国家の安全保障という問題です。豚インフルエンザの国内浸透が防げなかったということではありません。今回の豚インフルエンザの防疫体制に穴があることが明らかになったということです。イギリスやアメリカ、北朝鮮、中国などの諸外国なら大いにありえることですが、まさか、今回の豚インフルエンザを利用して、日本政府は、国民の批判を覚悟の上で、自分たちが作っている防疫マニュアルが本当に機能するかを試すというような高度な政治判断をしたわけではないでしょう。国家の安全保障の問題というのは、将来、豚インフルエンザのような疾病が世界のどこかで自然発生的に起こった場合、現在の体制では安全性に問題があるといった次元のものではなく、日本に悪意や敵意を持って、意図的に超毒性のウィルスなどが持ち込もうとする国家や集団に日本の防疫上の弱点を研究する好材料を提供してしまったということです。日本が国家として世界の中で存続していくためには、常に外敵(国家もあれば集団もある)によるバイオ攻撃やテロを想定しておく必要があります。その観点から見ても、今回の豚インフルエンザ騒動は「敵に塩を送る」結果となってしまったと考えています
その上、日本政府は、防疫上の理由として、マスクの着用を国民に奨励しています。それはそれで良いのですが、マスクの確保が個人に委ねられ、ほしい人が薬局へ買いに行っても入手できない事態が生じています。別の観点から言えば、政府は、マスクの備蓄すらしておらず、必要な時期に必要な量を国民に提供できる準備をしていないということです。豚インフルエンザ用マスクがないくらいは良いですが、これが本当に悪性のウィルスか、バイオテロであった場合に必要なマスク(検疫官がつけていたような高性能マスクや防毒マスク)の備蓄はもちろんやっていないことでしょう。薬局に行ってもこんなものは売ってませんから、国民一人ひとりはどのようにすれば自分の身を守ることが出来るかを日常から考えておかなければなりません。今回の豚インフルエンザ騒動はそのような教訓を個々人に与えてくれたという意味では大切な出来事でした。
Monday, May 25, 2009
新型インフルエンザに見られる日米の違い④
Posted by Ginn at 5:47 PM
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment