Sunday, May 31, 2009

2009.5.31フォート・ウォーデン

 豚インフルエンザ関連のブログを書いてから少し間が空いてしまいました。今回の「フォート・ウォーデン」はポート・エンジェルス(A small world! ②) の最終回にあたるものです。

 

 ペニンシュラ・コミュニティカレッジのジーヤオとのミーティングの後、ひょうごユニコラボ(兵庫大学連携推進協議会)の夏季プログラム(Phase Ⅱ)の英語研修場所であるフォート・ウォーデン(ワシントン州立公園のひとつ)へ向かいました。

 ポート・タウンゼントについて、まずは、「花園」へ(フォート・ウォーデンはポート・タウンゼントにあります)。
ポート・タンゼントへ(その3)―「花園」(蕎麦の店)

 「花園」の醤油ラーメンと餃子で舌鼓を打った後、ジーヤオが電話してくれていたフォート・ウォーデン公園管理事務所のスーザンを訪ねました。彼女に、夏の英語研修に使うペニンシュラ・カレッジのフォート・ウォーデンキャンパスの建物(Schoolと今は書いてありますが、かつては陸軍病院の建物でした)と中の教室や向かいにあるレストラン棟を案内してもらい、写真を撮ってきました。今回はスライドショーにまとめましたので、そちらをご覧ください。

 フォート・ウォーデンは、その名が示すとおり、1902年から1953年までの間、ピュージェット湾の奥にあるエバレットのボーイング工場やシアトル、タコマと言ったワシントン州の主要都市を外敵から守るための要塞でした。実際、第一次世界大戦、第二次世界大戦の期間には、敵の艦船がカナダとの国境であるフアンデフカ海峡を通って攻めてくることを予想していたのです。陸軍の要塞としての役割を終えた1957年にはワシントン州政府に払い下げられ、約15年間は少年院として利用されました。その後、1971年に州立公園(52万坪、1.8平方キロ)になり、現在では多くの市民や観光客に利用されています。


 フォート・ウォーデンの地図はここからダウンロードできます。

Monday, May 25, 2009

新型インフルエンザに見られる日米の違い(完)

 「新型インフルエンザに見られる日米の違い④」の下書きを書いたところで、娘が夏物のカジュアル製品(タンクトップやTシャツなど)を探したいといったので、二人でシアトルの南にあるサウス・センターというショッピングモールに出かけました。外は今日もさわやかな夏日で、メモリアルデーの三連休の終日ということもあってモールは比較的すいていました(みんなどこかへ出かけているからです。帰りの北行きI-5はシアトルへ向けて大渋滞でした)。光が差し込むモールを女子中学生や高校生たちはショートパンツにT-シャツ、ビーチサンダルというスタイルで友人たちと歩いていました。どの顔も明るく楽しそうでした。それを見るにつけ、日米における豚インフルエンザへの対応の格差をいまさらながら感じました。

 日本が豚インフルエンザで大騒ぎしている間に、中国は日本の水源地を市場価格の10倍の値をつけて買収しようとし、

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090512/biz0905122342041-n1.htm

 北朝鮮は第2回目の核実験を行いました。このような時代にあっては、マスコミ報道のみを鵜呑みにせず、自分でその情報の正確さを確認し、分析し、考察する必要があります。国際化時代をいやでも生きなければいけない私たち、特に、これからの日本を担っていく大学生や高校生、中学生たちは若いからといって人に軽んじられることなく、若いからこそ、その力を今からつけていかなければなりません。

 新聞報道によれば、北朝鮮は今回の核実験を「お友だち」には事前に通告していたようです。つまり、「表のお友だち」である中国と「裏のお友だち」であるアメリカです。お友だちには二通りあるのは経験上お分かりになると思います。企業で言えば、系列企業とライバル企業のようなものです。ライバル企業だからといって、一切情報提供をしないかといえばそんなことはありません。時には、相手の新製品の情報を入手するために、自社の情報をある程度提供することもあります。本気で喧嘩や競争をすれば、共倒れになるのを知っているからです。表立ってはライバル(敵・味方)ですが、裏では「持ちつ持たれつ」なのです。北朝鮮とアメリカの関係もこのようなものです。だから北朝鮮は「裏のお友だち」に仁義を切ったわけです。

 共同通信によれば、クリントン国務長官は、「米国は『核の傘』、日米安保条約上の義務の遂行に決意を持っている」と述べたとあります。原文を探しましたが、残念ながら、見つけることが出来ませんでした。でも、クリントン国務長官は「『核の傘』つまり日米安保条約」と二つを同じ意味合いで語ったとは思えません。「核の傘」と語り、言葉を切って、「日米安保条約上の..」と言葉をつないだのでしょう。見事な「だまし」のレトリックです。日米安保条約では日本を守るためにアメリカが戦略核を使用しなければならないなどとは一切明記されていませんから、日本が他国から核攻撃を受けても、アメリカがその国に核攻撃で応戦しなければならない義務などありません。まして、発言者がヒラリー・クリントンですから、言わずもがなのことです。
 でも、日本のマスコミでこのような事実(日米安保条約上、アメリカは日本を守るために戦略核を使用する義務を負っていないということ)をクリントン発言と同時に掲載したところはありませんでした。

 日常生活の中で、必要な情報を自分で探しだすのは時間がかかり、骨が折れることです。そして、いろいろと考えることはなかなかしんどいことです。でも、国際化が著しい時代の中にある現在の日本ではそれが必須のことになって来ています。

 豚インフルエンザのような些細なことに惑わされず、チャンスがあればアメリカや海外に出かけ、自分の目で見、耳で聞いて、これからの日本の行く末と一人ひとりの未来について大きな視点で眺めてほしいと願っています。

 

新型インフルエンザに見られる日米の違い④

 国家の役割は、国民の安寧と福祉を実現し、国家の安全を確保することに他なりません。その視点に立てば、今回の新型インフルエンザに対する日本政府の対応にはいくつかの問題があると思います。ここではその内の主な二つについて述べてみます。

 豚インフルエンザがメキシコで発生しその情報が日本に届いてから、国際線が発着する国内主要空港では異様な光景が見られました。関西国際空港では、国際便が到着するたびに、SF映画にでも出てくるような完全防護服に身を固めた検疫官から乗客一人ひとりが問診表の記入と体温測定を、求められ、到着後1時間以上も機内に閉じ込められました。その上、日本人の場合、帰国後も居住地の保健所から健康状態のヒアリングを電話で受けるというフォロー付きでした。

 豚インフルエンザがメキシコで発生し、それが米国の飛び火したという情報がWHOや各国からもたらされた当初は「万が一」を考慮したこの処置も必要だったかも知れないと納得できます。しかし、その初動体制が長期化したことには問題があります。米国では5月第一週目ですでに、今回の豚インフルエンザは人型インフルエンザの亜種であり、従来の季節性インフルエンザとさほど変わらない低毒性のものであるとして、特段の措置を取ることをやめました。ワシントン州政府にいたっては、すでに州内で感染者が確認されていたにも関わらず、独自の判断から、5月4日には季節的に流行するインフルエンザと変わりはないとして、学校の休校措置も撤回し、従来の対応に戻しました。もちろん、その間、イベントの中止すらありませんでした。

 日本政府でもこのようなアメリカ国内の動きは十分に情報を入手していたはずです。ここで誤解を避けるために書きますと、アメリカの対応に無条件で従うということを述べているつもりはまったくありません。今回の豚インフルエンザの発信源はメキシコであり、アメリカは第一次感染国ですから、日本にとっても情報源としては一番重要だったということです(もし、これが中近東やアフリカ諸国だと参考にすべきはアメリカの対応を参考にするのではなく、その地域の国々の動向を注視するということになります)。

 大阪府の橋本知事や兵庫県の井戸知事がこのような日本政府の判断に抗議した(ということは、すでにその時点で、地上自治体も海外の情報を入手していたということですが)にも関わらず、日本政府は豚インフルエンザに関する正確な毒性の議論と事実確認を適切に行わないままに、この防疫体制を続けました(アメリカは各州政府がかなりの権限を有しており、連邦政府は国家危機や複数の州にまたがる事案について介入する権限を持っています。日本では残念ながら地方自治体にはそのような権限がありません)。その上、厚生労働大臣が日本の水際作戦は成功し、今も豚インフルエンザの患者は一人もいない、と発表した翌日、カナダから帰国した高校生2名と引率教師1名が豚インフルエンザに感染していると確認されたと発表されました。

 問題点のひとつは、世界がすでに豚インフルエンザは低毒性だとして、その方向に政策シフトをしていたにも関わらず、約2週間以上もその判断を出せず、国民に要らぬ不安と恐怖と与え続けたことにあります。危機管理に必要なことの一つは、できるだけ正確な情報を、可能な限り迅速に人々に提供することです。何が正確な情報かが確認できない時には、その時点で分かっている情報とどのような確認作業を行っているかのプロセス情報を人々に提供しつつ、注意喚起を促することですが、今回の日本政府の対応はその基本的な対応すらできていなかったように思えます。

 自分が暮らす国の政府が仰々しい防疫体制をいつまでも続けているなら、国民が不安にかられ、疑心暗鬼になり、不要な行動(イベント中止や出張取消しなど本来なら出来たであろう活動の自粛)を取らざるを得なくなります。その結果、マスコミはますます豚インフルエンザ騒動をあおり、挙句には、「ニューヨークに住む日本人の子供が豚インフルエンザに感染した。現在のところ帰国の計画はない」などという何の関係もない記事を紙面に載せたりすることになりました(帰国の計画がないのだから、まったく関係のない記事です)。その結果、日本国内で何が起こっているかというと、いまだにアメリカやカナダへの出張や旅行を自粛する企業や団体、学校、市民を生み出すことになっています。別に海外出張や旅行に行こうが行くまいがそれぞれの判断ですから、構わないのですが、行きたいと思っているのに、正確な情報と対応を怠ったために国民にそう思わせているならそれは負の安寧や福祉を政府が与えていることになります。その上、豚インフルエンザ患者を多く出している関西地域に大きな経済的打撃を与えてしまいました。この打撃から回復するためには、また、長い時間がかかることになります。

 SFまがいではなく、SFよりはもう少し現実味のあるもう一つの問題は、国家の安全保障という問題です。豚インフルエンザの国内浸透が防げなかったということではありません。今回の豚インフルエンザの防疫体制に穴があることが明らかになったということです。イギリスやアメリカ、北朝鮮、中国などの諸外国なら大いにありえることですが、まさか、今回の豚インフルエンザを利用して、日本政府は、国民の批判を覚悟の上で、自分たちが作っている防疫マニュアルが本当に機能するかを試すというような高度な政治判断をしたわけではないでしょう。国家の安全保障の問題というのは、将来、豚インフルエンザのような疾病が世界のどこかで自然発生的に起こった場合、現在の体制では安全性に問題があるといった次元のものではなく、日本に悪意や敵意を持って、意図的に超毒性のウィルスなどが持ち込もうとする国家や集団に日本の防疫上の弱点を研究する好材料を提供してしまったということです。日本が国家として世界の中で存続していくためには、常に外敵(国家もあれば集団もある)によるバイオ攻撃やテロを想定しておく必要があります。その観点から見ても、今回の豚インフルエンザ騒動は「敵に塩を送る」結果となってしまったと考えています

 その上、日本政府は、防疫上の理由として、マスクの着用を国民に奨励しています。それはそれで良いのですが、マスクの確保が個人に委ねられ、ほしい人が薬局へ買いに行っても入手できない事態が生じています。別の観点から言えば、政府は、マスクの備蓄すらしておらず、必要な時期に必要な量を国民に提供できる準備をしていないということです。豚インフルエンザ用マスクがないくらいは良いですが、これが本当に悪性のウィルスか、バイオテロであった場合に必要なマスク(検疫官がつけていたような高性能マスクや防毒マスク)の備蓄はもちろんやっていないことでしょう。薬局に行ってもこんなものは売ってませんから、国民一人ひとりはどのようにすれば自分の身を守ることが出来るかを日常から考えておかなければなりません。今回の豚インフルエンザ騒動はそのような教訓を個々人に与えてくれたという意味では大切な出来事でした。

Sunday, May 24, 2009

新型インフルエンザに見られる日米の違い③

 今回の新型インフルエンザに関する日本のマスコミ報道には二つの傾向が見られます(通常からですが)。

 一つは「事実のつまみ食い」です。これは子供が親にものをねだるときに使う論理と似ています。

 ちょっと知恵が回る子は、「お母さん、ipodって知ってる。パソコンから音楽とか映像をダウンロードして聞いたり、見たりできるねんよ」
 「知ってるよ。それがどうしたの」
 「今、学校でものすご~く流行ってんねん。あれに外国映画を入れて、英語の勉強してんねんて。ものすごう、英会話やとかの勉強になるらしいわ」
 「へえ、そうなん。まあ、そうかも知れへんねぇ。テープレコーダーに映像がついてるみたいなもんやからねぇ。お母さんらの時代と変わってんやねぇ」

 もし、子供が、「お母さん、クラスのみんな、ipod持ってんねん。私にもこうてぇな」と言うと、母親はきっと、「みんな、て誰のこと。持ってない子もいるでしょうが」というでしょう。そして、母と娘で買う、買わないの話し合いになり、結局買ってもらえないことになりかねません。

 少し知恵が回る子と書いたのは、「みんな」と言う言葉を使わず、それでいて、いかにも学校中の子供たちがipodを持っているような印象を母親に与えるような話し方をしたからです。つまり、嘘ではないが、真実でもない。学校の一部の子供たちの間で流行っているという事実を、「(の)一部の子供たち」という表現を抜いて話しているだけです。これは「一部の子供たち」という事実をつまんできただけです。でも、他の多くの子供は持っていない、という事実が一方にありますが、これについては、「知恵が回る」からあえて言わないだけです。

 今回の日本のマスコミの報道には、この知恵の回る子と同じレトリックがありました。新型インフルエンザにはごく初期の段階から鳥インフルエンザとは異なり低毒性であることが議論されていました。ニューヨークでもテキサスでもワシントン(州)でも、この議論は新聞やTVで公平に報道されました。それにも関わらず日本の報道機関(これらの州に総局や支局、派遣員を持っている)はそのことには触れず、いかにも、全米で大騒ぎしているような論調を続けていました。アメリカではどの州でも新型インフルエンザが蔓延しているというような表現は一切とりませんでしたが、日本のマスコミの記事を読んでいると、なんだか、ニューヨーク中が大騒ぎになっているような印象を受けたものです。

 この書き方は現在の報道にも現れています。例えば、「関西圏で300人以上の新型インフルエンザ患者が確認された」という表現がそうです。これを読んだ人は、「えっ、300人も」と感じるかも知れません。個人からすれば、300人というのは大きな数字からです。でも、「関西圏では2,999万9千600人以上の人は新型インフルエンザの感染事実なし」(関西圏の人口を3千万人として)と報道すれば、人は「えらいこっちゃ」などとは思わないでしょう。

 アメリカでは、戦争や大統領選挙の場合には、このような事実のつまみ食が往々にしてあります。しかし、それは彼らが自分たちが正しいと思うアメリカの国益に合致するように世論を作って行こうとしているからです。そのための世論操作として事実のつまみ食いはおろか、事実を歪曲して伝えることもあります(だからその辺は割り引くか他のソースからの情報と比較検討してみる必要があります)。しかし、それ以外のものでは、それほどひどくはありません。少なくとも、市民生活に関する報道はできるだけ事実に即し、全体像が市民に伝わるように公平な報道を心がけているように思えます。 

 もう一つの傾向は、「論旨が終始一貫していない」(あるいは、一本筋が通っていない)ということです。

 アメリカでも新型インフルエンザ騒ぎが起こった当初は、ワシントン州で確認された新型インフルエンザ患者はメキシコへ旅行して帰国した人だ、というような記事がありました。日本では、カナダからニューヨーク経由で帰国した人が新型インフルエンザに感染していることが確認されたと報道されていました。これは日米同じです。でも、日米のマスコミの論調には大きな違いがあります。

 日本ではつい3日前にも、関西からの帰京(東京に帰った)人が新型インフルエンザ患者と確認された、と報道されました。でも、アメリカでは、新型インフルエンザ患者がニューヨークから帰ったとかテキサスから帰った人だという報道は一切ありませんでした。せいぜい、「海外旅行の事実なし」(つまり、国内旅行はあったかも知れない)という表現だけでした。これは記者たちがその人がどこに国内旅行したか、国内のどこから戻ってきたかをつかんでいないのではなく、書かないだけです。それはそれを書けば、ニューヨークやテキサスで風聞被害が出る可能性があることをマスコミが知っているからに他なりません。そして、今回の豚インフルエンザは通常の季節性インフルエンザと同じような低毒性のものですから、別に書く必要もないのです。

 メキシコや日本は他国だから別にどのような風聞被害が立とうがアメリカには関係ありませんが、アメリカ国内でそのような被害が出れば、その地域の経済が落ち込み、ひいてはアメリカ全体の国益に反するから書かないのです。

 その意味で、アメリカの新聞は、事実のつまみ食いや歪曲があるにしても、一本筋が通っています。自分たちの視点がはっきりしていて、そこから事実を眺め報道している(ですから、事実のつまみ食いや歪曲もありえる)と言えるでしょう。

 しかし、日本のマスコミは自分たちの視点を明確に持っていません。八方美人ならエンターテイメントとして楽しくもありますが、無節操に批判的だから始末が悪いわけです。

 新型インフルをあおるだけあおっておいて、そのうちに、地域経済や関連企業が被害を受けているなどということを真顔で書きかねないのが日本のマスコミです。自分たちがその原因を作っておいて、おかしくなったのは、政府や自治体の無策、あるいは過剰な反応をした市民のせいだと責任をなすりつけます。新型インフルエンザがおさまるり始めると、新型インフルエンザ患者のことをあまり書けなくなりますから、今度は、必ず、このような地域経済の落ち込みや今回の新型インフルエンザの空騒ぎに対する批判記事やニュースがマスコミに登場することでしょう。

 一昨日(5月22日)、久しぶりにザ・オリンピアン(The Olympian)に「豚インフルエンザ」の記事が小さく載りました。ご参考までに掲載しておきます。


サースン郡では5名の豚インフルエンザを確認

 (ワシントン)州衛生局幹部によれば、サースン郡(オリンピアを含む郡)では現在5名の豚インフルエンザ患者が確認されている、これは、ワシントン州全体で確認されている516人の豚インフルエンザ患者に含まれる。
 水曜日(5月20日)には新たに23人の豚インフルエンザ患者が確認されたと発表された。
 キング郡では総計344人の患者が発生した。スノーホーミッシュ郡で107人、クラーク郡で7人、サースン郡とヤキマ郡で各5人、スポケーン郡とワットコム郡で各4人、キツァップ郡とメイソン郡で各3人、スカジット郡とアイランド郡で各2人、そしてダグラス郡とルイス郡、グレイズ・ハーバー郡で各1人である。

 地図は私が作成したものです。ワシントン州は日本の半分くらいの広さがあります。例えば、サースン郡とヤキマ郡は直線距離にして約200キロ離れており、その間には3千メートル級のカスケード山脈が走っています。

 オリンピアやシアトルは今日も夏日。気温は摂氏約23度で、空は快晴。明日はメモリアルデーの式典が各地で行われます。

Friday, May 22, 2009

新型インフルエンザに見られる日米の違い②

 前回は、新型インフルエンザへのアメリカの対応について書きました。今回は、なぜ、そのような違いが生じたのかについて少し感じたところを書いてみようと思います。日本でも、新型インフルエンザ騒動が一段落したら、誰かが「豚インフルエンザ狂詩曲」などというタイトルで、なぜ、日本では大騒動をしたのか、についてタイトルは別にして批評が出るだろうと思います。出なければ日本社会はやはりどこかおかしいということになるでしょう。

  新型インフルエンザに対するアメリカの対応や市民の反応と日本のそれを比較してみると、「個人」、「マスコミ」、そして「政府」の対応に大きな違いが見られます。 

 まず、個人の反応ですが、これを掘り下げて考えて行くと、日米文化論のような長い文章になってしまいますから、ここではひとつの現象だけを書くことにします。 

 売切れ続出のマスクについてです。前回のブログで、アメリカでは「マスクは重病人が他人にウィルスをうつさないためにする」ものだと書きました。試したことがないので分かりませんが、アメリカではマスクをして歩いていると、多分、人はその人をさりげなく避けて(2メートル以上)通るでしょう。重病人か今から銀行でも襲うとしている犯罪者くらいしかマスクで顔を隠さないからです。アメリカで医師や看護士がマスクをするのは、病人に頻繁に接する彼らが、その患者の細菌やウィルスに感染しないための予防措置(もちろん、そのような場合もありますが)であるというよりは、自分たちがもしかしたら何かの保菌者かもしれないということも考慮に入れて、体力が弱っている患者に雑菌細菌やウィルスをうつさないためにするというのが主な理由です。日本でも、細菌やウィルスとは関係がない外科の患者の手術でも、医師や看護士がマスクをするのと同じです。ですから、アメリカの医療ものテレビドラマでもご覧になるように、医師が患者の家族(この人たちは健康体で体力が落ちていない)に症状を説明したりする時は、マスクをはずして話します。

   もともと、アメリカ人たちは顔を人目にさらさないのは、失礼だと考えています。顔はその人の個性であり、「私」そのものです。つまり、ID(身分証明)という考え方です(日本でも同じ理由で、例えば運転免許書に写真が付いています。でも、この考えが日本ではアメリカほど個人のレベルまで浸透していません)。相手の人と話すのに自分自身の顔を隠すのは、自分の身分証明を見せないことと等しい、つまり、「私」がないと考えるわけです。「私」がないということは責任を取らないということと同義ですから、誰もそんな人間を信用して話してくれません。健康体の人は、犯罪者でない限り、マスクや布で顔をおおって人前に出ることは基本的にはありません。

  今回の新型インフルエンザが本当に強毒性のものであったとしても、アメリカでは病気に感染していない人が街中マスクをつけて歩くことは、おそらくなかったでしょう。鳥インフルエンザの時にもマスクなどつけている人はいませんでした。 ひとつのダンディズムということが出来ると思います。

 一方、日本ではマスクは予防のためにしているようです。どこにウィルスがいるか分からないから、感染しないためにするわけです。芦屋の知人がくれたメールによると、「ビジネスマン(もちろんビジネスウーマンも)はみんなしてるで」ということでした。「しないで電車に乗ったら、変な目で見られた」、とも言っていました。日本では、相手のためにするのではなく、自分のためにするのです。その上、人がしていなければ、批判的なまなざしで眺めることまでするようです。 

 もちろん、マスクをするか、しないかは本人の自由ですから、他人がとやかく言う話ではありません。でも、京都に観光に来る学生たちが全員マスクをしていたり、商談に出向くビジネスマンがマスクをしている、極めつきは、神戸市長(今でもアメリカでは公式には知事や市長、議員には、Mr. Mrs. Ms. ではなく、”The Honorable”と尊称をつけて呼ぶ)にインタビューする記者が全員マスクをかけている。こんな光景や写真を見て、「日本人はすごい。重病患者なのに高校生は全員京都へ教育研修に出かけるし、ビジネスマンも働いている。新聞記者たちも高熱をおして取材している」と世界の人々が見てくれればいいですが、誰もそんな見方はしないでしょう。一種の集団ヒステリーに似た症状ですから、国際的な視点から見れば異常です。 

何故か?新型インフルエンザの情報を聞いて、これば普通の季節性インフルエンザのような弱毒性のものか鳥インフルエンザのような強毒性ものかを知るのは個人の責任です。政府や地方自治体が市民に正確な情報提供を速やかに行う責任はあっても、それを知るのは個人の権利であると同時に責任でもあります。そして、弱毒性であろうが強毒性であろうが、新型インフルエンザが流行している地域に出かけるか、やめるかも個人の判断です。ですから、今回のように弱毒性のものであっても、うつるのがいやなら、マスクをしてまで教育研修に参加することはないわけです。アメリカの高校生なら平気で不参加だと学校に言うでしょうが、日本の高校生たちは、日本の学校の体質ゆえに、気の毒ですがその自由を認められていません。ですから、この場合は、個人の責任ではなく、学校組織の責任ということになりますけれど。

 ビジネスマンや新聞記者の場合は、まったく個人のレベルで考えることが出来ます。少なくとも、大人なのですから。国際的な通念からいうと、新型インフルエンザにうつるのがいやならミーティングや取材に行かなければいいわけです。あるいは、今回の新型インフルエンザにも効果的な薬品があると分かっているわけですから、「もしうつっても、薬でなおるやろ。日本人は40度の熱が出たら参ってしまうようなひ弱な人間か」ということになります。 


でも、もっと考えなければならないことは、相手の気持ちです。新型インフルエンザ患者が若干出たからといって、その地域の人全員が患者ではないし、自分がミーティングする相手や取材の相手はいたって健康な人たちです。その人たちの前に出るのに、マスクをしているということは、相手を一種の偏見で見ているのと同じ態度です。見方によれば、自分が感染したくないという身勝手な理由で、相手を何か強力なウィルスの保菌者のように見なしていることになります(もちろん、そんな気持ちはないのでしょうが)。まして、自分の素顔を見せないで相手と話をすることの無礼は最初に書いたとおりです。 

日本人同士なら、「なあなあ」で済むと思いますが、いまや国際化が極端に進んでいる時代です。新聞やテレビだけでなく、インターネットの普及によって、どんなに小さな地域の情報でも瞬時に世界を駆け巡ります。日本の片隅の出来事がほとんど同時に世界に伝わるということは、自分の姿や行動が日本国内のみならず、世界中の人から見られているということです。 

そのような時代と世界に生きているということは、日本国内にいる個人の行動が世界の人々の日本評価に直接つながるということであり、その世界の日本評価が個人の暮らしに直接影響してくるということです。神戸や大阪をマスクなしで歩いている少数の人々を変な目で見ている人々(世界から見れば、この人たちが少数)は、世界(少なくとも、アメリカ)の人々には変な目で見られているということです。(続く)

(写真)

 今日のオリンピアは真夏のようでした。気温は23度まであがり、空は輝いていました。

上から順に、野ばら、オリンピアのウエストサイド(遠くにオリンピック山脈が見える)、レニア山(頂上部分は氷河)、リラ、石楠花、州政府キャンパス

Wednesday, May 20, 2009

新型インフルエンザに見られる日米の違い①

 毎日、インターネットで日本の新聞を読んでいて、豚インフルエンザ(新型インフルエンザと呼称が変更された)に対する日本とアメリカの違いに驚かされています。というのは、アメリカでは、今回の新型インフルエンザは通常の季節性インフルエンザと大差がないとの判断から、もう2週間ばかり前から通常の対応に切り替えています。新型インフルエンザという呼称に変わったのも、鳥インフルエンザとは違い、豚固有のウイルスから変化したというよりは、きわめて人型インフルエンザに近いとの判断からです(米国疾病対策センター(CDC)の担当医師は、「今回の豚(swine)インフルエンザのウイルスは豚(pig)のにおいがしない。豚固有のウイルスなら豚のにおいがするはずだ」と記者会見で記者に向かって冗談を言っていました。

 こんな冗談もでるくらいですから、日本で起こっているような大騒ぎはまったくありません。学校も正常、店も正常、会社も工場もいつも通り。映画館は週末は満員ですし、人気のあるレストランは1時間待ちの列が出来ています。パレードも各地で花盛り、もちろん、マスクをかけている人なんていません。アメリカではウイルスを持っている重病患者が他人に迷惑をかけないように、出歩くときにマスクをします。でも、重病なのだから、そんなにまでして出歩く人はいませんから、マスク姿の人はいないのです。

 今回の新型インフルエンザへの日本政府の対応には大きな問題があると思っています。そんな中、兵庫県の井戸知事は23日にも休校措置を解除する方向で検討するとの記事を見ました。また、大阪府の橋本知事は国に対して今回の新型インフルエンザが低毒性のものであることを認めるように抗議したとの記事もありました。私のふるさとである兵庫県や隣の大阪府に、マスコミや世論の批判が予想されるにも関わらず国に対しても自己の信念に基づいて意見を言うことを辞さないリーダー達がいることはうれしいことです。

 それはともかく、今回は、アメリカの実情を少し調べたので、以下にアップしておきます。

米国における新型インフルエンザの対応状況

 5月19日(米国太平洋時間)現在、米国では、新型インフルエンザ患者の発生は22州(全米50州)では州内の一部地域に限られているが、患者の発生は全国的に広がっている。特に集中的に患者が出ているのは、アリゾナ州、カリフォルニア州、テキサス州とニューヨーク州である。米国疾病対策センター(CDC)によると、アメリカ国内で確認された新型インフルエンザ患者は、4,469人、死亡者は6人である。

 全国集計によれば、入院処置を受けたのは173人で、そのほとんどが5歳から24歳までの若者であった。現在、新型インフルエンザの発生は同時に、かつ幅広い地域で起こっているためCDCは患者数を注視し続ける意向である。


 CDCは世界健康期間(WHO)と協力して、新型インフルエンザのウィルス変化を調査しているが、今のところは変化を確認していない。100人のCDCスタッフが各地の現場で働いており、新型インフルエンザ検査器具は全50州と107カ国のラボへの配布を完了した。

 米国においては、新型インフルエンザ患者への対策は連邦政府レベルから州政府レベルへ移管されている。

 ワシントン州内の確認件数は、現在410人で、シアトルを含むキング郡が291人、スノホミッシュ郡が76人、ピアース郡が18人、クラーク郡が6人、そして他の地方に2人ずつが確認された。

 CDCからの総合アドバイス

 インフルエンザに似た症状を呈する場合は、自宅療養し、他の人との接触を避けるよう注意する。ただ、症状が深刻な場合は医師に相談すること。家を出る際には、咳やくしゃみによるウィルス拡散を防ぐためマスクを着用し、ティシューは必ずゴミ箱に捨てること。新型インフルエンザに感染した場合は、ウィルスを拡散させないために出来る限り人との接触を避けること。CDCの研究によると、現在のところ、この新型インフルエンザの性質は普通のインフルエンザと同じである。

 水と石鹸で手を良く洗う。特に、咳やくしゃみをした後などには励行のこと。アルコール系の消毒薬を、時に応じて使うのも効果的な対策になる。
 よく触れる物(ドアのハンドル、ボタン、キーボード、リモコン、家電製品など)をよく消毒することが望ましい。
 菌を広めないため、目、鼻、及び口に触れないように注意すること。
 人との接触(2メートル以内)を避けること。
 インフルエンザらいし症状が現れると、7日間、あるいは症状がなくなるまで家で休むこと。出来る限り家族との接触も避けること。
 マスクを着用場合は、マスクを良く取り替え、古いマスクはゴミ箱に捨てること。 マスクは黴菌やウィ ルスを完全に防ぐ事が出来ないので、他の対策も忘れないように気をつけること。

 ワシントン州における新型インフルエンザ対策

 ワシントン州の保健衛生局は疾病予防管理センターと密接に連携してH1N1新型インフルエンザに対応している。現在、ワシントン州保健衛生局は地域の保健機関と共同で新型インフルエンザが原因とみられる肺炎とインフルエンザの症状の動向を監視している。州の保健衛生の研究員は、特にメキシコやその他の感染拡大地域への渡航者のインフルエンザの発症に警戒している。

 渡航者については季節性インフルエンザと同様に手洗い、うがい、マスクの着用、感染の疑いがある場合は自宅療養を勧めるなどの対策が呼びかけられている。

 また、インフルエンザに似た症状がある人には渡航歴などを医師に申告するように促している。疾病予防管理センターによると、2009年5月15日付けで、2009年4月27日よから続いていたメキシコへの渡航延期勧告が注意喚起へと格下げされた。しかしながら、疾病予防管理センターはメキシコに渡航する際は十分警戒するように呼びかけている。特に、5歳以下の幼児や65歳以上のお年寄り、体に何らかの障害がある者には渡航の延期を促している。

 ワシントン州の学校では、新型インフルエンザの感染が確認された場合、感染拡大の防止策として学級閉鎖も検討されている。学級閉鎖の決定は、欠席した生徒の人数とインフルエンザと思われる症状で診察を受けに来た人数が数日にわたって増加した場合に行われる。また、子ども達に手洗い、うがいを指導するとともに、保護者にインフルエンザと疑われる症状が出た場合は子どもに自宅療養させ、他者との接触を避ける事を勧めている。

 企業の新型インフルエンザ対策

  職場の衛生環境を整える
  職員と手洗い、うがいを促す
  手洗い用石鹸、使い捨てタオルや紙、などの準備
  体調不良の職員の自宅療養を勧める
  感染拡大地域への出張が予定されている職員には特別な配慮が必要
  企業が行った対策について職員と顧客の意見交換
  長期欠勤が多数発生した場合の対策についての話し合い

  レストランの新型インフルエンザ対策

  衛生環境の保持
  率直に、そして前向きに職員とコミュニケーションをとる
   政府の対策と計画に注意を払うこと

  ニューヨーク州保健衛生局の最新情報

 先週、ニューヨーク市では一つの学校で新型インフルエンザに感染している生徒を確認し、かつ他の学校でも新型インフルエンザに似た症状が見られたため、クイーンズ区にある10校とブルックリン区にある1校を休校とした。ニューヨーク州保健衛生局は教育委員会と協力し、毎日状況を再評価して休校措置について個別的に決定している。昨日、3つの学校が5日間に休校となった。

 学校を休校とするかどうかを決定するため、ニューヨーク州は様々な報告に注視している。一つは、インフルエンザに似た症状がでて保健室に行く子供の人数についての報告である。もう一つは学校の欠席者に関するデータである。熱やインフルエンザに似た症状が現れている子供達の人数が急に増加し、数日の間続く場合、その学校の他の生徒達の安全を考えて学校を休校とすることを勧告することになる。

 豚肉、又は豚肉が入っている食品を食べても、新型インフルエンザにかかる可能性は全くない。インフルエンザにかかった場合、ウィルスを広めないための最も効果的な対策は自宅療養である。その他の対策は次の通り:

 咳やくしゃみをするときは、必ず手やティシューで口をおおうこと。
水と石鹸で手を良く洗うこと。特に咳やくしゃみをした後は励行すること。アルコール系の消毒薬を時に応じて使うのも効果的な対策になる。
人との接触(2メートル以内)を避けること。
症状は深刻ない限り、クリニックや病院に行かないことが望ましい。病院に行かなければならない場合は、行く前に電話で医者と相談すること。

  学校、そしてビジネスの管理者は病気を広めないため以下の対策を講じることを奨励する。
   休憩室、総合室などを良く掃除して、通風をよくすること。
  病気になった人をすぐ他の人から分離すること。
   病気になった学生や会社員の自宅療養を促すこと。
  衛生対策(手を洗う事、又は咳をする時に口を覆う事)を促進すること。

 テキサス州保健衛生局の最新情報

 テキサス州保健衛生局は、州民にインフルエンザに似た症状がでたからといって、安直に病院の救急外来に駆け込まないような慎重さを持つよう訴えている。断続的に続いている州内の救急病室の混雑は、DSHS(Department of State Health Services)によると、ほとんどが季節性のアレルギーや単なる風邪の患者が原因であると述べられている。

 新型インフルエンザであるH1N1型の初期症状は一般的に華氏101度以上の発熱と咳や喉の痛みを伴う。しかしながら、ほとんどの症例の症状は比較的軽いものであった。
4月にDSHSは、州が継続中の新型インフルエンザの調査でさらに幾つかのインフルエンザの症状に似た症例が発見された場合、Schertz-Cibolo-Universal市独立学校地区にある2つの施設と14校の学校を休校および一時閉鎖とした。すべての課程外もしくは公共の活動は近い将来まで延期されている。

 初期の学級閉鎖の目的を果たすため、学級閉鎖が行われている期間中は子ども同士の接触は避けなくてはならない。

 カリフォルニア州保健衛生局の最新情報

  学校向け
    学級閉鎖は、もはやインフルエンザA型(H1N1)が疑われた場合や確認された場合でも勧告され ない。一般的に学級閉鎖は、教員や生徒の長期欠席により学校の機能に重大な支障が及んだときに限り勧告される。
    咳や喉の痛みを伴う発熱などのインフルエンザに似た症状がでた生徒や教員は、症状の始まりもしくは急に症状が回復するまで、少なくとも7日は治療目的以外の外出は控えること。
   インフルエンザに似た症状が現れた生徒もしくは教員は、他の生徒から即座に隔離し、早退させなければならない。
   保護者は子どもたちの健康に気をつけ、教員たちもインフルエンザの症状がないか自己管理をしなけばならない。
   病気の生徒は学校以外の施設に集まってはならない。

 一般市民向け
   咳や喉の痛みを伴う発熱などのインフルエンザに似た症状がでた人は症状の始まりから7日もしくは症状が回復してから24時間が経過しない限り、自宅療養をし、公共の場に姿を現すことを慎むべきである。
  すべての人は正しい手洗いとうがいの方法を想起する必要がある。
① 咳やくしゃみをする時は手で押さえること。咳やくしゃみが出るときは、使い捨てのティッシュか、ティッシュがない時は腕にする。使い終わってティッシュはゴミ箱に入れること。
② 特に咳やくしゃみをした時にティッシュを使った際は、頻繁に石鹸で手洗いすること。アルコールの消毒液を使うのを勧める。
③ 目や鼻や口に触れることを避ける。黴菌の繁殖を防ぐためである。
④ 咳をしている人からは距離をとること。できるなら、約6フィート(2メートル)は離れること。
⑤ 特に病気の人が使用している用具、歯ブラシ、タオルなどの共有は避けること。
  現時点での情報では、新型インフルエンザが頻繁に流行している地域でのマスクまたはガーゼマスクの着用は効果が期待される。もし急な症状で自宅療養が困難になった場合は、他の人々との接触を考慮して公共の場ではマスクの着用を勧める。もしインフルエンザの患者が公共の場でマスク着用で咳をしていた場合、彼らはそれを公共の場にいる限り着用し続けなければならない

企業向け

   咳をしている人からは距離をとること。できることならば、約6フィートは離れること。
  特に病気の人が使用している用具、歯ブラシ、タオルなどの共有は避けること。
  社員を感染から守るため作業日程や計画を見直す。
  従業員にインフルエンザの症状がでた場合は自宅療養もしくは早退を願い出るように勧めること。咳や喉の痛みを伴う発熱などのインフルエンザに似た症状がでた人は症状の始まりから7日、また熱が出ている状態では職場に復帰することはできない。
  もし可能ならば、電子メールや電話会議などといった直接人と人が顔をあわせる機会を最小限に抑えるように方針を見直す。
  職場全体にティッシュや手の消毒製品が行き渡るようにする。
  社員や来客のアルコール性殺菌剤の使用を勧める。もしアルコール性殺菌剤による手洗いが十分に監督されることができなければ、湿ったナプキンで代用することができる。アルコール性でない殺菌剤は効果的かどうか証明されておらず使用すべきでない。
   すべての共有の場所を清掃すること。ドアノブ、電気のスイッチ、カウンターの上などの表面に接触しやすいところの掃除の頻度を上げる。EPAと書かれた殺菌剤を使用すること。
   施設内にいる人々に「咳をするときは手で押さえる」、または頻繁に手を洗うなどといった人々の注意を喚起する張り紙を入り口、客室、掲示板、会議室、休憩室、お手洗いなど適切なところに掲示する。
  可能であれば、職員、ボランティア、訪問者が出入りする扉や入り口の数を制限する。

以上です。

 最後まで読まれた方は、「なんや、当たり前のこと書いてるだけやん。普通のインフルエンザといっしょやんか」と思われたでしょう。その通りです。季節性インフルエンザが流行したときも毎回同じことを書いています。

Saturday, May 16, 2009

ポート・エンジェルス(A small world! ②)

 ライランドの従兄妹について行くと、時計台(Clock Tower)はすぐに分かりました。時計台と聞いていたので、母校である関西学院大学の上ヶ原の時計台(図書館)とかThe Evergreen State Collegeの時計台(図書館)を想像していたのですが、ペニンシュラ・カレッジの時計台は2階建ての建物でした。こじんまりしていて、なかなか可愛い建物です。

 私の友人のビジネス・パートナーであるジム(Jim)に紹介してもらった、同校のInternational Programの担当者ジーヤオ(Ge-Yao)の事務所はすぐに分かりました。仕事の話に入る前に、まずは、互いの自己紹介、というのがアメリカでのビジネスのやり方ですし、それによって相手の気持ちをつかむのも大切なことです。私もこの定石にしたがって、私の事務所がどんな仕事をしているか(こんな説明をするときの決まり文句は、“Let me tell you what we are.”と言います。他にも言い方はありますが、これで十分通じます)、今回、どんないきさつでJimに紹介してもらうことになったのか(Jimと私の関係)などを話しました。もちろん、ジーヤオも同じような説明をし、彼がなぜ日本語を話すかも説明してくれました。彼が日本語を話すのは電話でアポイントをとった時に知ったのです。それによると、彼は名前でも分かるように中国人で、日本語を習うために名古屋に留学していたこともあるそうです。その後、アメリカに留学してそのままアメリカで就職して暮らしています。彼の奥さんは日本人で、家庭でも日本語で話しているそうです。彼が息子さんと話すときは中国語、だから息子さんはバイリンガルどころかトゥリリンガルに育っているそうです。

 仕事の話はいたって順調に済みました。その他にも、これから一緒に新しい仕事をしていくことにもなりました。ミーティングは簡単に終わり、また、よもや話し。彼の息子さんは現在ペニンシュラ・カレッジに通っているのですが、なんと、2年前のセクイム高校生の時にセクイムの姉妹都市である宍粟市に交換留学生で行ったことがあるとのことでした。「へぇ」と感心していると、彼の奥さんはセクイム-宍粟市姉妹提携委員会に入っていて、色々なボランティアをしているとのことでした。お互いに、きっとどこかで会ったことがあるのでしょうね。

 その後、ジーヤオがキャンパスを案内してくれたのですが、偶然、友達と歩いている息子さんに会い、少し立ち話をしました。セクイムで高校生の交換留学の世話をしているジョンというのは私の親友ですから、彼の名前を言うとやはり息子さんは知っていました。ここでも世間の狭さに驚きました。

どんなめぐりあわせで、ジーヤオや息子さんと会ったかをもう少し説明しないと分かりにくいので、少し、整理しますと、
 
 ジョン(セクイム)は私の親友→私の友人のニール(ジョンの仕事仲間)→ジム(ニールのビジネス・パートナー)→ジーヤオ(ジムの友人の知人)→奥さんと息子→ジョンの知人

となるわけです。

 今回のポート・エンジェルス出張は、世間の狭さに驚かされることしきりでした。

 このミーティングの後、ユニコラボのプログラムで利用するフォート・ウォーデンへ立寄りました。その時の話は、次回のブログで書きます。(続く)

ポート・エンジェルス(A small world! ①)

 ポート・エンジェルスにあるペニンシュラ・カレッジ(Peninsula College)へ行ってきました。この夏に「ひょうご大学連携推進協議会」(長ったらしい名前なので、私は、英語名を略して、「ヒョウゴ・ユニコラボ」Hyogo Unicollaboとか「ユニコラボ」Unicollaboと呼んでいます)が実施するプログラムの打合せのためです。この海外派遣プログラムの中の「Phase Ⅱの問題解決型プログラム」で教えてもらう英語のインストラクターについての相談に行ってきたのです。

 このブログにもリンクを張っています。右欄外の「ネットワーク」の一番上にある、「Hyogo Unicollabo」をクリックするとこのプログラムのサイトへ飛んでいきます。

 オリンピック半島は晴れ。オリンピアから例によって、トコトコとRoute 101を北上して行きました。今回は、地図をつけました。ピンク色の線がその時のコースです。

 余談ですが、地図の右上あたりに赤の×印がついているところが、フード・キャナル・ブリッジです。シアトルからこの半島へ行くには、フェリーでベンブリッジ・アイランドかキングストンへ渡ります。タコマ辺りからだと、ナロー・ブリッジという橋を渡ります。どちらのルートも地図で分かるように、オリンピック半島の右端部分を通ります。ところが、この右端部分は、八手の葉のように、根元で半島本体につながっていますが、先の部分は海峡で隔てられています。そのため、シアトルからでもタコマからでも、この海峡を渡らなければ、半島の主要な町へは行けないのです。この海峡がフッド・キャナル(海峡)で、そこに橋が架かっているのですが、これが使えないとなるとオリンピアまで南下して、その後、Route 101を北上しなければなりません。シアトルとオリンピアの距離は60マイル(100キロ)ですから、200キロも余分に走ることになります。神戸から京都へ行くのに、瀬戸内海ルートが使えないから、日本海ルートまで兵庫県を縦断して、丹後半島のつけ根から京都へ入るようなものです。こんなことって、日本では絶対ありえないですが、前も書いたように、アメリカではショッチュウありえるのです(笑)。

 閑話休題。オリンピアからポート・タウンゼントとセクイムにはどちらもちょうど100マイル(160キロ)、ポート・エンジェルスまでは120マイル(192キロ)です。今回は、休憩なしで走りましたが、それでも約3時間かかりました。

(上の写真は、ペニンシュラ・カレッジ駐車場からポート・エンジェルスの海を眺めた景色です。大学は丘を背にしてキャンパスが広がり、駐車場の前は、道を隔てて高級住宅地になっています。)

 ポート・エンジェルスの山手にあるペニンシュラ・カレッジの駐車場へ車を停めて、教えられていた目印の時計台(Clock Tower)を探したのですが、それらしい塔が見あたらないので、通りかかった女子大生に場所を聞くと、自分もそちらの方へ行くから、一緒について行ってあげる、と言ってくれました。話しながら歩いていて、何気なく、ポート・エンジェルスの出身かと聞くと、なんと、マカ居留地の出身だというではないですか。マカは今回のプログラムで予定している場所ですし、友人たちもいます。で、その中でも、先日神戸へ行って説明会でマカのことを話してくれた、ライランド(友人の中で彼が一番若いので、彼女の歳に近いと思ったもので)という友人の名前をいうと、彼とは従兄妹だというのです。おばあちゃんが一緒で、お互い身近に育ったとのことでした。広いポート・エンジェルスの町の大学で、それも駐車場で出会った唯一の学生が、私の友人の従兄妹だなんて、まさに、「世間は狭い」(It’s a small world.)です。 (続く)

Thursday, May 14, 2009

セクイム・イリゲーション・フェスティバル

  先週末、セクイムで行われたイリゲーション・フェスティバルに行ってきました。これは畑に水を引く時期に行われるもので、日本でいわば、田んぼへの水入れと同じようなものです。


 今年は前回書いたように、フード・キャナル・ブリッジが改修工事で閉鎖されているため、シアトルやタコマといった地域からの参加がありませんでした。例年は100以上の団体が参加するのに、今年は30余り、少し寂しいフェスティバルでしたが、それでも通りにあふれる人並みは昨年より多いと感じました。

 私は去年と同様「セクイムー宍粟姉妹提携委員会」のグループに参加、ジョンが運転するオープンカーに乗って、みんなに手を振りながら参加してきました。

 セクイムダウンタウンのメイン通りのWashington Streetに沿ってたつQFCの駐車場。高校生たちがスクールバスで集まってきていました。

 スクールバスの横で、予行演習をする女子高生たち。


 シェリフのパトカーも準備OKです。


 私がジョンたちと待ち合わせたのは、Key Bankの駐車場。当日、パレードに参加する色々な車が準備を調え、とまっていました。


 これは出番を待っているCapital Lake Festival(Lacey, Tumwater, Olympia)のフロートです。まさに、私の地元のフロート。参加してくれていてうれしかったです。


 パレードの打ち合わせをするセクイムー宍粟姉妹提携委員会のメンバーたち。法被をきているのは高校生で、彼らはこの秋に宍粟市を訪問します。現在の予定では、12人も参加するそうです。


 高校生たちが持って歩くバナー。


 私が乗った車です。左の赤いSmartです。ボディーには私の名前が書いてありました。

私たちの車の前を行く高校生たち。



 その他、華やかなフローともありました。

Saturday, May 2, 2009

セクイムへ行きました

 咋日、ミーティングがあってセクイムまで出かけました。私はオリンピアに住んでいるので、いつもオリンピック半島へ行くには、101を使います。シアトル辺りの人々は、フェリーで途中の島に渡り、そこからフッド・キャナル・ブリッジ(Hood Canal Bridge)を通って半島へ入ります。しかし、今日、51日から2ヶ月間、この橋が補修のため閉鎖されます。そのため、シアトルあたりからオリンピック半島へ行くためには、オリンピアまでいったん下がり、そこから101を通って半島の各地へ行くよりほかなくなりました。距離にして約200キロの迂回です。なんとも不便な話です。代替処置もなしに日本でこんなことをしたら大問題ですが、大雑把なアメリカのこと、しょっちゅうあります。大雪が降った昨年は、ボストン(東海岸)まで通じる大動脈のI-5が雪崩れの危険防止工事のためにたびたび閉鎖されました。その都度、「I-5は雪崩れ工事のために通行止め。他の迂回路を利用してください」とのみ道路に表示が出るだけです。迂回するといっても、このときは、約300キロの迂回です。つまり、太平洋側の幹線が使えないから、日本海側を使ってくれ、と言っているようなものです。それでも誰も文句を言いませんでした。「雪崩れやったらしょうないな」と言った感じです。

 









 本当によい天気でした。オリンピアの北、シェルトン(Shelton あたりの101から見えるオリンピック山脈です。

 この日がフッド・キャナル・ブリッジがクローズドされる最初の日ということもあって、ワシントン州警察(Washington State Police)や各郡警察(Sheriff )のパトカーが山ほど出ていました。いつもは一台も見ないこともあるのに、今日はなんとセクイムへ着くまでに14台(アホですから数えていたんです)も出会いました。プレザント・ハーバー(Pleasant Harbor)という場所では、3台仲良く並んでカフェでくつろいでいました。フッド・キャナル・ブリッジの東と西をパトロールしているパトカーが、回る場所がなくなってみんなこちらに終結したのかも知れません。












 途中のピュージェットサウンドもキラキラと輝いていました。停めるのに適当な場所がなく、車のサンルーフからカメラを出して撮ったのであまりよい構図ではないですが、雰囲気は分かってもらえると思います。

 オリンピアからセクイムまではちょうと100マイルあり、今日のように制限速度をきっちり守って(守らざるをえない状態でしたので)走ると、道が曲がりくねっているので、平均時速は50マイルほどに落ちます。オリンピアから約1時間半走ったあたりがクイルシン(Quilceneから10キロほどのところにあるディスカバリー・ベイ(Discovery Bay)になります。ちょうど、ここがポート・タウンゼント(Port Townsend)への分岐点で、時間がある時はここのCafé で休憩します。咋日は、道が込んでいるかも知れないと考えて、早めに出てきたので、一休みしました。












 このCaféはカナダを走っていた列車を持ってきて、それを改造したもので、おばさんと息子夫婦がやっています。この前、立ち寄ったときは天気が悪かったのですが、今日は晴天でしたから、裏のデッキでラテを飲みました。ここではワイアレスインターネットが使えるので、出張用に愛用しているAcer Aspire Oneでメールのチェックができました。

 ミーティングで会ったJohnが、いつものことですが、突然紹介したい人がいるからということで、その場で電話をかけ、そのまま、ポート・エンジェルス(Port Angels)に連れて行かれました。そこで会ったのは、Linda Rotmarkというクラルム(郡)経済開発委員会(Clallam County Economic Development Council)の専務理事(Executive Director)でした。彼女の息子さんは、現在、日本にいて、彼女も近々日本へ行くから会ってくれ、というのがJohnが僕を連れて行った理由です。でも、会ってみてびっくり。息子さんはなんと高砂市(兵庫県)に日本人の奥さんと住んでいるのだそうです。シアトルに本社がある、Real Networksに勤める技術者で、これも驚きですが、メールやスカイプでシアトル本社とのやりとりをしながら仕事をしているそうです。超遠隔のホームオフィス勤務です。Lindaは姫路城を見て、その後、宍粟市に行くと言ってました。もちろん、その他、将来、何か一緒に企業マッチングをしようね、という話もしました。











 Port Angeles からセクイムへの帰り道で写したオリンピック山脈の写真です。RVを売っている展示場から撮ったものです。

 Johnと二人で韓国人夫婦がやっている”Okasan”という日本食レストランで寿司と天ぷらうどんを食べながら、セクイムから宍粟市へ行く高校生のためのファンドレージング(つまり資金集め)の方法や夏のラベンダーフェスティバルでのJapan Nightなどについて話がはずみました。“Okasan”という看板がかかっていたので聞いてみると”mother”、つまりお母さんの意味なのだそうです。でも、店の主人は、「オカサン」と発音していました。












 帰りももちろん超安全運転。全行程を制限速度以下で走りました。セクイムを午後3時前に出て、シェルトンへ着いたのが午後5時半ごろでした。まだ、日も高いので(最近の日の入りは午後8時半頃になりました。ずいぶん日が長くなりました)、スクワクシン(Squaxin)族居留地そばにあるサーモンが登ってくる川を見に行きました。ここはあまり人に知られていない場所で、私も昨年、気まぐれに101から横道に入った時に見つけたところです。その時は、いっぱい鮭が遡上していて、一部は力尽きて死に絶えていました。

 もちろん、今は鮭の季節ではないのですが、なんとなく、川を見たくなったので、立ち寄ることにしたのです。川辺は樹木で覆われているのですが、川沿いに踏み分け道があって、川にそって歩くことができます。オリンピアから20分ほどのところにある、私のとっておきの場所です。

 川の上流に向かって撮った写真です。西に傾いた日の光が右手斜め上からさしていますから、川はこのあたりでは西南西から東北東へ流れているんです。この川はあと2マイルほど流れて、ピュージェット湾に注ぎます。鮭は太平洋からカナダとの国境であるフアンデフカ海峡を通り、ピュージェット湾をまっすぐ南下して、湾の南端を東から回りこむようにして、この川に遡上してくるようです。

 この川辺で思いもかけないものに出会いました。何だと思います?サーモンベリーです。この辺りにあるなど夢にも思いませんでした。マカ居留地にはいっぱいありますが、マカの居留地を出るともう見かけなくなりますから、まさかオリンピアのそばにあるなどとは考えてもいませんでした。でも、あったんです!川辺に沿って、所々に咲いていました。踏み分け道の辺りにはブラックベリーはあっても、サーモンベリーは見当たりませんでした。












 まあ、雑草のようなブラックベリーのツルとくらべると、サーモンベリーの木はいかにも弱々しそうですから、無理ないのでしょう。

 鮭が生まれた川辺にひっそりと咲いているなんて、今頃は太平洋のはるかかなたを泳いでいるだろう鮭の帰りを待ちわびているようです。ネイティブ・アメリカンの人々がこの木苺をサーモンベリーと名づけたのは、単に色がピンク色をしているからだけではなく、ひょっとしたら廻り来る鮭に対する彼らの祈りが込められていたのかも知れないなぁと思いました。ブラックベリーはもちろん、ブルーベリーなども花は上向きに咲きますが、サーモンベリーの花はどれも5枚の花弁で顔を隠すようにして、少し下を向いて咲きます。その風情がまた何とも言えず愛らしいです。

 実がつき始めていたので、1週間もすれば食べることができるようになると思います。来週はサーモンベリー摘みに出かけようかと考えています。